[週刊ファイト8月2日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』52
必殺技誕生秘話『がんじからめ』
・プロレスラーにとって、命とも言える必殺技やオリジナルホールド
・“カレリン”をもじって勝手に横取りしたのが『カタリンズリフト』
・北海道アジアンプロレス畠中浩旭の『ビッグブーツ』
・“サクラダさん”ジャンピングパイルドライバー
・バック・ドロップ・ホールド『B・D・H(ビー・ディー・エイチ)』
・ギブアップを奪う固め技『がんじからめ』の由来
・足を固め、それだけではもの足りず腕も複雑にロックする
・国際プロレス・プロモーション“偽物シリーズ”ギロチンドロップ
ようやくたどり着いたフィニッシュホールド、ジャンピングパイルドライバー。同期や年下の先輩からは指導を受けられない! 体の大きな畠中さんは、生きた手本。『がんじからめ』誕生秘話! ギロチンドロップを使い始めた理由・・・
プロレスラーにとって、命とも言える必殺技やオリジナルホールド。
今回は、オイラの得意技についてお話します!
デビュー間もない頃は、ヘッドロックやボディースラムなど、プロレスの基本技を覚えるのに必死でした。しかしすぐに、それだけではプロの世界では通用しないことに気付きます。
かといって、それまでテレビで観ていたプロレスラーの大技を、見よう見真似で習得できるほどプロレスは甘くありません。
オイラは、大学で4年間アマチュアレスリングを経験していたので、デビュー当時はアマレスの技を多用していました。
その際には、ジャンボ鶴田さんや馳浩さんといったアマレス出身の大先輩をお手本にしました。
アマレスの醍醐味といえば、やはり豪快な投げ技、スープレックスです。
中でも、他のレスラーがあまり使わないフロントスープレックスや俵返しを毎試合出していました。
後に、“霊長類最強の男”アレキサンダー・カレリンが、得意技の俵返しに自分の名前を付け、『カレリンズリフト』と呼んでいることに目をつけました。
“カレリン”をもじって“カタリン”とし、勝手に横取りしたのが『カタリンズリフト』です(笑)。
ここに、ケン・片谷、初のオリジナルホールドが誕生しました!
ようやく、オリジナル技を持てたことにより、技のバリエーションが飛躍的に増えました。
しかし、それだけでプロレスが上達するわけではありません。オイラはすぐに次の壁にぶち当たることになります。
『単発のスープレックスだけでは、なかなかフィニッシュに持ち込めない』
当時よく言われていたのが、「片谷は、体が大きいのに技が小さい。体を生かした説得力のある大きな技がない。」でした。
ご承知の通り、オイラはプロデビューが遅かったため、同年代の同期が極端に少なく、悩みを相談できる相手がいませんでした。
また、年下の先輩から指導を受ける機会もなかなかなく、一人で悶々とすることが多かったことを覚えています。
ならば、多くのレスラーと対戦したりセコンドに付くことによって、技を盗むしかないと気持ちを切り替えるようになりました。
その頃お世話になっていた、北海道のアジアンプロレスには、この上ないお手本がいました。
代表の畠中浩旭さんです。
畠中さんは、日本人離れした巨体の持ち主です。それでいて動きも早く、リングを縦横無尽に駆け回っていました。
少数精鋭のアジアンプロレスでしたので、畠中さんと対戦する機会も多くありました。
そんな経験の中から、オイラはどんどん畠中さんの良いところを吸収していったのです。
しかし、アジアンのリングで畠中さんのコピーを試すなんて恐れ多いので、東京に帰ってから、他の団体の試合で徐々に出していくようにしました。
最初に盗んだのは『ビッグブーツ』です!
“16文キック”と言った方が馴染みがあるかも知れません。
しかし、畠中さんのそれは、馬場さんのキックというよりも、ブルーザーブロディーが巨体を利して相手の顔面を蹴り上げる姿に近いものがありました。
そう、ただロープの反動で返ってきた相手に対して足を出すだけでなく、顔面を捉えた後にさらに踏み込む豪快さを、オイラは出したかったのです。
さらに、オイラは畠中さんが最も得意とする、究極の大技に着目しました。
それは、ジャンピングパイルドライバーです!
畠中さんは、ジャンピングパイルドライバーのことを“サクラダさん”と呼んでいました。
プロレスの大技は、その使い手の代名詞として形容されることがあります。
例えば、バックドロップのことは第一人者である“ルー・テーズ”、ダイビングボディーアタックやフライングクロスチョップのことは“マスカラス”といった具合です。
“サクラダさん”とは、畠中さんがSWS時代同門だったケンドー・ナガサキこと桜田一男さんのことです。
プエルトリコでスカウトされ、日本デビューを飾るきっかけとなった桜田さんに敬意を表して、桜田さんの得意技であるジャンピングパイルドライバーのことをそう呼んでいるのだと思います。
さて、話が少し反れましたが、いかにジャンピングパイルドライバーを自分のものにするか。ピタッとハマれば、誰もが納得するフィニッシュホールドになることは間違いありません。
幸い(笑)、当時畠中さんのジャンピングパイルドライバーを受ける機会が最も多かったオイラは、習うより慣れろ、身をもって大技を自分のものにしていったのです。
それはまるで、若手時代に誰よりもスタン・ハンセンのウェスタンラリアットを受けた長州さんが、リキラリアットとして自分の得意技にしたかのように…。
今では、ここ一番のフィニッシュホールドとして、自信の持てる技にまで成長しましたが、まだまだ精度を上げていきたいと考えています。
そしていつか後輩レスラーに、ジャンピングパイルドライバーのことを“カタヤさん”と呼んでもらえるようになったら嬉しいですね。
ジャンピングパイルドライバーと平行して、先述のスープレックスをさらに豪快にしたバック・ドロップ・ホールドも多用しました。
やはり元アマレス王者、ジャンボ鶴田さんも得意としていた技です。
こちらも、オリジナリティを出すために、バック・ドロップ・ホールドの頭文字を取って、『B・D・H(ビー・ディー・エイチ)』と名付けました!
さて、ここまでオイラの得意技やオリジナル技をいくつか紹介してきましたが、もうひとつ、ケン・片谷を語る時に決して忘れてはならない究極のオリジナルホールドがあるのをご存知でしょうか?
その名も『がんじからめ』です!