[週刊ファイト3月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼追悼:ウェイン・ブリッジさんとの追憶!英国プロレスから前田日明まで
by 梅崎一郎
・3月8日に永眠。83歳で天国へ
・水泳選手からアマレス、そして英TVレスリング黄金期の大英帝国王者
・呼称ビルと妻セーラ!英プロレス本に映画Phantom Threadのアルマ
・毎年8月に英国同窓会がBridgesで開催、そして前田日明とリングス
ウェイン・ブリッジさんが3月8日に息を引き取った。自宅で倒れ病院へ搬送、翌日奥さんに見とられ亡くなったとの報を受け、英国在住が長い筆者はペンを執ることにした。
最後に会ったのは10年以上前で、あとは誕生日とクリスマスに電話するくらい。ちょくちょくケント州ダートフォードのホールトン・カービーにあるパブThe Bridgesに遊びに行ってた頃も、近況報告と世間話が主だったから後年はプロレスに関する話題はお互い避けていた。前田日明の遠征時代からの長い付き合いだから、そんなモンであって、「今のWWEのプロレスは・・・」とやっても恐らく見てもいなかったと思う。
ただ、慌ててwikiを検索しても、Wayne Bridgesだとサッカー選手が出てきて、ようやくたどり着けたものも誕生日が不明のまま。やや忘れられた存在になっているのが悔やまれる。
▼●●歳の誕生日を迎えたウェイン・ブリッジが語る猪木・前田・旧友たち
その前田以外にも、西村修選手やウルトラマン・ロビンに親切にしてきたのも、新日プロ参戦時代によい待遇を受け、若手選手のレベルや態度に感銘を受けたからという話はよく聞かされた。
個人的なエピソードで強く残っているのは、免許をとって新車購入翌々日に報告を兼ねて遊びに行った時のこと。帰り際、鳥の糞がルーフを直撃 ! ショックで呆然としていたら「こっちではこれは幸運の印、喜べ。今晩は洗わなくていいぞ」と言われ一気に気が楽になったことである。彼はビンテージもののベンツを所有しており「上達したら運転してもいいぞ」と言ってくれたんだが、その機会は失われてしまった。
水泳選手からアマレス、そして英TVレスリング黄金期の大英帝国王者
1962年のローマ・オリンピック英国予選こそかのイアン・ブラックに負けたから出れなかったが、以降はアマレスにのめりこみ、プロになった1964年以降が英国レスリングの全盛期になる。
以降、ブライアン・ディクソン代表ジョイントプロモーションのASW=オールスター・レスリングの看板選手になる。上記は1985年、フェアフィールド・ホールのもの。隣は初代ブラック・タイガーのマーク・ロコ、右が現NXT UKコミッショナーのジョニー・セイントである。経歴に関しては、歴史家を自称される現場のことを知らないのにさも詳しいようにデスクワークする方が大勢いるので、新日プロやUWFの参戦歴は本稿ではやらない。当時の週刊ファイトには「大英帝国ヘビー級王者」との表記に馴染みがあるが、世界的には、バンクーバーでダン・クロファットとカナダ版NWAタッグ王者になったことだろうか。大型同志のMightyジョン・クインとの抗争も書き残す必要があろう。
呼称ビルと妻セーラ!英プロレス本に映画Phantom Threadのアルマ
ビッグ・ダディ、ジャイアント・ヘイスタックス、ケンドー・ナガサキら英国プロレスの歴史本