あまりにも不遇な扱い、長州力が『噛ませ犬』だった頃

 長州力は弱い。
 のっけからこんなことを書くと非難ゴウゴウ、ネットは炎上し、カミソリ入りの手紙が送られて来そうだが、そう思っていたのだから仕方がない。
 もっとも、ガチンコでの強さは知らないし、いわゆる『噛ませ犬発言』の前でのことだが、あの頃のリング上での長州力は、ミジメなぐらい弱かった。

 既に本誌で何度もお伝えしているように、6月26日の東京・後楽園ホールを以って長州力が引退した。長州にとって二度目の引退である。中森明菜だったら「引退も二度目なら 少しは上手に 引退のメッセージ伝えたい」と歌うところだろう(曲名は『セカンド・リタイア』?)。
 長州に関して、これからも色々な人が書くだろうし、そもそも長州については語り尽くされた感がある。特に『噛ませ犬発言』以降はそうだ。正直言って、筆者など出る幕がないだろう。

 そこで、全く違う視点から『長州力』を書いてみたいと思う。他のプロレス・ライターなら(あまりにバカバカしくて)書かないであろう『長州力』を。


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オリンピックに出場しながら、エリートになり切れなかった長州力

 長州力(吉田光雄)は1972年のミュンヘン・オリンピックにレスリング(フリー・スタイル90kg級)の韓国代表として出場。専修大学を卒業した1974年には新日本プロレスに入門した。いわば、新日本プロレスでの“エリート”入門第1号と言っていい。
 同じくミュンヘン・オリンピックにレスリング(グレコローマン・スタイル+100kg級)日本代表として出場し、全日本プロレスに入団(就職?)したジャンボ鶴田(鶴田友美)とは、アマレス・エリートとしてライバルと目されていた。

 エリートらしく長州力は、1974年8月8日に東京・日大講堂(旧:両国国技館)という大会場でデビュー(当時のリング・ネームは吉田光雄)。エリートらしくデビュー戦の相手は外国人のエル・グレコで、エリートらしく僅か5分24秒でカール・ゴッチ直伝のサソリ固めによりギブアップ勝ちしている。
 デビュー戦が外国人相手で、しかも勝利したのは期待度の高さが窺えるが、相手がエル・グレコというあまり知られていない選手というのが微妙だ。ちなみにエル・グレコが来日したのは、このシリーズの1回こっきり。まさしく長州に負けるために来日したようなものだ。

 一方、ライバルたるジャンボ鶴田(当時のリング・ネームは鶴田友美)は国内デビュー戦の3日後、御大ジャイアント馬場とタッグを組み東京・蔵前国技館のメイン・エベントで、タッグ・マッチ3本勝負のうちの1本とはいえ、超大物のテリー・ファンクからジャーマン・スープレックス・ホールドでピンフォールを奪っている。鶴田はデビュー当時から、全日本プロレス№2の地位とポスト・ジャイアント馬場を約束されていた。

 鶴田に比べると長州は、新日本プロレス№2とはとても言えず、アントニオ猪木の後継者には程遠かった。
 1977年には、出身地の山口県に因んで『長州力』というリング・ネームを与えられ、1979年には坂口征二と組んで北米タッグ王座に就くも、人気はサッパリ。新日本の若手レスラーの中では、当時はまだジュニア・ヘビー級で“叩き上げ”の藤波辰巳(現:辰爾)に人気が集中した。

長州は藤波というよりも、外国人選手の『噛ませ犬』だった

 ジュニア・ヘビー級で連戦連勝を重ねる藤波に対し、長州はヘビー級であるが故に損した部分がある。何しろ、相手はヘビー級の外国人選手ばかりだからだ。
 アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンと、当時の新日本プロレスには大型外国人が大挙して押し寄せるようになっていた。

 彼らはみんな、アントニオ猪木のライバルである。当然、その強さを引き立てなければならない。ジョブ役(お仕事役、負け役)として、アマレスの実績がある長州は最適だった。
 その頃の、長州のキャッチ・フレーズは『日本のパワー・ファイター』。しかし、馬場や猪木はもとより、大型外国人に引けを取らない体格の坂口や鶴田のような日本人選手に比べると、外国人と対峙した長州はいかにも小さく見え、パワー・ファイターにしては弱々しく思えたものだ。

 鶴田は、全日本プロレスにやって来る超豪華外国人とタイトル・マッチを行い、いつも惜しいところでベルト奪取を逃していたため『善戦マン』などと揶揄されていたが、長州は善戦することすら許されてなかった。長州が外国人に、一方的にやられればやられるほど外国人の強さが引き立ち、アントニオ猪木との一戦では大いに盛り上がる。
 長州はホーガンに投げ飛ばされ、ハンセンのウエスタン・ラリアートで吹っ飛び、アンドレには苦も無く捻られた。
 タッグ・マッチでアンドレが登場すると、ビビった長州が後ずさり、何もできずに自軍コーナーまで下がって味方にタッチするという、実に情けない光景もあったのである。

