ハンセンとデストロイヤーが、阪神の助っ人バースの車を破壊!?

 9月29日(日)、阪神タイガースのランディ・メッセンジャー投手が阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で引退試合を行った。日本通算98勝、100勝まであと2勝を残しての引退である。
 奇しくもメッセンジャーが引退表明した直後、やはり阪神で100勝を達成したジーン・バッキー氏の訃報があった。バッキー氏は1960年代に助っ人投手ながら阪神のエースとして活躍し、1964年には29勝(現在のプロ野球ではまず不可能な勝利数である)を挙げて阪神の優勝に貢献、外国人投手として初の沢村賞を受賞した。
 メッセンジャーとバッキー氏は、親子というよりお爺ちゃんと孫ほどの年齢差があるにもかかわらず、連絡を取り合う仲だったという。メッセンジャーは来日してから、阪神の外国人投手の先輩としてバッキー氏の存在を知ったそうだ。バッキー氏は、自分が生きているうちにメッセンジャーの100勝を心待ちにしていたが、その願いは叶わなかった。

 さて、なぜ本誌で阪神の外国人投手のことを取り上げるのか? それは、プロレスラーと阪神の外国人投手との間には、奇妙な繋がりがあったからである。


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阪神に受け継がれる、長身外国人投手の系譜

 メッセンジャーとバッキー氏には共通点がある。長身という点だ。メッセンジャーは身長198cm、バッキー氏は191cmである。バッキー氏の方は、たとえば同じ阪神の藤浪晋太郎投手などは197cmだし、そう大して背が高くないように思えるが、それは今の感覚だ。
 1960年代以前は、日本人投手で身長180cmもあれば長身投手と言われた時代(読売ジャイアンツの馬場正平投手を除く)。その中で191cmと言えば、雲をつくような大男だったはずだ。
 そんな中で、バッキー氏のような大男がマウンドに立つと、日本人打者から見れば2階から投げ下ろされるような感覚だったに違いない。

 阪神の外国人にはもう一人、忘れられない長身投手がいる。1985年に来日したリチャード・ゲイル投手だ。1985年と言えば、阪神ファンにとっては忘れられない年だろう。バッキー氏が29勝して以来21年ぶりのリーグ優勝、そして2リーグ分裂後では初の日本一になった年だ。
 ゲイルはこの年、13勝を挙げて阪神の優勝に貢献し、日本シリーズでも第6戦での完投勝利で日本一を決めて、阪神ナインから胴上げされた。
 ゲイルの身長は198cm。メッセンジャーと同じである。ゲイルもやはり、長身投法で日本人打者を幻惑した。

 ただ、この年に注目された阪神の外国人選手はゲイルではない。打撃三冠王に輝いたランディ・バースだ。いくらゲイルが13勝を挙げたと言っても、バースの活躍には遠く及ばない。ゲイルの防御率は4.30と決して良くはなかったのに、13勝も挙げることができたのは日本最強と言われた猛虎打線の援護のおかげ、特にバースの大爆発があったからだ。

 バースは日本シリーズでも大暴れ、MVPを受賞した。獲得した商品はトヨタのロイヤルサルーン、高級車である。とはいえ、バースほどの大物外国人選手なら、ベンツぐらいは乗っていそうだし、あまり喜ばないのではないか? ところが、バースは大喜びした。しかも、喜び方が他の人とはちょっと違う。
「これで、ゲイルを送り迎えできる」
 この頃、バースが乗っていたのはホンダのアコード。アメリカ人には、どう考えても小さすぎる車である。しかもバースは、自宅からゲイルの家に寄って、甲子園まで送っていたのだ。バースとゲイルのような大男が、体を縮こまらせてアコードに乗り込んでいたのである。
 ところが、アコードが潰れてしまったために、バースはゲイルを送迎できなくなったのだ。

実質マイナー・リーガーで来日したバースの愛車を潰した大男たち

 バースは2年前に来日しているのに対し、ゲイルは初来日。ゲイルは日本に不案内なのだから、最初のうちならバースが甲子園へ送迎していたのは判る。それにしても、なぜ『史上最強の助っ人』バースが、アコードのような車(決してアコードが悪い車と言っているわけではなく、バースの巨体に対しては小さすぎる、という意味です)に乗っていたのか?
 そして、なぜ『史上最強の助っ人』バースが、ゲイルの運転手のようなマネをしなければならなかったのか?? シーズン途中からは道を覚えたゲイルに運転させて、バースは寝ているだけでもよかったはずだ。少なくとも、日本での成績はバースの方がゲイルよりも遥かに上なのだ。

 その理由は、アメリカでの実績の違いからである。バースはアメリカではメジャー・リーグに定着できず、メジャーでの通算ホームラン数は僅かに9本。実質的にはマイナー・リーガーだった。だから、そう贅沢はできない。日本でもいつクビになるのか判らないバースは、移動手段として手頃な値段のアコードを手に入れたわけだ。
 そこへ、阪神にゲイルがやってきた。ゲイルはメジャーでは通算55勝。実績充分のメジャー・リーガーと言っていい。外国人選手にとってのランクは、日本の成績は関係なくメジャーでの実績が全てである。要するに、ゲイルにとってバースは格下に過ぎなかったのだ。
 しかも、バースとゲイルは同い年だが、1978年にメジャー・デビューしたゲイルはカンザスシティ・ロイヤルズでいきなり14勝。一方のバースは同じ年、同じロイヤルズで僅か2試合の出場に留まった。チームメイトのタメなのに圧倒的な差。バースがゲイルに従うのは当たり前だったのである。だからゲイルは、バースに対して「俺が投げる時は、ホームランを打たないと殴るぞ」と脅していたぐらいだ。バースの、85年の突然の大爆発は、ゲイルのおかげかも知れない?

 バースの愛車アコードは、日本シリーズの直前に動かなくなってしまった。それは、ゲイルの他に、2人の大男の責任だったのである。
 その2人の大男とは、スタン・ハンセンとザ・デストロイヤー。2人はバースが来日した頃から、懇意な間柄だった。バースと仲良くなったハンセンとデストロイヤーは、甲子園に出没するようになる。当然、バースのチームメイトとなったゲイルと、ハンセンおよびデストロイヤーが近しくなるのは自明の理だ。

 そして、バースのアコードに、ゲイルとハンセンとデストロイヤーが乗り込んだ。想像して欲しい。アコードにハンセン、デストロイヤー、バース、ゲイルが乗った姿を。当然、アコードはプスプスッと悲鳴を上げ、やがて動かなくなり、その一生を終えた。バースは別にして、ゲイル、ハンセン、デストロイヤーが、アコードのデストロイヤー(破壊者)となったのである。

 バースがトヨタの高級車を手に入れた喜びがよく判るだろう。というより、ハンセンやデストロイヤーは日本で稼ぎまくったのだから、バースにキャデラックぐらい贈ってもバチは当たらないと思うのだが……。
 特にハンセンなんて、バースと同じくアメリカでは日の目を見ず、日本で大ブレイクしたという共通点があるので、バースの気持ちはよくわかるはずだ。

 そう、メッセンジャーもバッキー氏も、アメリカではメジャーの実績はほとんどなかったのである。

▼ハンセンが潰す相手は、バースの愛車アコードではない!


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’19年10月03日号鬼神ジェイDESTRUCTION神戸 北米バブル秋TV改編 中川達彦 長州地獄