[ファイトクラブ]プロレスとは何ぞや!? 哲学的なテーマ(?)に挑む!

[週刊ファイト9月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼プロレスとは何ぞや!? 哲学的なテーマ(?)に挑む!
 by 安威川敏樹
・プロレスは映画か?
・プロレスは演劇か?
・プロレスはコンサートか?
・プロレスに似ている世界がひとつだけあった!
・WWEとNWAの相違点


 9月4日、台風21号が大阪を中心とする近畿地方を直撃、さらに9月6日未明には北海道が大地震に襲われた。
 被災した皆様には心よりお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧を祈っております。

 かくいう筆者も大阪府南東部在住で、自宅では土がいっぱい入ったプラスチック製の植木鉢が吹き飛んだり、地上波テレビが見られなくなったりしたが(BSやCSは見ることができた)、他の被災地に比べれば被害と呼べるものではなかった。しかし、同じ大阪府南部でも大阪湾に近い南西部では、電信柱が何本も倒されて長期間の停電を余儀なくされるなどの大被害があった。京都府南部と大阪府北部の府境に住んでいる筆者の姉は、ほぼ3日間停電と断水に見舞われたという。
 筆者が関係している札幌の出版社からメールが届いたのは、地震発生から1日半後で、それまではずっと停電しており、スタッフも自宅待機が続いているそうだ。弱り目に祟り目というか、これほど立て続けに巨大な天災に見舞われるとは、日本は災害列島だと実感した。

 さて、台風21号が大阪を襲う直前の8月31日、別の台風が大阪を直撃した。WWE大阪公演である。WWEという名のプロレス・タイフーン(ハリケーンか?)は、間違いなく大阪を席巻した。
 WWEを取材して、改めて思った。プロレスって何なのだろう、と。

▼[ファイトクラブ]WWE大阪総括~主役カイリ・セイン~ノア丸藤正道20周年記念

[ファイトクラブ]WWE大阪総括~主役カイリ・セイン~ノア丸藤正道20周年記念

プロレスは映画か?

 日本中が焼け野原になった敗戦後、アメリカからプロレスが日本に輸入されて以来『プロレスとは何か?』という命題がずっと付いて回っていたような気がする。
 力道山が空手チョップを振るって大柄な外人レスラーをバッタバッタとなぎ倒すと『日本万歳!』と熱狂し、やがては『あんなの八百長だよ』と蔑まれ、それに反発するように『最強の格闘技はプロレスだ!』論がプロレス・ファンの間で蔓延し、プロレスラーが総合格闘技で惨敗すると、プロレス界はたちまち冬の時代を迎えてしまう。そんな状態で20世紀は終わりを告げた。

 21世紀に入り、新日本プロレス元レフェリーのミスター高橋の著書『流血の魔術 最強の演技(講談社)』で、プロレスには勝負論はない、と明かされた。つまり、他のスポーツとは違うというわけである。同書ではその例え話として、映画『ロッキー』の中で、主演のシルベスター・スタローンが敵役の俳優に対して「俺は主役だから勝たしてくれ」などと言って、相撲で言うところの『星を買う(借りる)』ことなどないが、プロレスも全く同じだ、と説明した。

 では、プロレスは映画のようなものなのだろうか。筆者は、ちょっと違うと思う。
 プロレスと映画との決定的な違いは、ライブであるか否か、ということだ。映画の生放送なんて聞いたことがない。今年は『カメラを止めるな!』という映画が話題になったが、あれとて生の映像を映画館で流しているわけではないのである(当たり前だ)。

 映画ではNGが出るとカメラを止め、改めて同じシーンを撮る。何度でも撮り直しできるのだ。もっとも、何度もNGを出すと監督や大物俳優から怒鳴られるだろうが。
 しかし、プロレスはライブなのでやり直しが利かない。失敗すれば、大恥をかいてしまう。
 その点、他のスポーツの方が楽だろう。エラーをしたことがない野球選手はいないし、PKを外すエース・ストライカーだって珍しくない。普通のスポーツでは、相手は勝つために妨害(もちろんルールの範囲内だが)してくるのが当たり前なので『失敗は付き物』と許容されているのだ。だが、プロレスでは失敗が許されないわけではないが、致命傷にはなる。

▼失敗しても『撮り直し』ができないプロレス

 それに映画では自分の演技を直接、客に見られることはない。客が見るのは、全てが完成して上映される映画館の中だ。つまり、俳優が客の反応を見ることはできないのだ。
 しかしプロレスでは、常に客に見られている。客の反応がモロにわかるのである。客の反応が良ければ嬉しいし、悪ければ落ち込んでしまう。

 生を見せるプロレスと、録画し編集して完璧になったものを見せる映画とでは、かなり違うと言えよう。

プロレスは演劇か?

 プロレスが映画ではないとしたら、演劇ならどうだろう。こちらはプロレスと同様ライブだし、客からの直接の反応がある。舞台に立つ役者が、客から浴びる歓声と拍手は、プロレスによく似ているだろう。これならば、映画よりも近そうだ。

 しかし、やはりプロレスと演劇は似て非なるものである。映画の項では、プロレスは失敗が致命傷になると書いたが、演劇はもっと厳しい。演劇では失敗は絶対に許されないのだ。
 役者は台本を一字一句、全て覚えなければならない。そして舞台の上では、完璧にセリフを喋らなければならないのである。
 セリフを間違えたとき、上手くアドリブで乗り切ることもあるが、収拾がつかなくなったら舞台も台無しだ。それに、ストーリーは絶対に変えることはできない。

 その点、プロレスでは失敗があっても、相手レスラーやタッグ・パートナーが上手くフォローすればいい。演劇では役者が勝手にストーリーを作ることはできないが、プロレスでは客の反応を見ながら試合を作り上げていくのが一流レスラーである。
 あるいは、スタン・ハンセンがボディ・スラムを失敗してブルーノ・サンマルチノの首を折ってしまった事件のように、失敗が逆に伝説化することもある。
 なにしろ、映画や演劇と違って本当に殴ったり蹴ったり投げたりするのだ。アクシデントやハプニングが起こらないわけがない。

▼不幸なアクシデントがキッカケで、スターダムを駆け上ったスタン・ハンセン
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 それに、演劇では失敗が許されないために、何度も繰り返し稽古(リハーサル)をする。プロレスではリハーサルなど基本的にはやらない。一流レスラーなら、ぶっつけ本番でもバッチリ相手レスラーと息を合わせることができる。
 しかも演劇では、長い期間ずっと同じ演目を上演する。もちろん、ストーリーもずっと同じだ。しかしプロレスでは、毎日カードが変わるし、同じカードでも内容は試合ごとに違う。

 さらに、演劇では映画とは逆で、基本的にライブのみだ。稀にテレビ中継される演劇もあるが、生の舞台が生命線である。一方のプロレスでは、ライブとテレビの二本立てだ。インディー団体ならともかく、メジャー団体ではテレビ中継の重要性は極めて大きい。

プロレスはコンサートか?

 映画でも演劇でもないとすれば、プロレスは何なのだろう。そうだ、コンサートというのはどうだ?
 たしかにWWEの会場は、コンサートのようなノリと一体感である。レスラーのアピールに対して、客がそれに応える。1980年代の日本のプロレスでは、こんな雰囲気はなかった。

▼これぞコンサートのようなノリ

 しかし、やはりプロレスはコンサートとも違う。なぜなら、コンサートには『アンチ』がいないからだ。サザンオールスターズのコンサートに来る客は、基本的にみんなサザンのファンである。桑田佳祐や原由子らに罵声を浴びせる客はいない。いれば、他の客から袋叩きになる。

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