 ローラン・ボックが初来日したときには、お互いにアマレスの下地があるにも関わらず、長州は何もさせてもらえずに、3分28秒であっさりダブルアーム・スープレックスの餌食に遭いピンフォール負け。鶴田だったらこんな仕打ち、有り得なかっただろう。
 後に『噛ませ犬発言』でブレイクする長州は、この頃はまだ日本人vs.外国人の対決が主流だったこともあり、藤波の噛ませ犬というよりも外国人選手の噛ませ犬だったと言える。

▼ローラン・ボックに子供扱いされる長州力

『プロレススーパースター列伝』で描かれた、長州力の惨敗シーン

 筆者が熱中していた漫画がある。それは『プロレススーパースター列伝(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)』だ。様々なプロレスラーを主人公に据え、『ノンフィクション漫画』としてスーパースターたちのエピソードが紹介されていたのである。毎回繰り広げられる、ノンフィクション(?)ならではの臨場感あふれるストーリー展開に、興奮して読んでいた。

 しかし、そこは“あの”梶原一騎センセイの作品。とんでもないファンタジーに満ち溢れていたのである。よくぞここまでウソ八百の話をノンフィクションでございと言い張っていたものだ。
 それでも当時の筆者は実話と思い込み、スタン・ハンセン編を読んで「ハンセンは高校を卒業するとプロモーターの元へ駆け込み、ドラム缶を抱え潰してそのパワーが認められ、プロレス・デビューしたのか!」と本気で信じていた。ところがそのハンセン、ブルーザー・ブロディ編では大卒になっていたのだが……(正解は大卒)。

▼ザ・グレート・カブキは無名時代、東南アジアでカンフー修行したとあるが、もちろん大ウソ
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 この漫画の連載が始まったのは『噛ませ犬発言』前。したがって、長州が描かれることはほとんどなかったが、ハルク・ホーガン編で少しだけ登場していた。
 初来日した無名のハルク・ホーガンは、新日本プロレスの前座レスラーたちを次々に蹂躙。そして、長州力と対戦することになる。当時の長州はロングヘアーではなく、短髪パーマだった。
「“超人”ハルク・ホーガン強し!! 若手のパリパリ長州力も、まるで子供のように弄ばれています!」
 アナウンサーがそう実況するが、『バリバリ』ではなく『パリパリ』である。『パリパリ』ってなんだ?
 電子辞書で調べてみると、『威勢の良いさま。例=江戸っ子のパリパリ』とあった。そうか、当時の長州はパリパリだったのか。『列伝』のおかげで、ひとつ勉強になった。

「こんにゃろお!!」
「チ…、チッキショー!!」

 と長州は体当たりするが、ホーガンには全く通用しない。まるで、イジメられっ子が勝てっこないのに、泣きながらイジメっ子に向かって行くようなものだ。

「くらえッ、顔面キック!!」

 と長州は蹴りを繰り出すが、反対に足をホーガンに取られ、あとはリンチ状態。最後にはホーガンのアバランシュ・ホールド(アックス・ボンバーを開発する前の必殺技)であっさりフォール負けした。僅か1分28秒の出来事である。『列伝』の中で、長州が描かれた試合はこれだけだ。

 ブルーザー・ブロディ編の頃には『噛ませ犬発言』が勃発し、長州と藤波の抗争が始まっていた。長州が物語に登場することはなかったが、『アントニオ猪木(談)』のコーナーで猪木がこの件について語ったことになっている。
『アントニオ猪木(談)』では毎回、漫画で描かれているシーンについて猪木が解説しているのだが、本当に猪木による言葉なのかはわからない。何しろ梶原一騎氏が『アントニオ猪木監禁事件』を起こしたとき、猪木は「梶原とはメシも一緒に食ったことはない」と言っていたぐらいだから。
 それはともかく、ブロディ編での『アントニオ猪木(談)』では、こう書かれていた。

「現在、わたしの新日本プロレスでも藤波辰巳と長州力、タイガーマスクと小林邦昭が『同門対決』で、血で血を洗っているが、誰も八百長などとは疑わぬ!」

 疑わぬ! じゃねえっての(笑)。ただ、長州が維新軍を結成した後にジャパンプロレスを設立し、新日本プロレスを離脱するという、ガチの『血で血を洗う』抗争となったが。

撮影:原悦生

日本人レスラーのトップ20に長州力がいない!?

