[週刊ファイト4月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第69回
木村健悟氏 スター選手になれなかった男が自らの人生を預けた人に助けられ・・・
・木村氏はやはり「印象に残らないレスラー」なのだ
・何が欠けていたかと言えば、気迫と思考力だろう
・スカウト部長就任で「らしいな」と思ったことがある
・安定した生活を送っている元レスラーは非常に少ない
本誌とは1980年4月19日、DWA(同志社プロレス同盟)主催で行われた木村健悟、G高野トークショーからの長い縁がある。
かつて新日ファンを熱狂させた元レスラーの大半は今、健康面、経済面のいずれかで苦しんでいる。そんな中、その両面で安泰なのが03年に引退した木村健悟氏。東京都品川区の議会議員としてハツラツとした人生を送っている。
冒頭から変な表現になってしまうが、「印象に残らないレスラー」として昭和の新日ファンの脳裏にそれなりに焼き付いているのが木村健悟氏である。
80~90年代に人気を博した新日プロの選手たちにはそれぞれ強烈な個性があった。80年代前半で言えば、トップグループのA・猪木、坂口征二、藤波辰爾、長州はもちろん、中堅の藤原喜明や木戸修、前座戦線を賑わせたドン荒川らのファイト内容には強い個性がありマスコミに取り上げられる機会も多かった。だが、空気に近い存在のような木村氏にはマスコミもファンも魅力を感じていなかった。
「それは言い過ぎだろ」とおっしゃるファンもいるだろう。ただ、レスラーとしてのピーク時に対維新軍、対UWF、対米プロ空手といった重要な局面でほとんど存在感を示せなかった木村氏はやはり「印象に残らないレスラー」なのだ。
レジェンドのグッズ販売会より前列、左からケンドー・ナガサキ、谷津嘉章、キラー・カーン、グレート・カブキ、後列、左から木村健悟、ウルトラセブン
負け役が多かったことは要因にならない。星野勘太郎さんのように対UWFにおいて株を上げた選手もいるからだ。木村氏は、ベテランの星野さんの何倍もチャンスをもらい、特に84年の大量離脱後には『ワールドプロレスリング』に登場する機会も多かった。
藤波を上回るタッパ(183㌢)があって体も猪木に負けないくらい柔軟。試合運びにしてもヘタな方ではない。
では、木村氏に何が欠けていたかと言えば、気迫と思考力だろう。
▼ザ・セメントNo.2レスラーが書くから意味がある~藤波辰爾と木村健悟