映画『アイアン・シーク』ついに字幕公開!ロック様用語ジョブロニ元祖

 2014年の映画『アイアン・シーク』が、ついに日本でも劇場公開された。わずか一日だけとか、鈴木みのるのトークショーとのセット・イベントにしてなんとかという体裁ではあるのだが、一般公開には違いない。数の上では洋画専門チャンネル放送とか、最初からDVD発売のみというのが数の上では圧倒的なのだ。いや、それどころか、字幕をつけられることもなく、入手すらできないタイトルがイチバン多いのが現状である。ましてプロレスを扱ったドキュメンタリー作品の場合、日本だと利害関係のある団体がかかわっていると、ケーフェイを出しているので不味いということでお蔵入りというケースも少なくないのだ。女子プロレス団体『GAEA』のドキュメンタリーもそうだった。
 しかるに映画『アイアン・シーク』である。北米では公開後に超高評価だったものの、すでに膨大になっている日本では字幕版すら存在しないプロレスを扱ったドキュメンタリー作品のリスト入りだと思い込んでいた。ところがである。なんと劇場公開というのだから、まずそこにたまげたのだ。配給シネマハイブリッドジャパンの英断には感謝しかないが、採算合うのだろかと懸念したのも仕方ない。

 ブッチャーとの極悪コンビで一世を風靡したザ・シークと違って、日本ではあまり馴染みがない。なにしろ、近年で覚えられているのはアマレスの実績があるということで、1992年にUWFインターナショナルに招聘されて安生洋二と対戦したくらいか。新日本プロレスにも全日本プロレスにも来日はしているんだが、後者は日本ではレジェンドのザ・シークがいるから、リングネームは本名のコシロ・バジリにされたという・・・。だいたい、試合自体はキャメル・クラッチとスープレックス、サバ折りを組み合わせるだけなんで、単純大味な展開は日本のファンには受けず、テレビマッチにも登場しなかったツアーばかりという扱いである。

 しかし、腐っても鯛というか1979年11月にイランで発生した、アメリカ大使館に対する占拠及び人質事件をきっかけにブレイクする。映画でも同僚のジェイク・ロバーツが語る通り、なんでも10倍に歪曲してリング上のギミックにしてしまうWWF(現WWE)だから、反ホメイニ師の政治情勢を背景に、アメリカを卑下してイラン国旗を振るだけで、ブーイングを浴びるという役割をアイアン・シークは延々と演じることになった。相棒は音痴でロシア国家を歌うニコライ・ボリコフである。はっきりいって、それだけで十分であり、試合はどうでもよかったのだ。そう映画はHEELというテロップが出て、「悪役のこと」との用語解説から始まる。そして、最後にBABYFACEというテロップになり、良くも悪くも人々の記憶に残ったから、最後は究極のベビーフェイスに。一緒に写真撮ることをファンにせがまれるアメリカン・ドリームの体現者になるという、人生の逆転劇を描いている作品なのだ。
 もっとも、この作品の企画が持ち上がったのは2008年のことである。その復活劇はYouTubeやTwitterを活用して辛口ご意見番をやり出したから、人々の記憶を蘇らせたという、まさに今の時代の物語であり、映画製作のやり方もまた、クラウドファンディングによってドキュメンタリーの資金が募られ、ようやく2014年に公開となった。巡り巡って2019年に字幕サブタイトル版が日本で劇場公開されるという、なんかそれだけも壮大な叙事詩なのかも知れない。

 但し、生身のコシロ・バジリは聖人君主ではない。なにしろ、前出ジェイク・ロバーツと並んで業界では有名なくらいのコカイン中毒者になってしまい、ファンに10ドルのポートレイトを売りつけては、すぐその金をドラックに変えてという、落ちるところまで落ちていたことでも知られている。

 もっとも同情すべき事件もあり、米国人妻と3人の娘に恵まれたものの、最愛の長女がボーイフレンドに2003年に刺殺されてしまうという痛ましい不幸を負ってしまい、さらにドラック漬けの度合が激しくなってしまうのであった。

 時系列に戻すなら、たとえ当時毎月のMSG定期戦のわずか1ヶ月間の王座保持ながら、元WWF王者という肩書を死ぬまで使えるというのが、いかに大きいことか。もっとも、ゲイで知られるプロモーター=ジム・バーネットのポコチンを舐めたから、一週間だけNWA世界王者にしてもらえたトミー・リッチもいるから、その後に肩書をどう使うかなんであるが・・・。