 1982年8月、全日本プロレスから新日本プロレスに移籍した頃のアブドーラ・ザ・ブッチャーが著した『プロレスを10倍楽しく見る方法(訳:ゴジン・カーン、ワニブックス)』が発売される。本当にブッチャーが書いたかどうかは別にして、同書では数々のランク付けを発表していた。
 その中に日本人レスラーのランキングもあり、それは以下の通りである。

①アントニオ猪木
②ジャイアント馬場
③ジャンボ鶴田
④天龍源一郎
⑤キラー・カーン
⑥坂口征二
⑦ラッシャー木村
⑧藤波辰巳
⑨タイガー戸口
⑩上田馬之助
⑪タイガーマスク
⑫マサ斎藤
⑬大木金太郎
⑭ヒロ・マツダ
⑮剛竜馬
⑯ストロング小林
⑰マイティ井上
⑱アニマル浜口
⑲木戸修
⑳木村健吾

 なんと、長州力がトップ20に入っていない! 長州ほどテレビの露出がなかった木戸修や木村健吾(現:健悟)よりも評価は下である。
 この本が発売された2ヵ月後、長州は『噛ませ犬発言』によって大ブレイクするわけだが、ブッチャーの評価は相当低かったようだ。それとも、単にブッチャーが長州のことを忘れていたとか。そのブッチャーが、2ヵ月後の『噛ませ犬発言』の試合での相手となったのだから面白い。
 ところで『全日本・第三の男』に過ぎなかった天龍源一郎が4位と、かなりの高評価である。もちろん、天龍革命よりも遙かに前で、鶴田に比べると人気も地位もずっと低かった頃だ。ブッチャーは天龍のことを高く買っていたことになる。繰り返すが、この本を本当にブッチャーが書いていれば、の話だけど。ちなみに、ハンサム・ランキングでは天龍が1位だった。マジか!?

 同書はベストセラーとなり、同年11月には早くも第二弾の『続・プロレスを10倍楽しく見る方法』が発売された。『噛ませ犬発言』の約1ヵ月後である。
 このときはブッチャーもさすがに「長州もグ~ンと力を付けたと思うぜ」と評価していた。

▼『噛ませ犬発言』前、ブッチャーの長州に対する評価は低かった!?
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テキトーに作られた入場曲、パワー・ホール

 長州力の代名詞となった入場曲のパワー・ホール。スピード溢れるリズム感で、ハイスパート・レスリングの長州力にピッタリの曲だ。プロレス入場曲としては、代表的な存在だろう。

 ところが、この曲を作曲した平沢進は、パワー・ホールを適当に作った。何しろ平沢進はプロレス嫌いで長州のことも知らず、依頼があったから曲を作っただけである。
 だからパワー・ホールは同じフレーズの繰り返しだし、変化に乏しく単調だ。そもそも、この曲のクレジットが『平沢進』ではなく『異母犯抄』という、訳の判らないペンネームである。これは『いぼはんみょう』と読むらしいが、最後の漢字の『抄』には『みょう』という読み方はなく、音読みでは『しょう』と読む。どうやら『異母犯妙』と書くところ最後の1字を間違えたそうで、その誤記を訂正しないあたりにも平沢進のやる気のなさが現れている。
 興味のないプロレスの、無名レスラーの入場曲など、どーでも良かったのだろう。

 ところが、長州が大ブレイクして、この曲も一躍有名となった。単調なメロディも長州にマッチし、あらゆるところでパワー・ホールが使われ、プロレスとは関係ないテレビ番組でもよく流れるので、平沢進には相当な印税が入ると思われている。
 ところが、パワー・ホールは買取契約。いくらパワー・ホールが使われようが、平沢進には一切、印税は入って来ない。
 日本最高の大ヒット曲『およげ!たいやきくん』が450万枚以上も売り上げたのにもかかわらず、歌った子門真人は買取契約だったため、印税は1銭も貰えなかった。子門真人が稼いだのは、買取金額の5万円だけである。
 平沢進も子門真人と同様、大儲けし損ねたわけだ。

 もし、長州力がジャンボ鶴田のように、最初から大スターの地位を約束されていれば、どうなっていただろうか。平沢進は印税契約して、かなり稼いでいたに違いない。
 その反面、初めは『噛ませ犬』だったからこそ、爆発的な大ブレイクに繋がったとも言える。若い頃の苦労があったために、長州の下克上がファンから大きな共感を得ることができたのだ。

デビューからの数年間が『弱い長州力』で良かった。今ならそう思う。


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’19年07月04日号WWEヤバッ AEW/新日 長州/猪木引退 リアルジャパン 闇営業/逃亡者