10・19後楽園、10・21大阪ATCホール:カネックがドラディション来襲!

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 カネックとマスカラスは、ルチャリブレ界のレジェンドである。どうしても昭和53年、初来日時の藤波辰巳戦を目前にしての敵前逃亡事件のイメージが強すぎ損してきた。
 メキシコマット界において最大のライバル、ミル・マスカラスの初来日における衝撃と比較すると、日本デビューにおいてはかなりの差をつけられれていた感がある。

 しかし後日、その原因も徐々に解明されてからは新日本プロレスの躍進のきっかけとなった世界最強タッグを猪木・坂口組と争った。カール・ゴッチからレスリングを学び、さらには78年に一方の雄であるル・テーズを倒しUWA世界ヘビー級チャンピオンになっている。

 メキシコでは珍しくヘビー級の体格ゆえ、どうしても国外のヘビー級の選手を相手に防衛戦を行う運命にあり、メキシコでは堂々と門番役としての存在が大きい。
 日本に来ても、当初は藤波やタイガーマスクなどジュニアの選手と当たり名勝負を展開する事が多かったが、徐々ヘビー級レスラーとの闘いが増えてくる。

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2011年府中プロレス会見でのネグロ・ナバーロ、カネック親子、日章旗をあしらったヤマト(タイガー戸口)

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カネック王座であるUWA世界ヘビー級ベルトを掲げ、寺内1/2兵衛記者とポーズをとるカネック

 ざっと、大きな大会での戦績をみてみても芳しくないのである。昭和54年の第二回MSGリーグでは藤原喜明に勝利して決勝リーグに進出したが、決勝リーグでは3勝5敗1引き分けの結果に終わる。
 昭和56年にはスーパーマキナとタッグを組み第二回MSGタッグリーグ戦に出場。8敗1不戦勝という散々な成績だった。
 しかし、56年春にデビューしたタイガーマスクとの年末の試合では体格で圧倒、両者リングアウトのドローにもつれ込んでいる。
 昭和58年IWGPリーグ戦では、同じ中南米ゾーンのエンリケ・ベラに勝っただけで後は全敗という成績に終わってしまった。


新日本プロレス参戦時、会場の隙間から試合を注視するカネック

 翌年60年にはライバルマスカラスの実弟ドス・カラスと組みIWGPタッグリーグに出たが、やはり1勝4敗1引き分けに終わっている。
 全米やヨーロッパにおけるヘビー級選手が相手では、日本のマットではどうしても噛ませ犬的な存在に終わっているのである。
 ただ、母国メキシコではこの間、タイガー・ジエット・シン、ビッグバン・ベイダー、長州力、キム・ドクらを相手にタイトルを奪われたり取り返したりの大活躍をしてるのだ。さらには昭和59年にはアンドレ・ザ・ジャイアントをボデイスラムで投げつけ、ハルク・ホーガンのWWF王座にも挑戦、スタン・ハンセンにストレート勝ちするなど、メキシコの一方の英雄として凄い実績を残しているのである。

 日本プロレスでのデビューから全日本プロレスでの特別待遇的なスーパースターであるマスカラスと比較すれば、日本のマットにおける活躍は比較にならないほど差があるように思えるが、メキシコでの実績は勝るとも劣らない素晴らしい実績の持ち主となり、やはりマスカラスとは宿敵でありメキシコの2トップのスーパースター・レスラーである事は間違い無い。
 今回の来襲は要注目なのだ。

■ ドラディション
日時:10月19日
会場:後楽園ホール

日時:10月21日
会場:大阪ATCホール


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