[ファイトクラブ]“平成最後の”アクトレスガールズで考える、改元と“平成のデルフィン達”

[週刊ファイト5月9日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼“平成最後の”アクトレスガールズで考える、改元と“平成のデルフィン達”
 4・30 Actwres Girl’Z 後楽園ホール大会絵巻究極版
 Photo & Text by こもとめいこ♂
・シングル女王安納サオリ苦渋のノンタイトル戦も激闘に! その要因
・堀田祐美子、リングで叱責の理由
・改元と平成のデルフィン達
・メキシコCMLLから凱旋! 本間多恵必殺ジャベ炸裂
・全試合画像増量でお届け


 平成からの改元は、天皇の死去に伴う昭和の終わりに比べると、時代が変わったという印象は薄い。
「たけしプロレスが平成に入ってから出てきたとしたら、スンナリ受け入れられていただろう」
 I編集長の“平成のデルフィンたち”を論じた分析である。
 FMWが開拓したナンセンスな部分は、平成の世であればこそ成立したとの見方はなるほどとうなずく他はない。
 ボンド企画が始めたジャパン女子プロレスが、経営不振に喘いで男女混合団体を目指し、新間寿氏の仕掛けで大仁田厚とグラン浜田が激突したのが1988年、昭和も末期であった。神取忍は「ここは女子のリングなんだ」と叫んで大会をボイコット、後楽園ホールの観客もその見方に同調し、試合後には「馬鹿新間」コールが響き渡った。
 明けて平成の世で、大仁田厚のFMWで工藤めぐみ他女子部も人気を博し、神取忍は天龍源一郎とド迫力のファイトをやってのけた。

 時代は下って4月30日。“平成最後”のアクトレスガールズ、2度目の後楽園ホール大会。メインイベントを任された安納サオリの対角線には世志琥が立っていた。 「アイドルくずれ」と嗤われ、救急車に載せられ、「プロレスごっこ」と罵しられた。後押ししてくれる筈の仲間からも、
「団体のチャンピオンが他団体の方ばっかり向いてる」
と、非難を浴びた。

 リングを持たないというアクトレスガールズ、昭和の時代ならプロレス団体として認められなかっただろう。タレントがプロレス挑戦どころか、うかつに関わっただけで大ブーイングを浴びたのは『ギブアップまで待てない』を知る昭和のプロレス者には懐かしい常識。
 誰でもプロレスに挑戦できる様になった平成のリングだからこそ、舞台女優だった安納サオリがプロレスラーとして認められている。
 むしろ、なまじっか格闘技をかじった程度なら、女優の方がはるかに“プロレス”には向いている事が、平成のデルフィン達には常識であろう。

 そのメイン、15分弱、世志琥に食らいついた安納サオリだったが、ラリアートでなぎ倒され、伝家の宝刀ダイビング・セントーンに屈した。



 完敗。
 結果を取り出して一言で表せばそうなる。だが、鬼コーチである堀田祐美子は安納サオリを優しく労った。

 未だ常在戦場を貫き、RIZIN榊原実行委員長をして「日本の女子プロレスラーもまだまだ捨てたものじゃない」と言わしめた神取忍の代役として先んじてギャビ・ガルシア相手に玉砕してみせた堀田祐美子がだからこそ知る、敗者の美学。それを安納サオリに感じたからに違いない。
 正直、セミまでの試合、記者席の評判は芳しくなかった。メインの安納サオリの頑張りが無かったら、興行の印象はどうなっていたか。
 もっとも、客席の反応は悪くは無かった。
 それは、平成のデルフィン達と、昭和の堀田祐美子や全女全盛期を知るファンとの温度差があったとも言える。

 
 昭和末期の1987年の全日本女子のリング。宇野久子時代の北斗晶が小倉由美の殺人パイルドライバーで故意(と、もっぱら言われている)に首の骨を折られた時、そのパートナーは堀田祐美子だった。
 眼の前で、仲間同士による“殺し”の現場を見てきた一方で、クラッシュギャルズを擁して地上波テレビ出演が当たり前の芸能活動が平行して行ってきたのが、堀田祐美子達全女のレスラーである。魁皇親方の浅香山部屋のおかみさんになった西脇充子さんとのファイヤージェッツ。ミクロマンみたいなコスチュームが懐かしい。 
 そんな、一瞬も気を抜けない勝負論のある試合を経験してきた堀田祐美子からしてみれば、セミまでの試合は、到底納得がいかないものに映ってしまうのはやむを得ないところ。
 リング上でお説教となり、“アクトレス”ガールズを求めてやってきた観客からしてみれば、堀田祐美子の言葉はキツく感じられたかもしれない。アイドルと見紛う華やかな入場と、一所懸命の試合は時代が追い付いたアクトレスガールズのお家芸ではある。1100人超という、近年の後楽園ホールの興行としては大盛況と言っていいファンが詰め掛けたのはその証だ。
 だが、対抗戦での空前のブームで、ドーム興行まで経験した頂点から、一気に奈落の底となったところまで経験した堀田祐美子としては、その場限りの称賛に甘やかされていれば平成のデルフィン達はふいっとどこかへ行ってしまうものだという戒めをせずにはおれなかったのだろう。

 改元で、平成のデルフィン達が急に思考を変えるという事はあるまいとは思う。
 そもそも、新元号と供に時代が変わるというのも強引な話で、武家政治が確立してからは、元号は曖昧な基準で変わってきたもの。孝明天皇の時代、幕末の混乱期には6度も改元がなされた。戦前回帰を目指す現政権にしてみれば、明治維新の夢よ再びというところだろうが、御一新によって国がガラッと変わったというのがそもそも歴史の改竄ではある。例えば開国にしても岩瀬忠震、小栗忠順、川路聖謨ら幕府のテクノクラートがレールを敷いて行ってきた事で、それを攘夷という狂気の思想で邪魔してきたのが“幕末の志士”の側なのが史実ではある。
 歴史通のI編集長がその辺りの事情を知らない筈はなかったが、平成のデルフィン達という概念が生まれてきたのはやはり、昭和の末に猪木が藤波と8・8のフルタイムドローを行い、翌平成元年、スポーツ平和党から出馬してセミリタイアしていった事が大きかったろうと思う。
「私の中で猪木はとっくに引退している」
は、猪木引退に際してのI語録。“デルフィン達”は実質引退した猪木と入れ替わってプロレス界に登場した。

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