[ファイトクラブ]その名はプロレスラー! ~政治家向き?の特異な商売~

[週刊ファイト1月4日-11日合併号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼その名はプロレスラー! ~政治家向き?の特異な商売~
 by 立嶋 博
・旭鷲山の体たらくに見る、「相撲取り」と「政治家」のギャップ
・よくもこんなに!プロレスラーの政界遍歴 「国会編」
・プロレスラー政界遍歴 「地方政界編」 ~インディーの花盛り~
・どうして彼らは、こんなにも政治の道を目指し続けるのか?
・では新世代のレスラーたちも、いつかは政界を目指すのか?


 総選挙が行われたことや国際情勢の急迫もあって、今年は近年になく政治の話題が多かったように思う。小池劇場、モリカケ問題、トランプ発言など、大衆が喜ぶ「政界プロレス」の上演も例年より賑やかだった。

 殊に森友学園関係者の半端ヒールぶりは、巧まずして演じた割には見るべきところがあり、元理事長の証人喚問などはそれなりに楽しんで見ることができた。あの局面で逮捕されなければ、自己陶酔型の勘違いC級タレントとして、もう数か月はテレビ画面でワラワラ躍らせることができたのに、と残念でならない。

 それにしても安倍首相、個人攻撃に対する「バンプ」が下手である。大根レスラーはメイン・イベントにはお呼びじゃない。菅官房長官という強力な「ポリスマン」がいなかったら、第一次政権の時のような無惨な退陣もあり得ただろう。

 政治が「プロレス型」になってきた、と評したのは数十年前の堺屋太一であったと記憶するが、その指摘は現在の政界模様においても正鵠を射ている。
 さて、来年はどんなブックが描かれるのだろうか。ミル・マスカラス的絶対ベビーを貫きたい安倍のリング捌きは、少しは上達するのだろうか。

 プロスポーツ選手出身の政治家は結構多い。
 参議院や地方議員を中心に、色々な競技が政治家を輩出している。
 特に多いのが野球とプロレス。どちらもテレビでの露出が多い種目だけに、当然と言えば当然だ。
 サッカー界もJリーグ発足から今年で25年目を迎え、そろそろ元選手たちが政界に転身し始めそうな頃合いに入ってきた。事実、元日本代表の高松大樹が、今年2月の大分市議選に初立候補してトップ当選を果たしている。

 しかし、NHKで連日、全国津々浦々にまでその名前が放送され、知名度の点では申し分ないはずの大相撲力士の政治家転身は稀だ。
 プロレスとの共通点も多い種目なのに、これはどうしてなのだろうか。
 そしてプロレスラーたちはどうして、こぞって政界を目指すのだろうか。

 旭鷲山の体たらくに見る、「相撲取り」と「政治家」のギャップ

 先般の日馬富士と貴ノ岩の騒動に脇から口を突っ込んできた旭鷲山のお節介焼きには呆れた。下手な絵を描いたものだ。
 確かに彼はかつてはモンゴルの国会議員であった(現在は落選中)し、今回の事件を生む遠因となった通称「モンゴル会」の設立発起人でもあったわけだから、自ら喧嘩の仲裁役を買って出るだけの大義名分はあった。
 そこで先輩風を吹かせつつ鮮やかに後輩たちを救い、元の鞘に納めてみせたなら自国での支持の拡大にも繋がったのだろうが、彼は残念ながら政治屋としての嗅覚に欠けていた。

 これは日本の司直の手になる刑事事件であって外国の民間人が入る余地は初めからないのに、事態を軽く見て軽く来日し、貴ノ岩の受傷の程度と被害感情については伝聞の伝聞に基づいて知ったふりをし、あまつさえワイドショー出演でホラまで吹き、火に油を注いだ。
 旭鷲山は日本で舞台を張って、モンゴル相撲流の「ナイラ」というか、「政治ショー的プロレス」をやらかそうとしたのだろうが、情報過疎のゴビの大平原ならいざ知らず、スクープ合戦でヒートアップする日本のメディア、ネット社会には通用しなかった。
 殊更に高級腕時計をひけらかして見せたり、愛想を振りまくだけで物見遊山気分の夫人を伴っていたことも日本世論の反感を買った。

