全盛期はジャンボ鶴田らと激闘を繰り広げた”喧嘩番長”ディック・スレーターさん亡くなる

 全日本プロレス時代は、次期NWA王者最有力とまで評され、ジャンボ鶴田らと激闘を繰り広げたディック・スレーターさん(本名リチャード・ヴァン・スレーター)が、67歳で亡くなったとNWAやWWEが伝えた。現時点で死因は公表されていない。

 フロリダ州タンパ出身で、エディ・グラハム主催のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ(CWF)から1972年にデビュー。当時はヒロ・マツダらに鍛えられた。
 全日本プロレス時代は、ファンク一家として売り出されたが、米国内ではダーティー・ディック・スレーターの通称が示すように一貫してヒール。リング外での本物の喧嘩逸話や武勇伝も数多かったが、次第にアルコールとドラックに溺れてしまい、タイトル歴こそ無数にあるが、本物のトップにはなれなかった。

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 公式には1996年に背骨を負傷して引退。2003年には正式にリングでは最後の試合をして以来、残念ながらゴタゴタ続きだった。翌2004年にはガールフレンドを刺した件で1年間の自宅保護観察と2年間の執行猶予刑を喰らっており、女性への1万8000ドルの賠償金の支払い判決を命じられているが実際には払えなかったとされる。

 2013年にはちんけなコソ泥を働いた件で、それ自体は保釈金を払って留置所から出ていたのだが、2月25日の裁判所からの呼び出し期日に出頭しなかったことからから、記録が照合可能な2007年以降だけでも5度目となる逮捕となった件は本誌でも報道済みだ。本人はドラック中毒について、1981年の交通事故後、背骨の痛みを抑えるために服用していた薬物(モルヒネとオキシコンチン)から抜け出せなくなったと弁明している。

 不思議なことに、日本でのベルト戴冠は1994年7月の来日で、トーナメント決勝戦で荒谷信孝を破ってのIWAジャパン・ヘビー級王座が初戴冠だった。ご冥福をお祈り申し上げます。