3年ごとの夏に行われる参院選、レスラー達が味わった悲喜こもごも

 7月4日、第25回参議院議員通常選挙が公示された。7月21日に投開票が行われる。
 政治家を志すプロレスラーは多い。その先駆者となったのはアントニオ猪木だろう。猪木はスポーツ平和党を結成して1989年の第15回参院選に比例区で出馬、『国会に卍固め、消費税に延髄斬り』という意味不明のキャッチフレーズで見事に当選した。
 その猪木も、任期切れとなる今回は不出馬を表明。遂に政界から引退することになった。考えてみれば初当選したのは平成元年だったから、猪木の政治家人生は平成と共に始まり、平成と共に終わりを告げたわけである。

 猪木の当選後、レスラー達はこぞって選挙に出馬するようになった。政治のド素人が安易に出馬し、しかも当選させるなんて、だから日本の政治はダメなんだという意見もあるが、何もこれは日本だけの現象ではない。アメリカでもジェシー・ベンチュラがミネソタ州知事になり、ケインはテネシー州ノックス郡の郡長選挙に出馬、当選を果たした。レスラーではないが、ミルコ・クロコップもクロアチアの国会議員となっている。

 今回はプロレスラー達の、参院選での悲喜こもごもを見てみよう。


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アントニオ猪木と馳浩、どっちが偉い? 衆議院と参議院の違い

 参議院選挙は必ず3年に1回、夏の時期に行われる。いつ行われるのか判らない衆議院選挙と違って、参院選が定期的に行われるのは、参議院には解散がないからだ。
 参議院議員の任期は6年。衆議院議員の任期4年に比べて2年も長く、解散もないのだから政策にじっくり打ち込めるわけだ。実態はともかく、参議院が『良識の府』と呼ばれる所以である。衆議院議員は任期が4年しかないうえに、いつ衆議院が解散して任期が終わるのか判らない。
 参議院の定数は242人で、選挙によって半数を3年ごとに入れ替える。したがって、解散があるために議員を総入れ替えする衆院選は総選挙と呼ばれるのに対し、参院選は総選挙とは呼ばない。任期の半分の3年ごとに選挙が行われるので、参院選は通常選挙と呼ばれるのだ。

 ご存知の通り日本の国会はアメリカなどと同じく二院制で、参議院はアメリカでいう上院、衆議院は下院に当たる。衆議院の定数は参議院の2倍近い465人で、衆議院総選挙では参院選の約4倍の当選者数となる。そして衆議院は参議院に対して、優越的権限を持っているのだ。
 たとえば衆議院は、内閣不信任決議で内閣を総辞職に追い込むことができるが、参議院にはそれがない。参議院には問責決議があるとはいえ、内閣を辞職させるだけの法的効力はないわけだ。そのかわり、内閣には衆議院を解散させる権限があるが、参議院を解散させることはできない。

 ヘンな比較になるが、アントニオ猪木と馳浩では、どちらが偉いのだろうか? プロレス界では、猪木の方が偉いという人が圧倒的に多いだろう。しかし、政界ではその立場は逆転する。なぜなら、猪木は参議院議員のままだったが、馳は参議院から衆議院に鞍替えしたからだ。
 前述した通り、衆議院は参議院に対して優越的権限がある。しかし、衆議院議員が参議院議員よりも偉い(もっと他に良い言い方はないのだろうか。参議院議員が衆議院議員よりも人間的・職業的に劣っているわけではないので、そこは誤解なきように)のは、それだけではない。

 国会議員のことを、よく『代議士』と呼ぶのは聞いたことがあるだろう。しかし、衆議院議員と参議院議員、両方とも『代議士』というわけではないのだ。
 参議院が始まったのは、戦後まもない1947年のこと。戦前の大日本帝国憲法下でも日本は二院制だったが、その頃の国会は衆議院と貴族院の二院で、参議院はなかった。参議院の前身的な存在である貴族院は、選挙で議員が選ばれるわけではなかったのである。ちなみに衆議院と貴族院は、参議院に対して衆議院が優越的権限を持っている現在と違い、両院は同格だった。
 それはともかく、当時『代議士』と呼ばれたのは、国政選挙で選ばれる衆議院議員だけだ。戦後の日本国憲法下となってもその風習は続き、衆議院議員のみを『代議士』と呼んで、参議院議員は『代議士』とは呼ばないのが普通である。