 旭鷲山の思惑とは裏腹に、事態は一夜の暴力沙汰に止まらず協会、世論、メディア、法曹界、日本政府をも巻き込むシリアスな事象に拡大していった。哀れな彼ができたのは、福岡のホテルで何泊かした後で、こそこそとフェイドアウトすることだけだった。
 わざわざ日本にモンゴルの恥を晒しに行っただけの旭鷲山は、自国で得ていた「非常勤大統領特別補佐官」なる謎の名誉職を、帰国するなり剥奪されている。国際問題に発展する前に(無論、日本政府はそんなことなど歯牙にもかけまいが、モンゴル政府としては洒落では済まない)、いち早い火消しが行われたのだろう。

 彼には政治家に必要な事態変転への即応能力がなかった。時代の変化を読む能力もなかった。
これはモンゴル人云々というより、相撲取りに共通の欠点である。このところの相撲協会幹部の狼狽ぶり、無為無策ぶりを見ていれば、それは明らかなことだ。
 つまり相撲取りは、政治家には向いていない。

 実際、トップアスリートがしばしば第二の人生に政治家の道を選んでいるのに、大相撲出身者は政界にほとんどいない。
 国会議員に限って言えば、旭鷲山以外には現役幕内力士の座を捨てて衆議院総選挙に出馬・当選した旭道山和泰(一期だけ務めて引退)が恐らく唯一の例である。柔道界では谷亮子がいるし、その他にも柔道剣道空手道の有段者が永田町には数多くいるが、相撲だけは例外のようである。
 その長い歴史、力士の知名度を考えれば、相撲界のこの状況はいささか異常に思える。

 その理由は、考えてみれば明らかである。
 若い頃から多くを語らないように躾けられ、相撲協会以外の世界を知る機会はほとんど与えられず、協会の指示と業界の慣習に唯々諾々と従い、引退後も何かしら相撲の世界の影響下にある力士たちは、多弁多才が求められる政治の世界にはフィットしないのだ。
 しかも力士は一般的な社会人でも一般的な学生でもないから、政治に必須の法律、社会制度、経済などの知識を学んできておらず、人付き合いも下手で金銭感覚も常人とは異なる。
 つまり、敢えてきつい言い方をするなら、相撲取りは概して「大人の知性が整備されていない」のである。素地が涵養されていないから、政治家や行政官にはなりようがない。
 また、昨今は有名人を看板にして安直に比例区を戦う政党はネットで容赦なく叩かれるようにもなったので、力士出身者が政界にスカウトされる可能性もどんどん小さくなっている。

 よくもこんなに!プロレスラーの政界遍歴 「国会編」
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 これに比し、プロレスラーという人種はやたらと政治家になりたがる傾向がある。国会当選組だけでも、

馳浩(衆・当7、元文科相)
アントニオ猪木(参・当2)
大仁田厚(参・当1)
神取忍(参・当1)

 と容易に名が挙がる。
 これは種目別では、白木義一郎、石垣一夫、江本孟紀、石井浩郎、堀内恒夫、三沢淳らを擁するプロ野球界に次ぐ「多数派閥」である。
 政界と裏社会にコネクションを持っていた力道山光浩についても、もう数年も存命であったなら国政の門を叩いていたはず、と真顔で話す人が少なくない。

 その他にも木村健悟(現在は品川区議)、西村修(現在は文京区議)、佐山聡、高田延彦、高木三四郎、堀田祐美子が衆参に立候補して落選しているし、前田日明は民主党や国民新党から正式に参院出馬要請を受けたことがある(いずれも辞退)。

 興味深いことに、全体に新日本系の人の名前が多い。


▲馳浩FB https://www.facebook.com/hasehiroshi.kousiki/ より

 プロレスラー政界遍歴 「地方政界編」 ~インディーの花盛り~

 これに対し、地方議員ではインディー系の人が目につき、変わったエピソードにも事欠かない。
 いくつか例を見てみよう。

 嚆矢となったのは恐らく若松市政であろう。若松は1999年に北海道芦別市議会選で初当選し、以降4期を務めた。実直な人であり、地域の評判も良かったようである。

 また、先述の木村健悟は2011年に品川区議になっているが、先行して1991年に洋子夫人が目黒区議選に当選し、6期を務めている(そもそも健悟自身が立候補しようとしたのを、まだ現役でいるべきだと夫人が押しとどめ、代わりに自らが立候補して当選した、という話が巷間伝わっている)。また長男の寛紀氏も大田区議選に立候補したことがある(落選)。

