[ファイトクラブ]プロレスはロックだ! レスラー達をビートルズに例えた桑田佳祐

[週刊ファイト3月7日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼プロレスはロックだ! レスラー達をビートルズに例えた桑田佳祐
 by 安威川敏樹
・平成の初め、桑田佳祐は音楽雑誌でプロレスのことを延々と語った
・サザンの年越しライブで、馳浩と蝶野正洋が大暴れ
・4人のプロレスラーをビートルズに例えた桑田佳祐
・『哲学』に没頭するジャイアント馬場=ジョン・レノン
・『自己愛』に酔いしれるアントニオ猪木=ポール・マッカートニー
・『技能』を追求する前田日明=ジョージ・ハリスン
・『負性』のプロレスを実現する天龍源一郎=リンゴ・スター
・『異端』とは大仁田厚そのもの=番外編


 2月26日と言えば、1936年に2・26事件が勃発した日だ。これを機に、日本は軍国主義を一層強めることになる。
 それからちょうど20年後の1956年2月26日、戦争が終わって平和になった日本に、1人のスーパースターが神奈川県茅ケ崎市で産声をあげた。サザンオールスターズのヴォーカル、桑田佳祐である。サザンは1978年にプロ・デビューし、たちまち国民的バンドとなった。40年以上経った現在でも、その地位を保っている。40年間もトップを走り続けたロック・バンドなど、日本では他にない。

 なぜ本誌で桑田佳祐を取り上げるのかと言えば、彼が大のプロレス・ファンだからである。桑田本人は自らを『シンガー・ソング・プロレスラー』と呼ぶほどだ。
 平成の初めの1990年、当時発行していた『pmc(ぴあ出版)』という音楽雑誌で、桑田が巻頭で責任編集に携わった号がある。そこで桑田は、なんと『プロレス=ロックンロール』というテーマで記事を作成したのだ。音楽雑誌で冒頭から丸々21ページもプロレスに割かれていたのである。

 その理由を桑田は「音楽雑誌も音楽だけを語っていてはダメなのよ」と書いているが、要するにそれだけプロレスのことが大好きだということだ。何しろ桑田は『プロレスと野球のことを語らせたら、音楽以上に熱が入る』というぐらいだから。最近はボウリングに夢中のようだが。

 しかも、この号が発行された1990年と言えばプロレス界にとって激動の年。新日本プロレスの東京ドーム大会に全日本プロレスが参戦、さらにSWS事件が勃発した。桑田の血が騒がぬわけがない。

▼[ファイトクラブ]平成の初めに、全日本プロレスと新日本プロレスが歴史的遭遇!

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サザンの年越しライブで、馳浩と蝶野正洋が大暴れ

 1991年の大晦日から新年にかけて、サザンは年越しライブを行い、それがTBS系列で生中継された。そこに、当時はまだ新日本プロレスに在籍していた馳浩と蝶野正洋が乱入したのである。
 現在、サザンが所属するアミューズと新日本プロレスは業務提携しているが、当時はまだ提携していない。それなのにレスラーを乱入させたのだから、桑田のプロレス好き具合がよくわかるだろう。

 大勢のレスラー達がステージに登場、サザンのライブをブチ壊そうとしていた。そこに現れたのが馳浩。実況は辻義就(現:よしなり)、解説は山本小鉄である。馳はレスラー達を次々となぎ倒し、サザンを救った。
 そのとき、大型ビジョンに蝶野正洋の姿が映し出された。「馳! テメェ何やってるんだ!! それからサザン! 何で俺がそこにいねぇんだ!?」。
 吠える蝶野に対し、サザンが現れ、プロレスが始まる。パーカッションの野沢“毛ガニ”秀行が蝶野にフルボッコされるも(大抵こういう役目は毛ガニだ)、キーボードの原由子がラリアットを放って蝶野が倒れ、そこを他のメンバーが押さえ込み、原坊がカウント3を叩いた。
 ちなみにこのとき、ベースの関口和之は休業中のため不在。ドラムスの松田弘と、現在は脱退したギターの大森隆志は健在だったので、サザンのメンバーは5人だった。サザンはスタジオでも、曲作りが煮詰まって来ると、よくプロレスごっこをやるという。原坊も餌食になるんだとか。

