[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第67回 長州68歳、猪木77歳にして完全和解。これは奇跡だ!

[週刊ファイト3月19日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第67回
 長州68歳、猪木77歳にして完全和解。これは奇跡だ!
・両者の間には根深い確執があった
・最初に裏切ったのは長州の方である
・猪木も内心、腹ワタが煮えくり返っていたに違いない
・すっかり穏やかな人間になった長州には好感が持てる


 07年から今年1月にかけて長州力とアントニオ猪木が顔を合わせたのは1回か2回。しかも、互いに硬い表情のまま、ほとんど話をしていない。それくらい両者の間には根深い確執があったが、長州が2・20『A・猪木の喜寿を祝う会』に出席したことで完全和解。8日後に行われた『プロレスリング・マスターズ』でも長州は満面の笑みを浮かべて猪木に接した。これは2人の犬猿関係を知る者にとって 奇跡以外の何ものでもない。

 かつて長州力とアントニオ猪木の関係ほど良い時期と悪い時期の差が激しいものはなかった。

 82年、猪木マジックとも言える驚がくのアングル(盟友・藤波辰爾への“かませ犬発言”)により大ブレークのきっかけを作ってもらったときの長州は、猪木に対し感謝の気持ちでいっぱいだった。


長州力と藤波辰爾の抗争

 ところが、最初に裏切ったのは長州の方である。

 84年9月に起きた半ば騙し打ち的な大塚派新団体(新日本プロレス興行→ジャパン・プロレス)への電撃移籍。これを仕組んだのは大塚直樹氏だが、長州が片棒を担いだことに変わりなかった。

 ある専門誌の記者は長州の新日プロ離脱の理由について、「暴動を引き起こしたIWGP優勝戦(84年6・14蔵前国技館)への乱入役をやらされるなど猪木のやり方について行けなくなった」と話していたが、このときの離脱の真相は明らかに金である。

 年商が16~19億円程度だった80年代前半の新日プロ。当時の高給取りは猪木社長、坂口征二副社長の2人のみで、ようやく集客力を持つようになった長州の最終的な年俸は1000万超。独身者の長州にとっては十分過ぎる額ではあったが、金遣いが荒いこともあって貯金ができるほどの余裕はなかった。

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