[ファイトクラブ]プロフェッショナル有名無実時代のプロレスと仕事論~7・26 SEAdLINNNG

[週刊ファイト8月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼[ファイトクラブ]プロフェッショナル有名無実時代のプロレスと仕事論~7・26 SEAdLINNNG
  Photo & Text by こもとめいこ♂
・日本吉本興業化の現実
・素人インフルエンサーとプロレスラー
・好きを仕事にの理想と現実
・「楽しい事ばっかり」興行、世志琥の名人芸

 吉本興業が連日、テレビやネットで話題となっている。発端は、“人脈芸”の所属芸人、カラテカ入江の紹介によって、同じく所属芸人の宮迫博之と田村亮他数名が特殊詐欺グループと関わりを持っていたというスキャンダルである。
 発覚当初、ギャラの受け取りを否定していた宮迫と田村の証言が虚偽だった事が判明し、非常に強くバッシングを受ける事になっていった経緯があるが、この間、吉本に対する若手芸人からの突き上げもあり、次第に吉本興業の企業体質にも批判が向けられる事となった。
 そして7月20日AbemaTVで生中継された宮迫博之と田村亮による謝罪会見と、それを受けて行われた吉本興業の岡本昭彦社長の会見のグダグダっぷりで世論は逆転。
 テレビでは、吉本のタレントや元マネージャーが連日出演し火消しに躍起だが、ネットの方では、
1上場を廃止した吉本の大株主が今や主要テレビ局や広告代理店である。
2養成所ビジネスの結果として6000人ものお笑い芸人予備軍を抱え、書面の契約書も交わさず、正当なギャラも支払っていない。
3政権と癒着し、選挙期間中に総理を新喜劇に登場させるなどする一方、クールジャパンなどで多額の税金を投入されている。
4そもそも入江主催のイベントに特殊詐欺グループのフロント企業がスポンサーについており、その運営に吉本興業も関与していたのでは無いかという疑惑。
などの要因で、吉本興業から政権与党まで幅広く非難の対象となっているのが7月末の現状である。
かつて大阪の一演芸事務所だった吉本興業が、終演する MANZAI ブームと逆に全国に拡がり、政権の浮沈をも担う一大メディア・コングロマリットとなったのは大崎会長の豪腕故だが、その舞台袖の幕をめくると、反社会性力とも持ちつ持たれつでやっていた大昔の興行事務所の体質の ままというところが今回の騒動の本質であろう。
 かつては師匠に弟子入りして修行に励み、次第に笑いのプロとして成長していくというプロフェッショナルを養成する仕組みがあった訳だが、現在吉本の中堅以下の芸人は、おおむね吉本の養成所の何期生…と紹介をされる。お笑い芸人のなり方がシステマチックになっていて、こうすれば人は笑う、という仕組みを教える機関があり、見る側にもこういう事があったら笑うという吉本システムがあまねく世間に伝播されているのが現状だと思う。そしてそれを伝播したのはやはりダウンタウン、とりわけ松本人志であった。
 ひょうきん族全盛期、ビートたけしがかつての浅草時代の売れっ子先輩芸人について記した文章があったが、当時はテレビで売れっ子になった先輩芸人達は、数年でおおむね才能を使い果たし、早逝したり寂しい晩年をおくっていた。
 たけしはかつて憧れだった萩本欽一が笑えないタレントとなった事を嘆き、自分がそうなる事への恐怖を吐露していた。
 芸人をニュース/バラエティのコメンテーターとして起用したエポックメーキングは『TVスクランブル』の横山のやっさんだったと思うが、インテリだったたけしが“文化人”の枠に入ってい ったのは、すり減る自身をお笑いの階層からズラす狙いがあった様に思う。たけしの目論見は、映画監督となる事で一気に達成されるのだが、一方でお笑いに関しては『たけし軍団』もやはりテレビ・演芸における発明として特筆すべきシステムだと思う。 

たけし軍団・水道橋博士

 すり減った自身を立てる存在を番組内に配し、「殿」と呼ばせ、自分は軍団の様子を笑う立場に いるという仕組みがなければ、ビートたけしという稀代のトリックスターをもってしても果たし てお笑いの第一線に居続けられたかどうか。

