[週刊ファイト7月5日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼みちのく25周年~DDT入江革命~ベラトールDAZN~WWE株価$75
タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編
・1993年シュート革命、みちのくプロレスとECW、王道RAW中継の開始
・DDT入江茂弘がブッカー男色ディーノにガチ演説!CMパンク革命再現
・今週の最重要ニュース:ベラトールのDAZN配信発表と勢力地図異変
・9・29クイントン・ジャクソンvs.ヴァンダレイ・シウバ4度目対決っても
・DAZNのアメリカ黒船上陸と2018年マット界放送権革命元年の衝撃度
・SmackDown地上波FOX移籍等が公式発表!WWE株価$75に高騰
―― 6・24『新崎人生25周年記念大会』が好評でした。サムライTVで中継されましたから。名野崎真実という、ミニ新崎人生やっていた「のはしたろう」が、みちのプロレス看板の東北ジュニアヘビー級選手権に勝利する。人生が表彰状を授与する場面で「泣くな」とひっぱたくんですが、泣いているのは人生の方なんです。
オフレコ ということは、みちのくプロレス25周年でもあると。そりゃそうだね。UFCも今年はなんかポスター図案やるたびに、「25」って入れてるからなぁ。1993年シュート革命、K-1、パンクラス、UFCが期せずして同じ年に始まった。まぁ、今の新生K-1はまるで別物だから「25周年」を強調はしてないけど・・・。
―― そして1993年は、右の極端なところでガチンコのプロ興行というのが、これまでのセオリーでは実験試合として組み込むならともかく、継続してのビジネスとしては無理、客が「こんなのつまらない」と、スグに飽きると考えられていたのに、これがなんと受けたという。
オフレコ “キックの鬼”沢村忠は、毎週必ずタイ人に真空飛び膝蹴りを命中させるんだけど、K-1日本人エースの佐竹雅昭は、当時無名のクロアチアから来たブランコ・シカテックという選手に負けてしまう。でも時代が変わったのか、ファンはリアルの説得力に興奮した。
―― さらに1993年は、左の極端なところで、米国東海外ではECWがポール・ヘイマン代表に変わって、It’s NOT for everyoneと断りつつ、プロレスのケーフェイをもリング上のパロディにしてしまうという、とんでもない掟破りをやりだした。日本の東北では、地域団体、しかも和製ルチャリブレという、これまたこれまでの常識を覆すプロモーションが始動しています。
右からも、左からも、もの凄い革命の嵐が沸き起こった。
オフレコ だったら、王道のプロレスはどうするのかと。これまた逆襲が始まるんだけど、これをやりだすと一冊の本になってしまうから、みちのくプロレスと、「シュート活字」の誕生に絞らないといけない。
―― 6・24『新崎人生25周年記念大会』拡大版レポートは、電子書籍のみの収録とします。当初は、新崎さんが社長だったセンダイガールズと、みちのくプロレスの合体興行ですね。
オフレコ その、両極端からの革命に、王道がどう対処したかなんだけど、WWEのRAWも1993年から始まって、今では米国で最も長く続いているウィークリー番組ということになっている。なにが違うかというと、それまでの通称「TVマッチ」というのは、次の大きなMSG大会なりでメインイベントを担う選手が、それぞれ負け役専門のジョバーと呼ばれる相手を、数分で処刑する宣伝の役割でしかなく、ペンシルベニア州のアレンタウンがローカルテリトリー時代は有名なんだけど、いわゆるスタジオ収録の安易な試合しか見せてなかった。
ところが、マンハッタンセンターからのRAW中継は、最初はライブではなかったけど、小さい会場とはいってもちゃんと有料でお客も入れて、じっくりの試合をするようになった。
―― それも革命だったわけですね。1993年はマット界の歴史的転換期だったと。
オフレコ 人生が白使としてニューヨークに来て、当時マンハッタン在住だったから、日系人会で「白使ファンクラブ」を結成しようという話になって、だけどタイミングが合わなくて、近所に住んでいたハズなんだけど、会えずじまいだったなぁ。まぁ、そんなことはどうでもイイんだけど、ケーブル局といっても、日本とは普及率がまったく違って、実質無料の地上波のようなUSAネットワークで、1995年頃はブレット・ハートや白使の、凄い試合がRAWでもやっていた。
