7月22日(日)、長州力がNHK大河ドラマ『西郷どん』に出演した。第27回『禁門の変』である。
長州力が大河ドラマに出演! このニュースを聞いたプロレス・ファンは騒然となった。
「あの滑舌の悪い長州のセリフが聞き取れるのか!? 字幕スーパーが出たりして」
「大河ドラマでリキ・ラリアットが飛び出したら最高!」
など、喧々諤々。さて、長州はどのように演じたのか。
▼長州力がNHK大河ドラマ『西郷どん』に出演!
長州力、長州藩士として登場! 大河ドラマの歴史を変える!?
時は江戸時代末期、即ち幕末の頃だった。1853年にアメリカ合衆国のマシュー・ペリーが来航、江戸幕府がずっと続けてきた鎖国が終わりを告げ、まさしく動乱の時代となった。250年続いていた江戸幕府の屋台骨が揺らいできたのである。
長州藩(現:山口県)は幕府を倒して天皇を敬い外国勢力を排除する、尊王攘夷を掲げていた。一方の薩摩藩(現:鹿児島県)は幕府と朝廷を協力させて難局を乗り切るという、公武合体を主張していたのである。
後に薩摩藩と長州藩は薩長同盟を結んで江戸幕府を倒したが、この頃は対立していた。
天皇中心の世の中を作ろうとしていた長州藩だったが、皮肉なことに過激な行動が天皇の怒りを買い、公武合体派の薩摩藩と会津藩(現:福島県)の手によって京から追放されたのである。これが1863年に起きた『八月十八日の政変』だ。
その後、長州藩内でも急進的な尊王攘夷派と慎重派に分かれたが、慎重派の代表は桂小五郎(後の木戸孝允)だった。その桂小五郎が薩摩藩の西郷吉之助(後の西郷隆盛)に会って、協力を求めるところから今回の物語が始まる。
しかし1864年6月5日、幕府方の新選組が京の旅館・池田屋を襲い、長州藩士が殺された。これがいわゆる『池田屋事件』である。池田屋事件により、長州藩内では慎重派の意見が鳴りを潜め、一気に京へ攻め上る気運が高まった。
このとき、長州藩で遊撃隊を結成したのが尊王攘夷派の急先鋒、長州力が演じる来島又兵衛である。
▼尊王攘夷派の急先鋒、長州藩士の来島又兵衛を演じた長州力
同年7月19日、来島又兵衛率いる長州藩の遊撃隊は、京の御所の蛤門で会津藩と相対し、戦いの火蓋を切った。これが今回のサブタイトルになっている『禁門の変』である。
「相手は憎っくき会津の兵どもじゃあ! 遠慮はいらん! 叩き潰せー!!」
蛤門の前で来島又兵衛が叫んだ。即ち、これが長州力の最初のセリフである。
来島又兵衛率いる長州藩の遊撃軍は、会津藩の軍勢を打ち破って進撃した。劣勢の会津藩を助けるべく、西郷吉之助は部下に蛤門を守るように命じる。ここに長州軍と薩摩軍との戦闘が始まった。
「一気に突き破れー!」
と命じる長州力、もといっ、来島又兵衛。さらに、御所に向かって大砲を「撃て―!」と何度も叫ぶ来島又兵衛。
そして、遂に出た! 来島又兵衛によるリキ・ラリアット2連発!!
……って来島さん、アンタ長い槍を持ってるやん。なぜ、わざわざラリアットを放つ!?
ラリアットの直後、薩摩藩士の川路利良の銃弾により、来島又兵衛は戦死した。え、もう終わり!?
(ちなみに史実では、この後の来島又兵衛は槍で自ら喉を突き、甥に介錯させて死亡したと伝えられる)
結局、長州力の登場シーンは3分半ぐらい。ほとんどウルトラマンと同じ長さだった。
セリフも、長かったのは最初だけ。って、長いというほど長くもなかったけど。
どうせなら西郷吉之助とコラコラ問答ぐらいはして欲しかった(笑)。
それでも、プロレスラーが大河ドラマでラリアットを放ったのは快挙。NHKに歴史的1ページが刻まれたと言えよう。
▼NHK大河ドラマでリキ・ラリアットが炸裂!
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