 もっとも、現在では参議院議員も国政選挙で選ばれるのだから『代議士』と呼んでもいいとは思うし、前述したように両者の間に優劣があるわけではない。ちなみに、基本的な議員報酬は、衆議院議員と参議院議員は全く同じだ。もちろん議長や副議長は、その責任に応じて高くなる。
 また、衆議院議員の被選挙権は25歳以上だが、参議院議員は30歳以上。いわば参議院は『若造には任せられない』というわけだから、参議院議員は胸を張っていい(?)。

▼馳浩は参議院から衆議院に鞍替えしたことにより、晴れて(?)代議士となった

大仁田厚vs.佐山聡、かつてのJr.ライバルが参院選で激突!

 1981年、ある覆面レスラーが鮮烈デビューを果たした。新日本プロレスの初代タイガーマスク、即ち佐山聡である。当初は、漫画やアニメで大人気を博した『タイガーマスク』を利用する三流レスラーかと思われた。
 ところがタイガーマスクはジュニアヘビー級として連戦連勝、従来のプロレスとは全く違う空中戦の『四次元殺法』で観客を魅了し、それまでプロレスとは無縁だったファン層を取り込んだ。まさしくタイガーマスク・ブームの到来である。

 その約1年後、ライバルの全日本プロレスがタイガーマスク人気に対抗するため、ジュニア戦士を売り出した。それが大仁田厚である。大仁田は、かつて新日本プロレスで藤波辰巳(現:辰爾)のライバルだったチャボ・ゲレロを破り、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級チャンピオンに輝いた。
 タイガーマスクはNWA世界およびWWF(現:WWE)のジュニアヘビー級二冠王となり、大仁田のインターナショナルを賭けた三冠統一戦まで囁かれたのである。もし、これが実現していればジャイアント馬場とアントニオ猪木の代理戦争となっていた。

 しかし、この団体を越えたジュニア戦は実現せず、また大仁田のファイトは地味だったため、人気と知名度ではタイガーマスクの方が圧倒的に上だった。
 しかも大仁田は、1984年には膝の大怪我が祟って引退する。

▼『四次元殺法』で大ブームを巻き起こした初代タイガーマスク(佐山聡)

 一方のタイガーマスクも、大仁田が大怪我した頃に新日本プロレスのクーデターに巻き込まれて(あるいは当事者?)引退。2人は同じ時期にプロレス人生の最期を迎えた。
 ところが、2人の目指すスタイルはハッキリと分かれる。タイガーマスクはザ・タイガーとなって新格闘技のタイガージムを設立。その後、格闘色の強いプロレス団体の第一次UWFに参加するも間もなく離脱、素顔の佐山聡に戻り、シューティングの創始者として格闘技の道を邁進した。
 大仁田厚の方はプロレスのことが忘れられず、1989年に新プロレス団体FMWを設立、佐山が目指す格闘技とは正反対のデスマッチ路線を突き進むことになる。もはや佐山聡と大仁田厚が交わることはないと思われた。

 しかし、初代タイガーマスクのデビューから20年後の2001年、運命のイタズラにより佐山聡と大仁田厚は遂に初対決を迎えることになる。しかも舞台はリングではなく、政界だ。
 同年に行われた第19回参院選で、佐山聡(サトル)は自由連合から、大仁田厚は自由民主党から、それぞれ比例区で出馬した。

 佐山は街頭演説で「暴走族を撃ち殺せ!」と発言。いくら暴走族に反感を持っている人が多くても「撃ち殺せ!」はマズかった。また、演説では初代タイガーマスクであることをアピールするも、やはり『佐山サトル』では一般的な知名度がない。武運つたなく佐山は落選した。
 一方の大仁田は当初、小沢一郎率いる自由党から出馬する予定だったが、金銭問題によりライバルの自民党から出馬するという無節操ぶり。しかし全日本プロレス時代と違い、電流爆破デスマッチなどで一般社会での知名度も抜群となっていた大仁田は、見事に当選した。
 結局、初代タイガーマスクvs.大仁田厚のジュニア・ライバル初対決は、大仁田の勝ち。もっとも、リングではなく選挙での戦いだったが。

