[ファイトクラブ]佐山聡の好敵手マーク・ロコ追悼~パニックすると失策のWWE悪循環

▼佐山聡の好敵手マーク・ロコ追悼~パニックすると失策のWWE悪循環
 タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編
・現地取材と大英帝国プロレス史からひも解くローラーボール・ロコ
・90年8月のケンドー・ナガサキ戦が象徴する遅すぎた世代交代の英国
・暗闇脳天落とし&ダイビング・エルボー・ドロップ初期完成形の手本賞賛
・なんちゃって格闘技RAW Undergroundの時代錯誤と黒人同盟の管轄
・新日にWWE作っている側の感性古すぎで若者層のプロレス離れ深刻


―― まずは昭和プロレスに思い入れのある方にはブラック・タイガーことマーク・ロコさんの訃報からにしましょう。欧州に強い本誌は他媒体にない観点に絞ることが差別化になります。

オフレコ 忘れもしない1979年8月英国ブライト・ドームでラウンド制の大会を見ている。最近リバイバルされたTHE WHOの映画『さらば青春の光』の舞台となったロンドンの南やね。北がネブワースの森でレッド・ツェッペリンも最後の生が間に合った。トッド・ラングレン&ユートピア他、いろんなバンドの祭典だった。

―― 後出しジャンケン組もRAWが酷かったとやってますが、それはロコさん追悼のあとでやりましょう。SmackDownもダメ回でしたし、視聴率の低下傾向で首脳陣がパニックしてオカシな構成やってしまってます。

オフレコ 再開した新日プロも「大丈夫かいな」というのは、先週号の後半にやったから・・・。
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ただ、AEWもYouTube番組のDARKの方で女子選手を大勢集めてやりだしたんだけど、これもイマイチ内容であって、この話も後半になるな。

―― 皆さん夏バテなんじゃないですか? コロナ疲れの鬱屈が溜まっている問題もあります。

オフレコ その旧・新日というか、今のプロモーションとは別物と考えるべきなんだけど、タイガーマスク人気で一時は視聴率20%とかもあった時代に、その好敵手だったマーク・ロコは忘れられない選手になる。

―― そのスグあと1979年9月には “ローラーボール” マーク・ロッコの表記で国際プロレスに初来日。阿修羅・原のWWU世界ジュニアヘビー級王座戦をやってますから、なんでも先行報道ですね。

オフレコ マーティン・ジョーンズとかトニー・セント・クレアー、現NXT UKコミッショナーのジョニー・セイントらが軸だけど、目立っていたのは間違いなくロコであり、そう活字に残してある。ブライトン大会時点で国際に来ることは全く知らなかった。

―― 佐山さんと言えば、ダイナマイト・キッドの名がまず上がるんですが、通のファンに受けていたのは圧倒的にロコです。1982年4月に新日プロに転出、ブラック・タイガーとなりました。

オフレコ リアルジャパン会見のオフレコで、「タッタッタ、タッタッタと走ってくるマークが夢に出てくることがある」と佐山先生がしみじみと漏らしていた。

ウェイン・ブリッジ、マーク・ロコ、ジョニー・セイント1985年フェアフィールド・ホールより

―― 1980年から1981年にかけてサミー・リーこと佐山さんと英国で抗争していて、タイガーマスク変身を打診されても、ちょうど人気が出てきたところだから「帰りたくない」とゴネた逸話が残ります。

オフレコ それどころか、タイガーマスクの起用がヒットになって、ではブラック・タイガーを登場させようとなった時、新間寿さんは普通にメキシコの覆面レスラーを想定したんだけど、先生が「ライバルならマーク・ロコがいい」と主張した。

―― これぞガチ話ですね。タイトル歴だのはネットで調べて下さいであって、本誌が行数を使うもんじゃありません。

オフレコ ご存じのように初代タイガーはすぐに引退ということになるんだけど、それからもロコは新日に呼ばれ、コブラ、越中詩郎、青春のエスペランサ髙田延彦ともやっている。

―― 1984年12月28日のMSG定期戦でコブラとWWFジュニア王座決定戦が組まれてます。

オフレコ 「それは行ったでしょう」と今回の訃報で複数から言われたんだけど、確かにもうマンハッタン在住なんだけど学校が忙しかったから地下鉄でスグ近所でも現場には行けてない。MSGネットワーク(当時のものでのちのチャンネルとは別)で見られることもある。あと、ロコは米国スタイルをずっと嫌っていたのを知っているから、あれは単に新日経由で呼ばれただけ。実際、英国での追悼ぶりは大きかったけど、米国での試合は実際これだけしか記録にない。

―― レジェンドでも米国ではあまり知られてないままだったんですね。

オフレコ 上記の英国プロレス歴史本は、ウェイン・ブリッジさん追悼の際にも出したけど、表紙のイラストがビッグ・ダディ、ジャイアント・ヘイスタックス、ケンドー・ナガサキが中央という点に注目して欲しい。ダディの実兄マックス・クラブトリーのジョイント・プロモーションが主流派というか、ボクが現地生で見たのはまだ所属していた頃だけど、結局は反目してしまう。

―― かの1996年に出版された歴史本でもロコのことは2つの極端で語られているとか。

オフレコ 褒めるところでは、「あんな凄い職人はいなかった。対戦相手を百万ドルの男であるかのように輝かせることが出来た。10年早いプロレスをやっていた!」と絶賛の嵐。そうかと思えば、クラブトリーの証言箇所だと、「アイツはクレイジー、危険すぎる」(上記画像)となる。「場外乱闘やってお客さんに突っ込むし、あれじゃ死人が出てもおかしくない。3ヶ月の停職にしてやった」とボロクソやられている箇所もある。

―― ビッグ・ダディからしたら反主流派になり、先に写真出したASW=オールスター・レスリングの看板選手たちがオポジッションを旗揚げすることになります。

オフレコ 画像で抜き出した箇所だけだと前後がわからないと思うが、要は英国ITVでのプロレス中継がどうあるべきかの議論であって、ロイヤルアルバート・ホールでやっていたビッグ・ダディらは「ファミリー向きであるべき、だからテレビ放送してもらえる」という考え方であって、これも一概には否定できない。

―― なにしろガチで武勇伝に包まれたロコですから、危険人物扱いだったんですね。

オフレコ ITVは一時は両方の2大グループを交互に放送していた時期もあったんだけど、結局はWWFの番組にとってかわられる運命をたどる。

オフレコ Wikiとかは詳しくない者が書いてるからケガもあり引退みたいなことになってるけど、本当の理由は嫌っていたWWF番組になって潮時と判断したからや。そりゃインタビューされたら選手は「ケガがあって・・・」とか言うんだけど。あと彼でレスリングは4代目になる格闘一家。息子はボクサーのジョノ”ロコ”ハジーだし、アスリートはさっさと止めるべき哲学もある。

90年8月のケンドー・ナガサキ戦が象徴する遅すぎた世代交代の英国

―― パンフは90年8月7日のでロコの相手はリッチー・ブルックスですが、内容は前回の定期戦ですから、仲間割れからロコがナガサキのマスクをはぎ取っての話が載ってます。

オフレコ 2000年に英国行った際は、ブライアン・ディクソン代表ジョイント・プロモーションだけど、たまたまなのか、またケンドー・ナガサキがさすがに試合はもう出来ないけどゲストで呼ばれている。まだ人気というか、知名度は凄いと思ったんだけど、控室ではもの凄い老人の素顔で・・・(笑)。全盛期でもすでにかなりの年齢だったことになる。


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