―― 当時、日本では、いや今でもだと思うんですけど、日本のプロレスが一番で、アメリカは劣るというウソが流布されていて、「そうかな?」と。ビジネス面だけでなく、日米逆転現象がこの頃から顕著になっていました。
オフレコ そこに登場していた日本人選手なんだから、新崎人生には思い入れあるなぁ。
―― ちょうど別項の記事とかぶってしまいますが、革命前夜の予兆というなら1991年だと。
▼過大評価過ぎても追悼ならず:新日冬の時代裏エース!? 異論ベイダー考
―― WWEが『サマースラム 1991』の直前、Wrestling Observer、Torchなど、ケーフェイをバンバン書いてしまうダートシートとして嫌われていた記者たちへの態度を変えた。コネティカット本社にアゴ足付きでご招待。今後は、協力もしていく、情報も教えるとやったのが、やはり転換点だったのではないかと。もちろんMSGで開催された『サマースラム』にも来賓席だった、と。
オフレコ 電子書籍として同じ7月5日号内なのに、同じ画像を使うのは反対、オカシイと言われたけど、[ファイトクラブ]有料記事として公開する場合、冒頭箇所は無料で読ませる手前、そこに出すのは許されるんじゃないと。
―― 詳しくは、他媒体にない「ベイダー追悼」を読んで下さい、購入して下さいですね。主旨としては、ブルーザー・ブロディの時代は日本がプロレスの世界のメッカ、ギャラも一番高い黄金テリトリーだったのですけど、ベイダーは90年代のスターであって、日米逆転劇の狭間にいたから、だからWCW王者にもなったという・・・。
オフレコ 数年で壁にブチ当たって卒業してしまう、サイクルの短かさが日本のガンになった。シュート活字的にはケーフェイをタブーとしたままの日本のプロレス教育改革がなされなかったことやね。それが日米逆転劇の肝だから。
―― その逆にWWEは、1991年の『サマースラム』辺りから、本当のことを書くジャーナリストを、「余計なことを書きやがって」ではなく、むしろ味方につけた方が得策との方向転換がありました。
オフレコ 大人向きを標ぼうする本誌の役割は、やはり卒業せずに長続きするファンを養成するというか、色んなマット界の話題の肝の箇所を伝えていくことなんじゃないかと。
以下の画像は、海外情報局の再録を入れたら、同じ7月5日号を隅から隅まで読んでくれるなら、3度目の登場になるんやけど、現地時間6月25日のRAWをリアルタイムで見ていたら、一番気になったのはベイリーと、サーシャ・バンクスの喧嘩場面やったと。僕は本能でそのカードから記事を出したら、あとになって、北米の専門媒体でもアチコチで「ベイリーのヒールターンなのか」と、騒ぎになっていた。ほらね、という。
▼Bayley obliterates Sasha Banks: Raw, June 25, 2018(obliteratesは消してしまうの意味)
―― そりゃ絵的には怪物ストローマンが、ケビン・オーエンズの車を横転させたとかのほうが目立つんでしょうけど、カート・アングルGMに「セラピーに行け」と諭される展開は、次週はどうなるのかという興味があります。CMパンク訴訟に負けた例のドクターに行くんでしょうか(笑)。
DDT入江茂弘がブッカー男色ディーノにガチ演説!CMパンク革命再現
―― 普段、カバーしてないDDTプロレスリングなんですが、ゴールデンウィーク4月29日(日)の『MAX BUMP 2018』後楽園ホール大会で、入江茂弘が竹下幸之介の連続防衛記録を11でストップさせて王座戴冠して以来、「DDTはコメディ偏重のイメージでしか見られていない」と現体制批判をやらかして、入江は一部でCMパンク革命の再来という評価が出ています。
オフレコ え? CMパンク革命? それじゃガチ演説の途中で、マイクの音声が切られたりするの? そんな呼ばれ方が出ているんだったら、本誌が取り上げないわけにはいかないねぇ。「肝の箇所を伝えていく」情報商材なんだから。
―― 2011年6月27日のRAW生中継、CMパンク革命のガチ演説は頂点に達しました。DDTの入江革命は超えられるのか!?ということです。「今日はなんの日」というのはプロレス業界でもSNSでやってますから、例の映像も流れてます。あれから、ちょうど7年が経ったという・・・。
▼CMパンク革命「時限爆弾」用語の起源はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=7Ms0DFxpptk
オフレコ 高橋ヒロムの時限爆弾もCMパンクやから。ベイダー訃報と並んでネタが毎週続くなぁ。