 もし、初代タイガーマスクと大仁田厚が競い合っていた1983年に両者が出馬し、ザ・グレート・サスケのように佐山聡がマスクを被って選挙活動を行っていたら、佐山の圧勝だったに違いない。

▼2012年、両者がリングで対決したときは、初代タイガーマスク(佐山聡)が大仁田厚を破る

思わぬ繰り上げ当選に、素人同然で参議院議員となった神取忍

 プロレスラーの参院選で忘れられないのは、神鳥忍のケースだろう。
 神取が現役バリバリだった頃、政界入りの希望を何かの拍子で話していたら、自民党の幹部がそれを聞き付け、出馬を説得された。そして2004年、第20回参院選に比例区で出馬することになる。ちなみに、神取に出馬を説得したのは、当時は自民党幹事長で現在は内閣総理大臣の安倍晋三だった。
 ところが神取は選挙に際して、何の準備もしていない。しかも、政治のことを全く知らなかったのである。そして、出馬会見では仰天発言をしてしまった。

 当時は、議員の年金未納が問題になっていた。しかし神取は会見で「年金は払っておりません」と正直に(?)告白する。「システムがあまりにもわからない。変えていかなければ」と、まるで自分には責任が無いように言い、政治の問題にすり替えたのだ。
 さらに選挙期間中、イラク問題について訊かれても「ぶっちゃけ、判んないんだよね」とアナタ任せの発言。本当に、政治家になる気があるのか? という言葉のオンパレードだった。
 当然、こんな状態で当選するはずもなく落選。しかし、次点での落選だったことで、さらなる悲喜劇を生んだ。

 神取が落選してから2年後の2006年、自民党の比例代表でトップ当選した竹中平蔵が辞任したため、次点だった神取が繰り上げ当選したのである。竹中平蔵といえば、当時の首相だった小泉純一郎が掲げる『聖域なき構造改革』を推進していた第一人者。その竹中平蔵に代わって神取が議員になるのは、オカダ・カズチカ欠場の代打で入門したての新人がタイトル・マッチに挑むようなものだ。
 しかも参院選後の2年間、神取は落選のショックで政治について全く勉強もしていない。残された任期は4年、神取は政治オンチのまま参議院に登院した。
 しかし、『2年も遅れて来た1年生議員』に、国会について教えてくれる先輩議員などいやしない。イジワルで教えないわけではなく、政治活動に忙しくて教える暇がないのだ。
 神取が参議院議員時代に行った政策といえば『夫婦別姓に反対』を表明した程度。何の実績も残せずに『税金ドロボー』と罵られる始末だった。

 神取は任期が満了した4年後の2010年、第22回参院選に自民党比例区で再出馬するも、当然のことながら落選。1期6年に満たない参議院議員生活を終えた。任期が6年もあるという参議院議員の利点を活かせぬまま、神取忍は国会議事堂を去ったのである。

▼『人生はチャレンジだ!』のスローガンも虚しく、4年で議員生活を終えた神取忍

周囲の都合で不本意な参院選出馬、不幸のどん底に陥った高田延彦

 政治家になりたいわけではなかったのに、参院選に出馬させられたプロレスラーもいる。高田延彦がそうだった。
 1995年当時、UWFインターナショナルのエース兼社長だった高田は『最強』を謳っていた。その高田に参院選出馬を勧めたのが、後輩の安生洋二とUインターの取締役だった鈴木健である。

 高田はさわやか新党という、いかにも政策など無さそうな名称の新党から出馬を打診された。さわやか新党を設立した中心人物は、監督として読売ジャイアンツ(巨人)を9連覇に導いた川上哲治である。同党は、『江川卓・空白の一日事件』で巨人から阪神タイガースへトレードされ、エースとして活躍した小林繁が代表者となった。
 何しろ、現職の国会議員が1人も居ない新党。参院選の比例区で、選挙活動が出来る確認団体になるためには、10名以上の所属候補者が必要だった。そのため、鈴木健も出馬している。
 安生や鈴木健に参院選の話を持ってきたのは、第一次UWFの社長だった浦田昇だ。浦田のためにも、さわやか新党から国会議員を送り出す必要があった。

