『レスラー兼経営者』vs.『背広組』。プロレス経営に向くのは?

 水島新司の野球漫画に『ストッパー』という作品がある。
 主人公の三原心平はプロ野球の大阪ガメッツに入団し、ストッパー(今でいうクローザー即ち抑え投手)と、外野手としてトップバッターを兼任するという、いわゆる二刀流の選手だった。
 しかし、三原は二刀流に留まらない。大阪ガメッツが経営難に陥ると、三原グループの御曹司でもある三原はガメッツを買収、なんと選手兼オーナーになったのだ。要するに投手&野手&オーナーという三刀流である。
 プロ野球で投手と打者の二刀流なんて当時は不可能と思われていたが、こちらの方は大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)が実現させた。だが、選手兼オーナーなんて聞いたことがないし、今後も現実化することはないだろう。

 ところが、選手兼オーナーが当たり前のプロ・スポーツがあった。他ならぬプロレス界である。
 そんなプロレス界で1月29日、プロレスリング・ノアを運営するノア・グローバルエンタテインメント㈱が、㈱サイバーエージェントの100%子会社になると発表されたのは本誌でお伝えしたとおりだ。㈱サイバーエージェントは㈱DDTプロレスリングも100%子会社にしているのだから、プロ野球で言えば読売ジャイアンツの親会社である読売新聞社が阪神タイガースを買収するようなものである。実際には、1つの経営母体が2球団を保有することは、野球協約で禁じられているのだが。

▼ノアを傘下に収めていたリデットエンターテインメント㈱は僅か1年で経営譲渡

▼プロレスリング・ノアがまた事業譲渡!サイバーエージェントの100%子会社に

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『レスラー兼経営者』の伝統は、プロレス黎明期から始まっていた

 日本で本格的にプロレスを広めたのは、言うまでもなく力道山。その力道山が1953年に設立したのが日本プロレスだった。つまり、日本のプロレス界は黎明期から『レスラー兼経営者』が始まっていたのである。
 力道山の死後、日プロの二代目社長となったのは、やはりプロレスラーだった豊登道春。三代目社長の芳の里淳三も引退していたとはいえ、元プロレスラーだった。同時期、日プロのライバル団体だった国際プロレスの社長、吉原功も元プロレスラーである。
 日プロから分裂した新日本プロレスの社長はアントニオ猪木、やはり日プロから独立した全日本プロレスの社長はジャイアント馬場だった。もちろん、2人とも当時は現役レスラーである。いわば、経営の素人がプロレス団体を経営する、というのが日本のプロレス界では常識だったのだ。こんなプロ・スポーツは、他にはなかなかない。

 似ているのは、日本相撲協会だろう。協会の理事長は現役力士ではないとはいえ、選ばれた親方(年寄)つまり元力士が務める。他の理事も、全員が親方だ。
 相撲協会は会社組織ではなく公益財団法人なのだが、実態はどう見ても営利団体である。相撲協会が公益法人として税制上の優遇を受けているのは、誰でもおかしいと思うだろう。
 もちろん、親方も経営の素人であり、協会の中枢を元力士がほとんどを占めているという『閉ざされた村社会』のため、数々の不祥事が起きた。それでも世渡りだけは巧いらしく、未だに公益法人として認められている。

 力道山も大相撲出身で、プロレスラーが団体を経営するというのは、その名残りかも知れない。日本のプロレス界独特の付き人制度も、力道山が相撲界から持ち込んだものだ。

▼レスラー兼経営者の先駆者、力道山

プロレスラーは『背広組』を信用しない

『レスラー兼経営者』の伝統が崩れ始めたのは、昭和の終わり頃だろう。その象徴的だった団体は、UWFとSWSだった。
 UWFは、1984年に発足した第一次と、1988年の第二次とも非レスラー社長を据え、特に神新二社長の第二次UWFは大ブームを巻き起こした。
 1990年に設立したSWSは、メガネスーパーという大企業がオーナーとなった、日本初のプロレス団体。豊富な資金力をバックにしたプロレス経営は『黒船の襲来』とさえ言われたほどだ。
 当時の日本のプロレス界は、馬場の全日本プロレスと猪木の新日本プロレスという、事実上の二団体時代。しかしUWFとSWSの登場により、プロレス団体のビジネス・モデルも変わるかと思われたのである。

 だが、そうはならなかった。プロレスラーは、プロレス経験のないフロント、いわゆる『背広組』を信用しないところがある。よく『背広組は受け身が取れない』などと表現するが、要するにプロレスを知らない奴らが俺たちレスラーに指図するな、ということだ。
 第二次UWFは人気絶頂の最中に、レスラーとフロントが衝突して空中分解。SWSはレスラーたちがフロントにプロレスの本質(ケーフェイ)を教えず(後に天龍源一郎が社長に就任)、さらに選手を大量に引き抜かれた全日本プロレスに肩入れする週刊プロレス(もっと言えば、編集長だったターザン山本氏)から大バッシングを受け、選手同士の軋轢もあって僅か2年でアッサリ崩壊した。