 ワイドショーなどで話題になったのがザ・グレート・サスケ。
 東北での知名度が抜群だった彼は、2003年に岩手県議選に立候補して見事にトップ当選、一躍注目を浴びた。しかし、ルチャドールとしての妙な意地を張って覆面のままで議場に入りたい、などと言い出したため同僚議員との間に軋轢を生じて、政治活動以外のところでマスコミの好餌になってしまった。
 サスケは他にもいろいろと問題を起こしまくった挙句、県知事選に鞍替え立候補してみたり、再度県議選に立ったりしたが、当選することはなかった。

 覆面着用問題は2013年に大分市議に当選したスカルリーパーA-jiにも起きている。彼はやはり議場での覆面着用を主張したが、議会から拒否されてしまった。「帽子やコート」の着用を禁じる議会規則に抵触する、というのがその根拠である。
 そういえば猪木も、国会内での闘魂マフラーの着用を同様のルールによって禁止されたことがあった。

 一方、2012年に大阪府和泉市議となったスペル・デルフィンは、議場での覆面の着用が比較的すんなり認められている。実体のない「議会の品格」など無視し、ド派手な覆面男が議会を跋扈することによる発信力をこそ奇貨と考える大阪人らしさが面白い。
 デルフィンは現在2期目で、それなりに有権者の人気も維持しているようだ。

 その他、西村修と土方隆司は健悟と同じ2011年の統一地方選でそれぞれ文京区議、埼玉県狭山市議に初当選、以降も当選を重ねている。
 2015年統一地方選では、元WWEディーヴァ「ゲイシャガール」こと鈴木浩子(KENSO夫人)が千葉県船橋市議、末吉利啓が栃木県足利市議に初当選した。12月24日(日)にBSフジにて放送された『反骨のプロレス魂 ~プロレス黄金期リバイバル~』では、語り部役を務めていた。

 また、関川哲夫(ミスター・ポーゴ)、保坂秀樹はそれぞれ2003年群馬県伊勢崎市議選、2016年千葉県袖ヶ浦市議選に挑戦したものの、揃って最下位惨敗に終わっている。関川の没後、保坂は「ミスター・ポーゴ2世」を名乗ったりしているが、この結果を見るだに、むべなるかな、である。

 海外では、米ミネソタ州で市長、州知事を務めたジェシー・ベンチュラが最も有名だろうか。

 どうして彼らは、こんなにも政治の道を目指し続けるのか?

 ではなぜ、プロレスラーは政界を志すのだろうか。
 明確な論拠ではないが、専ら分析的に考えて、プロレスラーと政治家稼業の親和性は以下のような条件によって成立すると推論する。

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◎職業柄、「マイクアピール」に長けている

 これはプロレスラーの得意技であると同時に、相撲取りにとっては大の苦手科目である。
 辻立ち、演説などはマイクによるアジテートに他ならず、メガホンパフォーマンスで一時代を築いた若松市政などにとっては、まさに自家薬籠中といったところである。

◎地方に根を張り、地域おこしに貢献して信用を築いている者がいる

 これも中央集権の大相撲ではあり得ないことである。地方インディー団体に在籍しながら議会を目指したサスケ、A-ji、末吉などがその典型である。

◎「ヒール」という特異な佇まいは選挙民にウケる

 プロレスの地方人気はヒールに支えられている。
 ヒーローは確かにかっこいいが、そこには無条件の絶対善という、裏付けのない前提概念が存在し、ヒーローの真の思考、心の奥底は観客には開示・表現されない。若手時代のジャンボ鶴田のように、あまりに陰りのないヒーロー像は実のところ、人々を不安にさせるのである。
 一方、悪役はカタストロフの権化であり、正義面を平気で射ることができる異形の存在である。たとえ理不尽であっても、飽和した日常の破壊は人々に爽快感を与える。

 憧れのヒーローは遠い存在で、どこか嘘臭くて可愛げがないように感じるのに対し、ヒールは欲求むき出しの子供のようで憎らしいが許容しやすく、ある種の真実味も感じられ、安心できる。そうした特殊な心理が大衆には確かにあるのである(怪奇系で客を突き放すタイプのヒールである関川は、その点で不利であった)。
 蝶野正洋が三鷹の市議選にでも出馬すれば当選確実だと思うのは、筆者だけではあるまい。彼は恐ろしい見た目をしているが、なればこそ信用できると、多くの市民が感じるはずだからだ。