 しかし高田本人は政治には興味がなく、出馬する意思など全くない。衆議院と参議院の違いもあやふやだったぐらいである。前年に結婚したばかりで妻の向井亜紀も出馬には大反対だった。
 それでも安生や鈴木健、さわやか新党の関係者たちはしつこく出馬を要請してくる。高田の家に夜討ち朝駆けを繰り返し、高田延彦が出馬すれば絶対に当選する、というデータを見せていた。

 この頃のUインターは、高田の人気とは裏腹に火の車状態。安生がグレイシー道場へ殴り込みに行くも、ヒクソン・グレイシーに返り討ちのフルボッコ、『最強』というUインターの看板に泥を塗った。その影響もあり、興行的にも赤字が続いていたのである。さらに、田村潔司がギャラの面で不満を漏らし、契約更改を保留するという事態にまで陥った。
 そして運命の6月18日、東京・両国国技館。その田村と闘ったエース外国人のゲーリー・オブライトが無気力試合を行った。後に田村とオブライトは、Uインターを離れることになる。
 さらに、高田本人が「極めて近い将来、引退します!」と、あまりにも唐突な引退宣言をした。誰もが、高田の参院選出馬を疑わなかったのである。

 しかし、この時点ではまだ高田は出馬する気はなかった。そして高田が出演するはずだったCMも、出馬すると公職選挙法により流せなくなるので、その場合は違約金を払うようスポンサーから通告されたのだ。それでも安生や鈴木健、さわやか新党からの執拗な出馬要請は止まらない。
 追い打ちをかけるように、№2的存在だった山崎一夫が突如Uインターを退団。身も心もボロボロの高田は、もうヤケクソになっていた。

 遂に高田は、同年の第17回参院選に出馬を決断することになる。あれだけ出馬に大反対だった妻の向井亜紀も、出馬すると決まれば全力で高田に協力した。
 しかし、結果は高田の落選。高田だけではない。鈴木健や小林繁を含めて、さわやか新党が比例区に擁立した10人全員が落選した。『必ず当選する』と高田に示したデータは、デタラメだったのである。さわやか新党は知名度抜群ながら、1人も国政に送り出すことはできず解散した。
 ちなみに、この参院選では馳浩が自民党の推薦を受けて石川県選挙区から初出馬、当選して政治家の道を歩むことになる。また、スポーツ平和党のアントニオ猪木は『猪木スキャンダル』もあって再選ならず、落選した。

 その後の高田は、不幸のどん底へまっしぐら。決まっていたCMも参院選出馬により棒に振って、莫大な違約金を支払った。しかも多くの人に多大な迷惑をかけ、信頼も失ったのである。
 さらに、安生と同じくフロント・レスラーだった宮戸優光は、高田の参院選出馬に関して蚊帳の外だったことに不満を持ち、Uインターを退団。
 10月9日に行われた東京ドームでの新日本プロレスとの対抗戦では、『最強』だったはずの高田は武藤敬司にまさかのギブアップ負け。あまりに経営悪化したUインターの状態から、高田は負けブックを呑まざるを得なかったのだ。
 Uインターは1996年12月に解散。その後の高田はヒクソン・グレイシーと2度対戦するも連敗、高田神話は完全に崩壊したのである。

 後に鈴木健は「高田さんは参院選を経験したことにより、人間的に凄く成長した」と、当事者意識なく呑気に語っていたが、高田延彦にとってはそんな生易しい精神状態ではなかっただろう。あれからよく立ち直ったものだ。

▼高田延彦は参院選出馬のため、精神的に追い詰められた

 以上、プロレスラーにまつわる参院選のエピソードを紹介してきた。
 衆議院に優越的権限があるため、参議院不要論は絶えないが、その反面『参議院を制する者は政界を制する』とも言われている。やはり国政に、そして国民生活に参議院は大きな影響を与えるのだ。
 今回の参院選も有権者は、知名度などに左右されず、各候補者および政党の政策等をよく検討して、責任ある一票を投じていただきたい。

(文中敬称略)


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