 結局、プロレス界は元の『レスラー兼経営者』の状態に戻る。1999年1月31日、ジャイアント馬場が死去。全日本プロレスの社長は、エースだった三沢光晴が引き継ぐこととなった。
 しかし、実権を握っていた馬場元子未亡人との確執が勃発。三沢は全日を辞め、2000年に新団体のプロレスリング・ノアを設立した。この際、ほとんどの全日レスラーがノアに参加したため、全日は一気に窮地へと追い込まれる。この件で、全日本プロレスはジャイアント馬場の個人商店だったことが露呈した。
 その後は元子未亡人が全日の社長となるものの、新日本プロレスから移籍した武藤敬司が全日本プロレスの社長に就任。新日本プロレスの象徴的なレスラーだった武藤敬司が、ライバルの全日本プロレスの社長になるという、当時としてはショッキングな出来事だった。
 いずれにしても、全日が武藤でノアが三沢、そして新日の社長が藤波辰爾と、まだまだ『レスラー兼経営者』に拘っていたことがわかる。

▼新日本プロレスのスター、武藤敬司の全日本プロレス社長就任は、コペルニクス的転回だった

『レスラー兼経営者』から脱却し、経営を向上させた新日本プロレス

 21世紀に入ってからのプロレス界は、格闘技ブームなどもあって冬の時代を迎える。それまでも何度か冬の時代はあったが、この頃は氷河期と言ってもよかった。
 特に猛烈なジェットストリームに晒されたのが、業界№1の新日本プロレス。経営悪化に伴い、2004年に社長が藤波辰爾から経営コンサルタントの草間政一氏に代わった。遂に新日も『背広組』社長を据えたのである。
 だが草間氏は、レスラーのみならず既存のフロント社員との軋轢が絶えず、僅か1年足らずで退任。社長にはサイモン・ケリー猪木氏が就任した。サイモン氏は非レスラーとはいえ、アントニオ猪木の娘婿であり、いわば同族企業になったようなものである。

 サイモン社長が就任した半年後の2005年11月、新日本プロレスの株式を㈱ユークスが50%超(後に100%)を獲得した。とうとう新日本プロレスが、ユークスの子会社になったのである。
 現在の新日本プロレスや、他のプロ・スポーツでは当たり前のことだが、当時のプロレス界にとっては衝撃的な出来事だった。日本に現存する最古のプロレス団体である新日本プロレスが、他企業の傘下に入ってしまう。これにより『レスラー兼経営者』の時代が終わりを告げ、プロレス団体は独立性を保てなくなるのではないか、とさえ危惧された。

 しかも、ユークス傘下となっても、新日の経営状況はなかなか好転しない。そして2012年、ユークスは新日の株式を㈱ブシロードグループパブリッシング(現:㈱ブシロード)へ売却した。
 新日本プロレスの親会社となったブシロードは、次々と経営改革し、人気をV字回復させたのはご存じの通りである。もっともユークス時代でも、会社譲渡の前年には黒字に転換しており、既に経営は上向きとなっていた。もはや新日内には『背広組アレルギー』が消えていたのだろう。

▼新日本プロレスの経営をV字回復させた、㈱ブシロードの社長だった木谷高明氏

経営母体の変更でノアの復活なるか!?

 結局、『レスラー兼経営者』から脱却した、新日本プロレスの独り勝ち状態となった日本のプロレス界。ライバルの全日本プロレスも従来の『レスラー兼経営者』では太刀打ちできず、現在ではジャイアント馬場が創設した全日本プロ・レスリング㈱から、オールジャパン・プロレスリング㈱という会社になっているが、一時の危機から脱したとはいえ新日には遠く及ばない。

 プロレスリング・ノアも、プロレス氷河期には業界トップに立ったものの、2009年6月13日に起きた創業者・三沢光晴のリング禍による死去や、スキャンダルの噴出などにより人気は急落。
 ㈱プロレスリング・ノア(後の㈱ピーアールエヌ)は2017年、既に倒産しており、エストビー㈱がノアの運営を引き継いだ。社名はその後、ノア・グローバルエンタテインメント㈱に変更されたが、2019年1月にリデットエンターテインメント㈱の子会社となる。リデットエンターテインメント㈱の会長は吉田光雄、即ち長州力だ。つまり『レスラー兼経営者』的な体質は変わらなかったと言えるだろう。

 そして1年後の2020年1月29日、前述したとおりノア・グローバルエンタテインメント㈱は、㈱サイバーエージェントの100%子会社となった。㈱サイバーエージェントの藤田晋社長は長者番付にも載る、バリバリの実業家で、当然のことながら非レスラーである。ついでに言えば女優・奥菜恵の元夫だ。
 そういう意味ではノアも『レスラー兼経営者』体制から脱却したように見えるが、今回の身売りでノア・グローバルエンタテインメント㈱の社長に就任したのは高木三四郎。つまり、経営するのはあくまでもプロレスラーということだ。
 しかも高木は㈱DDTプロレスリングの社長でもあるわけだから、2つのプロレス団体の社長を掛け持ちしていることになる。これはジャイアント馬場やアントニオ猪木にもできなかった芸当だ。

 ある意味、冒頭で紹介した『ストッパー』の主人公である三原心平よりも凄いことをしているわけである。高木三四郎は、漫画の世界を超えてしまったのだ。
 とはいえ、それでプロレス経営が上手くいくかどうかは別問題。むしろ、時代に逆行しているとも言えるだろう。
 果たして高木三四郎は、ノアとDDTの両団体を繁栄させてプロレス界に旋風を巻き起こすのか、あるいは両団体の合併となるのか、それとも共倒れになってしまうのか……。

▼創業者・三沢光晴の死後、プロレスリング・ノアは何度も苦境に立たされている
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