『あいつ今何してる?』で、アントニオ猪木が気になっていた2人

 アントニオ猪木がテレビ朝日系『あいつ今何してる?』という番組にゲスト出演した。番組のコンセプトは、ゲストにとって想い出の人が今、どうしているのか調査するというものである。
 猪木はご存じの通り、中学生のときに一家でブラジルへ移住した。その後、力道山にスカウトされ、日本に戻りプロレスラーとなった。
 現在の猪木が気になる人物とは、いったい誰なのだろうか。今回は2人が紹介された。


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地獄のブラジル生活で『よっちゃん』が唯一の救いだった

 最初に猪木が語る、気になっていた人は、ブラジルへ移住するときに知り合ったという、猪木より2歳年上の『よっちゃん』こと片山芳郎さん。
「片山さんとはブラジルでも仲良く遊んでたんですか?」というスタッフの問いに「遊んでないよ!」と即答する猪木。もちろん仲が悪かったわけではなく、朝から晩まで奴隷みたいな仕事だったから、遊ぶ暇もなかったのだ。

 生きていれば、現在は79歳になっているはずの片山さんに会うために、番組スタッフはブラジルのサンパウロ州アチバイア市へ飛んだ。日本から飛行機で27時間、到着した空港から車で2時間という、まさしく地球の裏側である。
 ブラジル南東部のアチバイア市には約7千人の日系人が住み、市場には日本食や調味料が売られており、街中には鳥居や日本語塾まであるという、日本とは縁深い街だ。
 スタッフが待ち合わせ場所に行くと、片山さんが待っていた。79歳とは思えないほど若々しい。現在は、10年ほど前から交際しているという、11歳年下で日系三世の女性と暮らしている。それが若々しさの秘訣でもありそうだが、他にも理由があるらしい。それは後ほどお伝えしよう。

 日本で少年時代を過ごした片山さんは、戦争で空襲などの体験をして、平和になった戦後も家業の会社の経営が悪化し、当時は夢の国と思われたブラジルに移住して一獲千金を狙ったのだ。このあたりのブラジル移住の経緯も、猪木とよく似ている。猪木の家も家業の会社が倒産して、一家でのブラジル移住を決意した。当時は延べ13万人が、日本からブラジルへ移住したのだ。
 まだ旅客機など発達していない当時、日本からブラジルへ45日かけて船で移動した。その船の中で、13歳の猪木と『よっちゃん』こと16歳の片山さんが出会ったのである。
 片山さんは、当時の猪木の印象を、こう語った。
「素晴らしい、無垢な少年だったと思います。悪い点は1つも見当たらなかった。いつもニコニコしてましたね」

 地球の裏側のブラジルは夢の国どころか、猪木家と片山家は地獄の日々を送る。コーヒー園の重労働は過酷を極め、夜逃げする一家が続出した。しかし、ティーンエイジャーの猪木と片山さんは、重要な働き手として一家を支える。
 その後、猪木一家は農業を辞めて青果市場に転身、猪木は陸上競技を始めて、砲丸投げと円盤投げで全国優勝した。これが、たまたまサンパウロに遠征していた力道山の目に留まり、スカウトされてプロレスラーになるべく日本へ逆輸入。猪木が17歳のときである。
 片山さんも、猪木が日本に戻ってプロレスラーになることは知っていたそうだ。そして、片山さんの父が、日本へ飛び立つ猪木を見送ることになる。

 猪木がプロレスラーとして走り始めた頃、22歳になった片山さんは、不動産会社にツテのあった猪木の兄の紹介により、アチバイアに東京ドーム約2個分の土地を購入した。そして、イチゴや菊の花を栽培するようになる。『奴隷生活』ではなくなったわけだ。
 33歳のときに、同じ日本人移民の女性と結婚。3人の息子をもうけて、幸せな暮らしを送った。

 しかし、50歳になった頃に農業が思わしくなくなり、片山さんは家族をブラジルに残して独りで日本へ出稼ぎに行くことになった。日本の会社に勤務し、やがて3人の息子も日本へ来て働くようになる。
 だが、日本で約12年勤務したあと、63歳のときに再びブラジルへ戻った。ブラジルの農地を独りで守っていた妻のためだが、まもなく妻は癌に侵され、他界してしまう。最愛の妻を亡くし、悲しみに暮れた片山さん。しかし、片山さんが笑顔を取り戻すきっかけがあった。
 それは、中学生の頃に打ち込んでいた卓球である。約17年前に仕事をリタイアした片山さんにとって、卓球は最大の楽しみとなった。2008年と2009年には、ブラジル日系人のシニア大会で、団体戦での全国優勝を果たしている。前述した、片山さんの若さの秘訣とは、卓球のことだ。

 最後に、片山さんは『よっちゃん』のことを語る猪木のVTRを見て、こう言った。
「よく憶えてるなあ。(ブラジルでは)遊んでないよね。やっぱり(猪木も)『奴隷』って言ってます。私より記憶力は上ですわ。(猪木は)中学生だったのに、あれだけの過酷な生活の中、耐えてよくやったと思います」
 ブラジルでの猪木家と片山家は、家族ぐるみの付き合いだったという。片山さんは、猪木の母から言われた一言を、今でも大切にしているそうだ。
「たとえ貧乏な生活をしても、心の貧乏人にはなるな」

 もちろん片山さんは、プロレスラーとしての猪木の活躍を嬉しく思っている。今回、猪木が会いたい人の中で『よっちゃん』の名前が出たことについては、
「何で名前が出たのかなあと思って、ビックリしてます。ありがとうございます。私のことを憶えていてくれて」
と語った。