 東京に進出した松本人志・ダウンタウンが吉本色を前面に押し出してきたのがいつからか解らないが、東野幸治、今田耕司他、吉本芸人を上から見て笑う立場にシフトしたのは、たけし軍団を踏襲したものであろう。それが松本人志と吉本双方にとって覇権を握るに合致した仕組みだっ た事は、例えば同世代のとんねるず、ウッチャンナンチャンが、よほどのファンで無ければ所属事務所を知られていない(とんねるずは個人事務所アライバル、ウッチャンナンチャンはマセキ 芸能社)である事をかんがみれば明白だと思う。
 たけし軍団は、入団にあたっても考え直すよう説得し、いざ入団しても非情なパワハラ体質で定着する事にかなりのハードルがあって尐数精鋭のままだった。それに対し、養成所で指導して 若者をどんどん事務所に所属させた吉本との差は歴然。
 その多人数システムが例えばバーターで出演させるひな壇芸人を産み、大勢の中から誰かが残るシステムにとにかく乗せる事が出来るテレビ・バラエティを産み、世間に浸透させてきた。
 かつて永六輔さんが、全盛期の林家三平師匠の高座から転がり落ちてまで笑わせていた姿勢が演芸界を変えた事を、
「みんな三平になってしまった」
といってテレビの演芸を嘆いておられたそうだが、その言葉を借りれば、平成以後のテレビは
「みんなダウンタウンになってしまった」
と言えるのかもしれない。
 養成所さえ出て、食えない事を我慢すればお笑い芸人の末席に名を連ねられるという仕組みは 素人の演芸参加の敷居を極限まで下げたと言える。
 その、「素人でもフォーマットにのっとって変な事すれば面白い」という下地が、2000年代にニコニコ動画の素人による配信動画サービスをビジネスとして成立させたのは確かだろう。そして日本においてそのニコ動に圧倒的に凌駕されていたYouTubeが、スマートフォンシフトの波に乗り、パートナープログラムという素人の為の受益可能な動画投稿事業を2012年に世界展開させ、YouTuberという素人芸人を世界中に誕生させたのだ。
 2010年代、デジタルデバイスの高機能低価格化と、通信インフラの高速大容量化というハード面での進歩が、世界を吉本化させたとも言え、そういう意味では吉本が現政権と癒着していくのも必然であったとも言える。

堀江貴文氏

 というエンターテイメントにおけるプロフェッショナルの陳腐化が著しい現在、プロレス・格闘 技の世界はやはり誰でもがなれるわけではないという聖域であるのは間違いない。吉本が女子プ ロレス進出を目論んだ Jd’で失敗し、撤退を余技なくされたのは象徴的ではある。
 ホリエモンが「アニメなんて誰でも造れる」「声優なんて誰でもなれる」というのと同じ温度で 「素人の格闘技でも感動できる」と言ったのは、1をみて10を知った気になる彼らしい誤謬。
 真剣に殴り合うのは確かに素人でも可能ではあるが、スアキムの額を叩き割った神童の試合は、スアキムと神童のそれぞれの長いバックボーンがあり、KNOCK OUTのリングでの神童の判定勝ちと、試合後のスアキムの苛立ちとを踏まえて語られるべきものであって、ちょこちょこっとかじ った素人同士の流血戦とは似て非なるものである。
 ましてやプロレスとなれば、例えば素人でもヨシヒコや脚立と闘う事はできそうだが、プロレスとして成立させて拍手を得るのは、人間同士のプロレス以上にレベルの高い技術とエンタメ性が要求される。


 
 7月26日にSEAdLINNNGの世志琥が26歳の誕生日を新木場の興行という最高の舞台で祝った。
 世志琥を初めて認識したのは、未だデビューしたて、世IV虎当時の2011年9月のテレビ・バラエティ『銭形金太郎』だった。
 アイドル好きのいかつい風貌でオチに使われて怒っていたのが印象的な世IV虎はスターダムの新人王に輝いてまさにスターダムを駆け上がっていったが、一度は引退、ロッシー小川氏は 「プロ失格」と世IV子を叱ったと言う。

世IV子に扮した高橋奈七永

記事の全文を表示するにはファイトクラブ会員登録が必要です。
会費は月払999円、年払だと2ヶ月分お得な10,000円です。
すでに会員の方はログインして続きをご覧ください。

ログイン