▼愛唱歌はサザンオールスターズの『ミス・ブランニューデイ』という蝶野正洋
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 この年越しライブが行われる1年前、前述の『pmc』が刊行された。10月24日号だから、ちょうどSWSが旗揚げする頃である。
 桑田は当時から『東京スポーツ』『週刊プロレス』、そしてタブロイド紙時代の『週刊ファイト』を愛読していたという。我がファイトを、天下の桑田佳祐が愛読していたとは……。あれ? 『週刊ゴング』は読んでなかったのかな??

 いずれにしても、プロレス誌(紙)を熟読していた桑田だから、当然のことながらプロレス界の動きは熟知している。そこで『pmc』では、当時存在していた4団体のトップについて論じた。

  全日本プロレス=ジャイアント馬場
  新日本プロレス=アントニオ猪木
  UWF(第二次)=前田日明
  SWS=天龍源一郎

 この4人について、桑田はどう分析するのか。もちろん音楽雑誌なのだから、いくらプロレス特集と言っても音楽についても語らなければならない。
 4人の偉大なミュージシャンと言えばそう、ザ・ビートルズである。ビートルズはロック界のみならず、クラシック界も含めて20世紀を代表する音楽家と言ってもいいだろう。桑田は4人のレスラーを、20世紀最高峰のビートルズに当てはめたのだ。

『哲学』に没頭するジャイアント馬場=ジョン・レノン

 ビートルズのメンバーを語る際、ジョン・レノン→ポール・マッカートニー→ジョージ・ハリスン→リンゴ・スターという順になる。この序列はプロレスでも同じで、ジャイアント馬場→アントニオ猪木→前田日明→天龍源一郎になると、当時の桑田は語る。
 つまり、ビートルズの長男坊はジョンで、プロレス界の長男坊は馬場だということだ。次男坊はポールであり、猪木というわけである。

 ジョン・レノンの音楽は、実に哲学的だ。愛に満ち溢れている。それは『宇宙愛』と言ってもいい。それが、ソロになってからの『イマジン』や『ハッピー・クリスマス』という曲にもよく現れている。自分の妻に捧げた曲『オー・ヨーコ』も、宇宙愛に発展していると桑田は言う。
 ジャイアント馬場のプロレスも、やはり愛を抜きにしては語れない。決して相手を壊さず、相手を包み込むプロレスをしている。馬場のプロレスは実に哲学的だ、と桑田は言うのだ。
 ジョンと馬場に共通しているのは、愛の壮大さである。ジョンの歌も、馬場のプロレスも、実にスケールが大きい。いずれも『宇宙愛』である。

▼愛に満ち溢れた名曲、John Lennon『Imagine』

 さらに桑田は、「馬場さんはエリック・クラプトンではないか?」と発想を飛ばす。馬場とクラプトンに共通しているのは、生まれながらのコンプレックスだ。
 馬場は、自らのあまりにも大きすぎる体に悩み続け、先天的な挫折を味わっている。一方のクラプトンには、なぜ俺は黒人ではないんだ、というコンプレックスがあった。いずれも、他の人から見れば、なぜコンプレックスに思うんだ? というような悩みだ。逆のコンプレックスに悩む人は多いのに、馬場やクラプトンは『恵まれている』が故のコンプレックスがあったのだ、と桑田は推測する。

 ジャイアント馬場がエリック・クラプトンだとすると、アントニオ猪木はジミー・ペイジで、前田日明はジェフ・ベックではないか? という結論にまで至った。となると、この3人のギタリストを生み出したヤードバーズは、日本のプロレスそのものだ、という。
 いかにも桑田佳祐らしい、プロレスと音楽論である。