 さらに片山さんは、車でスタッフを空き地まで連れて行った。ここは以前、農地として利用していた場所である。
 ここに片山さんは、今回の記念としてアボカドを植えた。
「彼とは2年ぐらい一緒に暮らして、本当に素晴らしい少年でした、このアボカドの実が成ったら、猪木さんに贈ります」
 片山さんの姿をVTRで見て、猪木の目には光るものがあった。

▼ブラジルでの生活は地獄だったが、『よっちゃん』との出会いはかけがえのないものだった

日本とパラオの懸け橋となったエミさん

 次に登場する、猪木の気になっている人は、パラオのエミさんという女性。猪木とパラオの関係は、プロレス・ファンならよくご存じだろう。そのキッカケとなったのが、エミさんの存在だ。
 エミさんは、18歳のときにパラオから東海大学に留学し、そのときに猪木をテレビで見てファンになったんだそうだ。エミさんの父はパラオで区長を務めており、エミさんが試合会場で猪木に話し掛け、パラオに招待することになった。

 パラオでは日の丸で猪木を盛大に迎え、エミさんの父は、
「我々は貧乏なのでお土産がないんです。でも、島はいっぱいあるから、どれでも好きな島を選んでください」
と言った。そして、猪木の選んだ島が『イノキアイランド』と名付けられる。後に、ロックアイランドが世界遺産に登録されたが、その中心にあるのがイノキアイランドだ。その後、猪木は新日本プロレスのレスラーたちを何度もイノキアイランドに連れてきて、『闘魂猪木塾』と称してトレーニングを行っている。

 パラオはフィリピンの東側に位置し、直行便だと日本から約5時間で行くことができる。80年ほど前までは日本の統治領だったパラオは、当時は日本人が約1万5千人も住んでいたこともあって親日国家としても知られており、日本語が生活に溶け込んでいるほどだ。
 たとえばパラオには『ツカレナオス』という言葉があり、それは『ビールを呑むこと』を意味する。どんなに疲れていても、ビールを呑めば『疲れ治す』、即ち元気になるというわけだ。
 もちろん、アントニオ猪木はパラオでも超人気者。「1、2、3、ダァー!!」の掛け声も、パラオの住民は誰もが知っていた。

 番組スタッフは、パラオでエミさんに会った。エミさんは現地人だが、考えてみれば『エミ』という名前も、日本人女性そのものである。スタッフを出迎えたエミさんは、
「猪木さんはどこ? えー、いないの!? 私は猪木さんと話したいのよ」
と、テレビ番組の仕組みが判っていないようなことを言った。
 エミさんの家には、猪木は何度も訪れたという。猪木に食事をふるまった後、一緒にいた人たちは一列に整列し、猪木が行うのはなんと闘魂ビンタ。みんな、猪木に闘魂ビンタを注入されることを喜んでいるのだ。猪木にビンタを食らうと、当然のことながらみんな倒れる。パラオでなければ、国際問題に発展するだろう。

 その後、エミさんはスタッフを車で、幼い頃に住んでいたという家に連れて行った。
「ここには猪木さんも何度か来たことがあるわ。他にも藤波辰爾さん、ストロング小林さん、タイガーマスクさんらが来て、ココナッツ・ジュースを父と飲んでいたわ」
 そう語るエミさんだが、番組内で映し出されていたのはなんと、エミさんを挟んで藤波と共に写っているジャンボ鶴田の写真。鶴田がパラオに来ていたいきさつの方が、個人的には興味がある。それとも、エミさんが来日したときに、鶴田や藤波と一緒に写真を撮ったのだろうか? 番組では、そちらを説明して欲しかった。

▼ジャンボ鶴田も、アントニオ猪木や新日本プロレスのレスラーと共にパラオを訪れていた?
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 続いて一行は、イノキアイランドへ向かった。イノキアイランドは1周約9kmの無人島だが、観光スポットして多くの観光客が訪れている。
 猪木は現役時代、ここにレスラーを連れてきて特訓をしていたが、猪木らが来る前にエミさんの両親がイノキアイランドにやって来て、掃除をするなど迎える準備をしていたという。

 イノキアイランドでエミさんは、エミさんについて語る猪木のVTRを見た。「(エミさんは)今は70歳ぐらいかなあ」と猪木が言っている部分を見て、
「猪木さんは私を同級生みたいに言ってたけど、私はまだ62歳よ!」
と大笑いした。しかしスタッフが「パラオとの交流はエミさんがキッカケだと仰ってましたね?」と訊くと、
「私は、猪木さんがいた昔に戻りたい。もっと彼に寄り添ってケアできたかも知れないけど、父が亡くなってからは子育てや仕事が多忙になって、サポートができなくなった……。許してね」
と、しんみり語り、涙を流した。
 エミさんの父は、猪木にはノンビリできるプライベートな場所が必要と考え、猪木に無人島のイノキアイランドをプレゼントしたのだ。せめてパラオでは、ゆっくりして欲しい、と。

 今回、猪木から『今、何をしているのか、気になっている人』としてエミさんの名前が挙がったことについては、
「とても光栄で、恵まれていると思います。彼はいつも私たちを受け入れてくれたのだから、それは今後も続くと信じてるわ。猪木さんに、心からありがとうと言いたい。I love you,Inoki」
とエミさんは語った。

 エミさんのVTRを見て、猪木は、
「エミさんがどうしてるのか心配してたけど、お元気で良かった。今日はこのVTRを見て元気を貰ったというか、自分の中に叩き込めました」
と、エミさんの元気な姿を見て嬉しそうだった。

▼「元気ですかー!」のアントニオ猪木は、今回はエミさんから元気を貰った


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