[週刊ファイト2月28日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼ブッチャー引退によせて!猪木とドリー・ファンクjr『名勝負は永遠に』
photo & text by 藤井敏之
・大会後のサイン会の長蛇の列!アブドーラ・ザ・ブッチャー
・猪木とドリー!リング上の闘いではなくビジネス上の最大のライバルに
・新間寿・初代虎 タイガー戸口 マスカラス兄弟バックステージ人間模様
・永久保存版一挙公開!
1970年、日本の高度成長期を象徴する日本万国博覧会が開催されていた夏、初めてファンク兄弟が日本プロレスに登場しBI砲と激戦を繰り広げた。
気分的に一息つけるのかと思われた「サマー・ビッグ・シリーズ」に白い袴を着た男が来日。カール・ハイジンガーがエースと目されていたが、8月21日後楽園ホールにて、TVも生中継されたメインイベントで無敵のBI砲を相手にその男は凄いラッシングパワーと流血殺法で、お茶の間のファンを戦慄させてしまった。ジャイアント馬場のインターナショナル選手権にも挑戦し一躍、シリーズのエースに昇りつめた。そう黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーである。
その後は日本プロレス黄金期の最も有名なるヒールレスラーとして活躍。みなさんご存じのように、ジャイアント馬場率いるザ・デストロイヤーから始まり、ザ・ファンクス、ザ・シークらと血に染まる抗争を行い確固たる地位を確立させ、それにも飽き足らず、ライバル団体の新日本プロレスに移籍しアントニオ猪木と抗争を始めた。
長きに渡り日本のプロレス界で活躍してきたアブドーラ・ザ・ブッチャーのこれまでの日本のプロレスにおける貢献度と彼の慰労兼ねたこのような引退セレモニーが開催されたことは素晴らしい事であり、ファンも納得したことであろう。大会後のサイン会の長蛇の列がそれを物語っていた。
猪木とドリー!リング上の闘いではなくビジネス上の最大のライバルに
究極の日本とアメリカのレジエンドレスラーが2008年第三回ゲノム興行以来の再会!
昭和44年12月2日(大阪府立体育会館)、翌年の8月2日(福岡スポーツセンター)でNWA世界タイトルマッチで死力を出して戦ったアントニオ猪木とドリー・ファンクJRが、久しぶりにジヤイアント馬場さんの追悼興行で再会を果たした。
二人は顔を合せ、御互いにエールを送りあっていた。昭和ファンにとっては涙ものの名シーンであった。
▼名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア
▼日本プロレス浪漫街道