ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』63[ファイトクラブ]お騒がせ“なんちゃって”レスラー、安倍健治のこと

[週刊ファイト5月30日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』63
 お騒がせ“なんちゃって”レスラー、安倍健治のこと
・プロレスラー暴行容疑で『安倍健治』逮捕!
・19年前、デビュー戦は弊社CMAプロレスリング
・トウカイブシドー代表と何度も協議した結果、破門処分!
・虎龍鬼とともに、“CMAジャスティス”と名乗る
・突然事務所に警察官を名乗る男から電話が・・・
・警察に追われるような何かをしでかした
・『プロレスラーが一般人に怪我を負わせた!』
・二度と人様の前に出て来ないで欲しい!金輪際プロレスラーを名乗るな


5月12日、ひとりのプロレスラーが暴行容疑で逮捕されました。
その男の名は『安倍健治』。
プロレスファンでも、この名前に聞き覚えのある方は少ないと思います。

事件の詳細については割愛させていただきますが、テレビ各局のニュースやワイドショーでも扱われるほどお茶の間を賑わせた事件でした。
この日はよっぽど大きなニュースがなかったのでしょうか? どうでもいいレスラーのどうでもいい(失礼)事件が、なぜここまで報道されるのか疑問でした。

そもそもコイツ(あるいはアイツ。以下、安倍健治をこう呼ばせていただきます。理由は追々わかると思います)をプロレスラーと呼んでいいものなのか? 
現行犯逮捕の翌日のニュースで、すでに『プロレスラー』の肩書きがついていましたので、恐らく取り調べで自分自身のことを『職業はプロレスラーです』と言ったということが容易に想像できます。
だとすると、コイツは本当にアホですよ!

2015年4月11日、ファイト・オブ・ザ・リングでワイルド・ベアーのマーシャルアーツ選手権に挑戦

オイラがなぜコイツのことを書こうと思ったのか? その理由は19年前にまで遡ります。
一部プロフィールにも書かれていますが、実はコイツのデビュー戦は弊社CMAプロレスリングのリングでした。
そのため、あらぬ誤解を招かぬようしっかりと書いておこうと思ったのです。

2000年の立ち上げ当時、CMAプロレスリングには代表(当時)のトウカイブシドーとオイラ(当時の役職は選手会長)の他に虎龍鬼、ジャンクハンター吉田、ちんなど個性的な選手が何人か所属していました。その中の一人がアイツだったのです。
しかしながら、どうしても見切り発車で旗揚げした感は否めませんでした。
旗揚げ前にプロデビューしていたのはトウカイブシドーとオイラの二人だけ。当然、メジャー団体の新弟子を経験したものは一人もいませんでした。
かろうじてブシドーが国際プロレスプロモーションやSPWFなどでメジャー出身選手と試合をし、オイラがデビュー前にどさんこプロレス『道場元気』で将軍KYワカマツさんから、FSRでジョージ高野さんからプロレスの手解きを受けた程度でした。

1990年代後半、SWSの崩壊により団体の細分化が急速に進んだプロレス界は、細胞分裂に次ぐ細胞分裂を重ね大小無数の団体が乱立する時代を迎えていました。
“自称”プロレスラーや“なんちゃって”プロレスラーが増えだしたのもこの頃です。
恥ずかしながら我がCMAプロレスリングも、それに便乗して旗揚げした団体のひとつであることは否めません。

今回の事件の報道の中にも、コイツのことを『“自称”プロレスラー』や『“なんちゃって”プロレスラー』として扱っているマスコミもありました。
これを見てオイラは思わず吹き出してしまいました。なんて的を得ているのだろうと(笑)。

コイツのCMAプロレスリング所属期間は、そう長くは続きませんでした。
とにかくコイツには問題が多すぎたのです。

いい機会なので、ありのままを正直に書きます。これを個人への誹謗中傷と取る方もいるかもしれません。また、読んでいて不快に感じる方はスルーしていただいても結構です。

ハッキリ言って、オイラはコイツのことをプロレスラーなどとは思っていません。また、いつかは今回のように事件を起こすであろうと予感していました。いや、むしろ遅すぎたくらいです。

デビュー以前から、とにかくコイツの素行の悪さは常に問題となっていました。
合同練習や全体ミーティングには必ず遅刻する。無断欠席もしばしば。約束をすぐに破る等々…。
生活面においても、金や女にだらしがない。
つまり、プロレスラー以前に社会人として、いや、人としてあるまじき人物でした。
そもそも、プロレスラーを名乗れるほどのスキルなど身についてはいません。当然、プロレスラーと認めることなどできないのです。

やがて、トウカイブシドーと何度も協議した結果、コイツを破門処分とする決断をしました。
破門とは、イコールプロレス廃業を意味します。我々は二度とコイツにリングに上がって欲しくないと思っていました。
しかし、ほとぼりが冷めた頃、性懲りもなくコイツはまたリングに上がっていたのです!

同じくCMAプロレスリングを脱退した虎龍鬼とともに、“CMAジャスティス”と名乗っていたことも知っています。リングで試合をするだけでなく、“CMA”の名前まで使っていたことはどうしても許せませんでした。
それでも、二度とコイツに関わりたくないという思いからオイラはあえてそれを黙認していたのです。

プロレス界も狭い業界ですので、何度か会場で顔を合わせることもありました。
『ターザン後藤一派』や『WWS』では、実際に試合で対戦したこともあります。やろうと思えば、試合中“食らわす”ことも可能でしたが、そこは大人の対応をしました(笑)。

批判を覚悟で書きますが、新人時代オイラは何度も何度もアイツを“食らわし”たことがあります! もちろん、暴力がいけないことはわかっています。それでも殴らずにはいられませんでしたし、なぜ殴られるのか本人が一番よくわかっていると見えて、決して抵抗や反抗はしてきませんでした。

今回の暴行事件を受け、ある出来事が鮮明に思い出されました。
今回のこととは直接は関係の無いことですが、今思えばこうなることの序章だったのかなとも思わざるを得ません。

その出来事とは…。

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