[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第49回 カルガリーでの密着取材で気付いたレスラー馳浩の“弱点”

トップ画像:二度目のカルガリー遠征でマスクマンチームのベトコン・エクスプレスを名乗っていた馳浩&新倉史祐

[週刊ファイト11月09日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第49回
 カルガリーでの密着取材で気付いたレスラー馳浩の“弱点”
・3団体を渡り歩いた馳浩。国会議員になってからも現役を続行したのは単にプロレスが好きだったため
・プロレス入りの挨拶のためにわざわざ東京から来てくれたのは馳浩だけ
・「フォア・ザ・チーム」に徹するあまりほとんど変わらなかった
・レスラー議員初の大臣就任。我々は馳浩を誇りに思うべきである



武藤敬司プロデュース興行PRO-WRESTLING MASTERSでジャイアントスイングする馳浩

 85年8月にプロレス入り後、ジャパン・プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体を渡り歩いた馳浩。国会議員になってからも現役を続行したのは単にプロレスが好きだったためだ。レスラー馳に対するマスコミの最終評価は中堅以上、エース未満。まとも過ぎる彼の人間性もスターダムにのし上がれなかった要因の1つである。

 かつてレスラーがプロレス専門紙(誌)の編集部を訪れることは珍しくなかった。大阪に拠点を置く『週刊ファイト』の編集部にも三沢光晴、橋本真也、大森隆男、グレート・サスケ、スペル・デルフィン、グレート小鹿、ドリー・ファンクJRらが何らかの用事があってやってきた。

 だが、プロレス入りの挨拶のためにわざわざ東京から来てくれたのは馳浩だけである。

 残念ながら米国に出張中の私は会えず、井上義啓編集長がこの大物ルーキーを出迎えたが、帰国後に馳の印象を聞くとI編集長はこう言った。

「元教師だけあって頭が良いし礼儀正しい。ただ、(ロス五輪)レスリング日本代表になった割には格闘家のオーラというか荒々しさを感じなかった。プロレスラーは上品過ぎてもダメなんだよ」

 それから1年数カ月後にカナダ・カルガリーで初めて馳を取材した私が受けた印象もほぼ同じだった。

 オーエン・ハートとの合同トレーニング後に現地の新聞の政治面に目を通している馳に「読めるの?」と尋ねると、「だいたいわかります」。こうした語学力に加え、なかなかの博識家。私は馳のインテリジェンスぶりに驚くばかりであった。

 ただ、安達勝治(ミスター・ヒト)一家や、一緒に海外修行中の新倉史祐との共同生活の中で気になる点が1つあった。

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