[ファイトクラブ]短期連載『ジャイアント馬場 表と裏の顔』最終回 馬場を乗せるには“あの質問”が最も効果的だった

[週刊ファイト2月21日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼短期連載『ジャイアント馬場 表と裏の顔』 最終回
 馬場を乗せるには“あの質問”が最も効果的だった
 by 井上 譲二
・馬場発言としては面白い話を引き出すことができた
・レスラーにも質問してもらいたいことと聞いてほしくないことがある
・馬場人気は高く、ビッグ・ババの名前は全米に轟いていた
・当時の米マットの裏事情も明かしてくれた馬場


 昭和の大物レスラーの中で事件や騒動がないときの馬場インタビューほど面白くないものはなかった。最大のライバルであるアントニオ猪木についての質問はタブー。特ダネになるような全日プロ情報を教えてくれるわけでもなく、見出しを付けるのに苦労したことが多々あった。そこで私は作戦を変え、あの時代の質問をすると馬場さんは上機嫌になり、他の質問でも馬場発言としては面白い話を引き出すことができた。


(C)双葉社

 元号が昭和から平成に変わってアントニオ猪木が政界に進出した頃(89年)には、ジャイアント馬場と猪木の個人的な確執も全日本プロレスと新日本プロレスの敵対意識も完全になくなっていた。翌90年4月、WWF(現WWE)との3団体合同興行が実現したことがその証しである。

 そのとき、「馬場が信用する坂口征二が新日プロの新社長に就任したことで夢のビッグイベントが実現した」と報じたマスコミもあったが、団体オーナーは猪木のまま。従って馬場と猪木が一緒にビジネスを行ったことに変わりはなかった。


猪木と馬場

 ただ、このように両団体の関係が改善されても馬場は猪木や新日プロについて語りたがらなかった。禁句と言うほどのものではなかったが、単独インタビューでも聞かない方が無難と言えた。

 自分の置かれている立場や選手としてのランクに関係なく、レスラーにも質問してもらいたいことと聞いてほしくないことがある。で、インタビューに応じてくれた選手から可能な限り面白い話を引き出すには、記事にする、しないは別にして、その選手にとって良い思い出になっていることから聞き始めるのがコツである。

 猪木ならモハメド・アリ戦。藤波辰爾ならWWWF世界ジュニア・ヘビー級王者としてニューヨークMSGのリングに上がっていた頃の質問をすると滑らかな口調になった。

 で、馬場はと言えば、1960年代前半に行った米マット武者修行時代に関する質問が最も効果的だった。


馬場と猪木

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