 1983年12月のMSG定期戦でボブ・バックランドから王座を奪い、翌年1月のMSG定期戦でハルク・ホーガンのレッグドロップ一発に沈んでいる。Wikiとかも正確でないから5分とかになっているが、それは前後を入れた時間で実際には秒殺だった。歴史上は、ここからハルクマニア現象が始まったことになる。
 ちなみに、映画では、バックランドがハルク・ホーガンに負けることを拒んだから、シークが王者になったと簡易的に説明されるんだが、そんなことはない。なにしろ記者は当時マンハッタン在住の記者であり、今やMSG定期戦時代のも、全部ではないがWWEネットワークにアップされているから、記者がリングサイドでカメラを構えている姿の証拠も映像で確認できるのだ。
 当時、ベビーフェイスからベビーフェイスへの王座交代では面白味がないから、そこにヒールの「繋ぎ王者」をかませることは珍しい手法ではなく、どこでもやっていた慣例に過ぎない。また、自称ヒストリアンと称される、現場を知らないのに知ったかぶって昔話をああだ、こうだと書く輩は日米ともに少なくない。「バックランドはシークのキャメル・クラッチにタップしてないのに、コーナーのアーノルド・スコーランが会社の意向を受けてタオルを投げたので王座移動になった」と、大笑いの歴史を記しているのも見かけたが、事実ではない。なにしろ記者は毎月、そのスコーランが仕切るホーランド・ホテルのWWF簡易出張オフィスというのか、娼婦がたむろする異常に汚い、しかも当時まだ危険だったタイムズスクエアの西の端にあるボロのホテルに、当日のプレスパスを貰いに通っていた。また、ラ・ミロンガという、アルゼンチン・タンゴを生演奏するラテン系バーに、アンドレ・ザ・ジャイアントと一緒にスコーランはよく来ていたから、記者は何度も行っている。そのバンドの1名はのちにAIDSで亡くなった日本人という縁もあったからだ。記者の方が詳しいに決まってるじゃないかという・・・。

 まぁ、そんなことはどうでもいいんだが、ドキュメンタリー作品にウソがあると問題ではあるんだが、簡易的な説明なんでギリギリ許される範囲だろうか。また、わずか1ヶ月政権というのは映画には当然出てこない(笑)。バックランドは別に拒んでなんかいない。親父ビンス・マクマホン・シニアが、ジュニアに政権を移行させて隠居モードに入った段階で、バックランドは時代が終わったことを自覚していた。もっとも、NWA世界王座に関しては、ファンクス兄弟、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデスで回す際に、「(嫌味な鼻ツン野郎の)ジャック・ブリスコに落とすのだけは嫌」がまかり通って、繋ぎに出番が来たことはあったんだが・・・(笑)。

 アイアン・シークを語る際に、専門媒体的な最大の事件は、そんな繋ぎ王者の経験でもなんでもなく、1987年にハクソー・ジム・デュガンと一緒に飲酒運転で逮捕されたことだろうか。シークがビールを買ってデュガンが大麻をやりながら運転、シークの財布からはコカイン発見だったからだ。
 ただ、今のファンには2つのことを説明する必要がある。1つは、ステロイドが当時は違法となっていなかったことと合わせて、飲酒運転は古今東西問わず不味いことなんだが、大麻も少量コカインも、まぁいいじゃないか程度という時代だったこと。もちろん、シークはその後、コカイン中毒になっていくから、さすがにそれはヤバイことなんだが、この時発見されたのは少量であり、実際、二人は保釈されてアズベリーパークの大会に遅れてギリギリ間に合い、何事もなかったかのように対戦しているのである。
 ではなにがWWFを揺るがす大事件だったか。それはリングでは激しく対立する愛国者キャラのデュガンと、イランの嫌われ者シークが、仲良く一緒の車で会場入りしようとしていたことがバレたことにある。実際、現地に住んでいた記者は、それが大問題になって大騒ぎだったことを鮮明に覚えている。つまり、もう1つの説明の必要はケーフェイなのだ。最近ファンになった方は、WWEはなんかずっと昔から舞台裏にオープンで、良くも悪くショー丸出しの試合をする団体だと勘違いされているように見受けるが、当時は日本と同じでそうではなかったのだ。
 ファンに見られるから厳しく、「ベビーとヒールが一緒の車で会場入りすることはご法度だ」と伝達されていたハズで、社内ルールを破ってしかも飲酒運転で捕まってと、少量のコカインや大麻が問題だったわけではないのである。