 ちなみに、この記事に関してジャイアント馬場からメッセージ文が寄せられている。馬場は「桑田くんとは、たしか富山のホテルで会ったことがある」と書いていたが、高倉健すら知らない馬場が桑田佳祐のことを知っているわけがない。富山のホテルで馬場と桑田が偶然に会ったことは事実のようだが、ピンと来ていない馬場に周りが「あの人はサザンオールスターズの桑田佳祐さんですよ」と教えたそうである。そう聞いても、馬場はピンと来なかっただろうが。
 おそらく、『pmc』に馬場の記事が載るということで、メッセージ文を書くように頼まれたため、周りの人が代筆したのだろう。

▼桑田佳祐から、哲学的なプロレスはジョン・レノンのようだと評されたジャイアント馬場

『自己愛』に酔いしれるアントニオ猪木=ポール・マッカートニー

 桑田佳祐が最も好きなプロレスラーは、アントニオ猪木である。桑田は常々「プロレスラーで最もカッコいいのはアントニオ猪木、野球では長嶋茂雄」と公言していた。猪木と長嶋と言えば奇しくも同じ誕生日、桑田のそれと近い2月20日だ。

 その猪木を、ビートルズのメンバーで例えるとポール・マッカートニーだという。ポールは前述したように、ビートルズではジョン・レノンに次ぐ次男坊。ジョンの愛は宇宙に向かっている壮大なものに対して、ポールの愛は自分に向かう『自己愛』だと桑田は分析する。

 その象徴的な曲がビートルズの『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』という歌だ。クレジットではジョンとポールの共作となっているが、実際にはポールの曲。
 ポール自身が、この曲に酔いしれている。「自分はこんな道を歩いて来たんだ」という自己愛。
 この曲が発表された頃のビートルズは、最も仲が悪かった時期だ。ジョンとポールは事あるごとにケンカし、ジョンはポールに愛想を尽かしている。まもなくビートルズは解散した。
 ソロになったジョンは『ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?』という曲で、「お前の傑作は昨日(イエスタデイ)だけだ」と、ポールのことを痛烈に皮肉っている。
 このあたりの事情も、日本プロレス末期の馬場と猪木の関係に似ていると言えるだろう。長男坊の馬場は、弟分の猪木に愛想を尽かし、2人は袂を分かった。

▼ポール・マッカートニーが自己愛を歌い上げたThe Beatles『The Long And Winding Road』
https://www.youtube.com/watch?v=KJvXzPQSca0

 猪木の愛は、馬場のように全体ではなく、自分に向かっている。このあたりの分析は、桑田はさすがだ。年上の馬場に対して嫉妬心を爆発させて、猪木の愛は自己へ向かう。
 これは、ポールも全く同じだ。年上のジョンに嫉妬したポールは、ジョンを排除するように独自路線へ向かっていく。
 兄の馬場およびジョンは、協調性に欠ける弟の猪木そしてポールを忌避するようになった。

 桑田は、馬場と猪木、どちらと仕事をしたいのかというと、もちろん馬場さんだという。ただし、好きなのは猪木さんだ、とも。

▼桑田佳祐が、ポール・マッカートニーのような『自己愛』の象徴と評するアントニオ猪木

『技能』を追求する前田日明=ジョージ・ハリスン

 ジョージ・ハリスンは、ビートルズの中で最も年下である。つまり、ビートルズでは末っ子。
 これは、前田日明にも当てはまる。馬場、猪木、前田、天龍の中で、前田は最も年下。つまり、当時のプロレス界では末っ子というわけだ。

 ジョージは、他のギタリストとは違う道を歩んできた。エリック・クラプトンなど当時のギタリストはブルースの影響を受けていたが、ジョージはロカビリーが出発点だった。
 さらに、ジョンとポールという、あまりにも偉大な先輩がいたため、ジョージはビートルズの中ではさほど重要な位置を占めなかったのである。

 これは前田日明も同じ。普通のプロレスラーは、子供の頃からプロレスに憧れているものだが、前田はプロレスのことなど全く知らなかったのだ。前田は、ウルトラマンに勝ったゼットンを倒すために、空手家の道を歩んだだけである。
 しかし、新日本プロレスにスカウトされて、プロレスラーになった。ここから前田の苦悩が始まる。強くなるためにプロレスラーになったのに、その世界は前田にとって失望するものだった。

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