 思えば、大相撲に日本人ヒールはいない。この点も力士政治家が生まれない原因である。相撲の王道を外れ、デンジャラスな張り手だけで生き抜いた旭道山は多少はヒールっぽいかもしれないが、彼は軽量ソップ型のハンサム力士で、女性人気が高かった。

◎第二の人生の保証がない

 多くのメジャースポーツでは、現役時代に成功した人には引退後の道が開かれている。指導者、解説者、テレビタレントなどに加え、所属チームや関連会社に社員として採用されたり、大学や高校に職員として招かれたりと選択肢は様々だ。
 しかしプロレスには第二の道はない。特殊なジャンルであるだけに指導者になる人は少ない。蝶野のような才人ならばタレントとして食べていけるが、多くは衰えた体を奮って細々と現役を続けるか、プロモーターとしてプロレスの興行を手掛けるか、何か不安定な商売に転じるかしかない。
 そのため、当選すれば事実上の公務員として給与や社会保障を得ることができ、明確な定年もない政治家に転じて、人生の一発逆転を狙う者がときどき現れるのだ、と考えられる。

◎所属業界を背負う必要がない

 スケートの橋本聖子あたりが典型であるが、多くのスポーツ系議員は出身競技やスポーツ界全体の利害、利権を背負って出馬せざるを得ない。スポーツ界のみならず、医師会、官僚、労働団体、宗教団体などが擁立する候補もそうである。要は、特定の利権の代弁者という側面を強く持つのである。
 ところがプロレスラー政治家には背負うものがない。業界利権の代弁者をプロレス界は必要としていないし、そもそも彼らをプロレス界の代表と見なしてもいないからである。当然ながら業界挙げての応援もない。出世頭の馳からして興行界の事情など意にも介していないが、業界に彼を責める声はない。ほぼ、ほったらかしである。
 よってみんな、身が軽い。当選すればそれまでのこと、落選したところで業界の看板に傷はつかない。それこそ、健悟さんが新しいレコードを出すくらいの感覚で、遠慮会釈なしにどんどん選挙に出るのである。

 
◎そもそも、山っ気がある人が多い

 それがプロレスラーという生き物の特質である。だから人に乗せられやすいし、自分でもその気になりやすい。博打もやるし、危ない橋も嫌いではない。そうでなければ、いつ怪我で再起不能になるかもしれないリング上で外連味たっぷりに大暴れすることなどできはしない。
 まして創始者が山っ気の塊である新日本プロレスの血族であれば、師の後を追って政界を目指し続けるのは当然であろう。

 では新世代のレスラーたちも、いつかは政界を目指すのか?

 恐らく、それはあるまい。
 彼らは人気があるように見えても、大衆への露出が多いわけではない。プ女子の票だけでは当選は難しい。大怪我が明らかな冒険に挑むのは、彼らの主義ではあるまい。
 しかも、彼らはきっちりとデザインされたファイトを達者な運動神経でこなす精緻な仕事師であって、山師とは程遠い。ヒールと言っても至ってスタイリッシュなヒールである。中邑真輔、棚橋弘至あたりの世代と、それ以降の世代では考え方に乖離があるように思える。

 それでも、プロレスとプロレスラーを取り巻く環境は、以前とさして変わっていない。
 現役時代の収入が多いわけではなく、第二の人生の設計も相変わらず厳しい。しかし、彼らにも否応なく、引退の時は来る。それなのに業界には、彼らに将来の保証を与える余裕がない。
 現況では全く不可能だが、特段の年金、保険、再就職支援といった制度が業界内で整備されない限り、彼らには等しく不安な老後が待っているのだ。
 
 そういった問題を解決に導くことこそが政治家の仕事なのだが……。

 現職プロレスラー議員の皆さん、出身業界に背を向けてばかりいないで、一度本気で、この問題に取り組んでみてはもらえませんか?
 そうなれば業界側も、彼らをもっと良いポジションで扱うようになるはずだ。そうして互いを上手に利用し合うことができれば、支持のネットワークもより広がるのではないか。
 思い出したようにリングに上がって、売名を行うことばかりがレスラー政治家の能ではあるまい。