 その後、税金の問題が浮上して「スポーツではない、エンタテインメントでございます」と正式に裁判の席でカミングアウトとか、90年台になってから状況が変わっていき、のちに「スポーツ・エンタテインメントだ」と開き直ることで市民権を得る。やがては株式上場に上り詰めていく米国と、昔の教えに縛られて没落していく日本との対比は本稿ではやらない。ただ、1987年の飲酒運転逮捕事件が、いかに一般紙にも大きく取り上げられて、悪役と善玉が実は仲良しということがオモテに出て騒動だったことか。正直、アイアン・シークと言えば、ホーガン時代の始まりのための繋ぎ王者だった選手というより、「プロレスはやっぱりフェイク!」と書き立てられた飲酒運転事件の当事者ということは、このドキュメンタリー作品を評する上では避けて通れない。映画では、事件の顛末箇所をアニメの再現ドラマにしていたが、ちゃんとWWE殿堂入りしたデュガンにも話を聞いており真面目で公平な作品でもある。

 ドラックに溺れていく映像にも家庭にカメラが入って斬り込んである。見ているのも辛くなるんだが、そこに現れたのが、昔のテヘランでのスポーツ選手仲間の息子であり、のちにマネージャーとなり、アイアン・シーク認知を蘇生させていくという時系列だ。SNS時代というのを利用してベビーフェイス・ターンしていく様子は、今回劇場に来られなかった方はいずれ発売されるであろうDVDを買いましょう、と宣伝しておくに留める。こういうリアルのターン劇がやはり感動を呼ぶのであって、テレビ番組上の無理やりのターンがファンの不評を買ってとかは、長くなるので本稿ではやめておこう。

 あと、ドキュメンタリーだろうがなんだろうが、有名選手が出ていることは商売を思えば重要である。ロック様用語の「ジョブロニ」が、アイアン・シークの口癖から学んだというのは、この作品のもう一つのハイライトであろうか。ロックも「今やポップ・カルチャーにまでなっているが、元は外部には漏らしてはいけない業界隠語であり・・・」と、シークが「ジョブロニに成り下がるな」と励ましてくれたから、今の俺様があるという逸話である。もっとも、このパターンからだと、今のところ「スマックダウンという用語を最初にビンスに提言したのはこの俺様!」となっているのだが、何年かたったら、「あれは実は○○が言っていたのを耳にして」とやっているのかもだが、それはまぁ許そうじゃないかという・・・(笑)。

 その他、ベビーフェイスになってからの俳優ジャック・ブラックら一般のセレブたち含めて、ハルク・ホーガン他大勢の選手たちが証言しているドキュメンタリー作品であり、必見作であることは再度強調して足りない。マニア諸氏なら、あれも出ている、これもいたと気が付くハズで、どこかのコンベンション会場には2016年に亡くなったミスター・フジの車椅子姿も発見できた。
また、コシロ・バジリが1956年メルボルン五輪のフリースタイルでイランに最初の金メダルをもたらした最初の国民的ヒーローであり、1968年に自殺により亡くなったとされるゴラムレザ・タクティーとずっと一緒にいて、彼の死から米国移住の決断となった経緯は映画で学んだことである。娘に証言させるまでもなく、実はアメリカを最も愛したアイアン・シークなのであった。

■ 映画『アイアン・シーク』&鈴木みのる選手のハイブリッドトーク
日時:10月15日(火) 
会場:シネマート新宿 
© 2015 THE SHEIK MAGEN BOYS ENTERTAINMENT. ALL RIGHTS Reserved.

 今回の一回限りの劇場公開。やはりリアルタイムでシークを見ている方が日本では少ないと判断されたのか、鈴木みのるのトークイベント付きという体裁であり、実際、記者と同世代と思われる客がいなかったわけではないが、劇場は満杯にはならなかったし、鈴木みのる目当ての参加者もいたとは思う。そちらはTERUZ記者が別項リポートしているので重複はやらないが、「俺は悪役じゃない」と話していたのは笑えた。


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