[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第58回 リッキー・スティムボート トロントでの初取材で「日本でもブレーク」を確信

[週刊ファイト10月31日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
Top画像:スティムボートお母さん伊藤孝子さんと井上譲二記者

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第58回
 リッキー・スティムボート トロントでの初取材で「日本でもブレーク」を確信
・米マット特派員時代の私が「日本でも大人気を博す」と確信
・スティムボートの試合を取材し単独インタビューに成功したのもトロント
・藤波辰巳(当時)とマスカラスを足して2で割ったようなタイプ
・離婚貧乏になることもなく悠々自適の生活を送っている


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リッキー・スティムボート、井上譲二記者、ジェイ・ヤングブラッド(故人)


2017年、カリフラワーアレイクラブでリッキーとサージャント・スローター

 情報の先取りをウリにしていた『週刊ファイト』にとって、米マットでブレーク中の未来日の強豪を読者に紹介することも非常に重要だった。しかし、ニュースターを“発掘”するだけでなく、そのレスラーが日本でもファン受けするかどうかを見極めなければならない。そうなると数は限られてくるが、米マット特派員時代の私が「日本でも大人気を博す」と確信した1人がリッキー・スティムボートだった。

 カナダ・トロントにあるメープルリーフ・ガーデンは、『ファイト』特派員時代の私が最も多く足を踏み入れたプロレス会場の1つ。拠点を置くニューヨークから飛行機でわずか1時間で行けることもあったが、それ以上に米マットのスター選手を中心とした豪華カードが組まれていたのがその理由だった。

 プロモーターは古くからのNWAメンバーであるフランク・タニー氏。ところが、ポール・ボーシュ氏が興行権を持つテキサス州ヒューストンとトロントだけはNWAのテリトリーの中で“治外法権”になっており、メープルリーフ・ガーデンでボブ・バックランドvs.ニック・ボックウインクルのWWF&AWA世界ヘビー級Wタイトル戦が行われたこともあった。

 タニー氏はその一方で70年代終盤ごろからジム・クロケット・プロモーションとの提携を強化しNWA系の大物レスラーも月1回のトロント大会に投入していた。

 1979年秋、私が初めてリッキー・スティムボートの試合を取材し単独インタビューに成功したのもトロント。デビューした(76年2月)AWAや南部マットでの下積みを経てクロケット・プロの地盤、ミッドアトランティック地区に入った直後だった。

リッキーは開始早々に超高速アームホイップを連発し、中盤のハイスパートに入ると対戦相手とともに絶妙のタイミングでロープ間を飛び交い、2度目の馬跳びの着地直後にカウンターチョップ。このときのウイニングショットはトップロープからのフライング・ボディーアタックだった。


09年のWWE日本公演では試合も行ったリッキー

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