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メヒコ2日目アレナコリセオEMLL、ドジャース野茂、オフ・ザ・リング撮影記

寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#3

 メヒコ2日目は、2つのグループに別れて、・・・。そして、またハプニング発生・・・。今日は、アレナ・パチューカ・・・UWAの清水さん夫妻とぺぺ田中君と伊ヶ崎さんが、何とフィッシュマンの車で一緒にVIP待遇で出発、僕はアレナ・コリセオのEMLLへ通訳の三浦さんと友人のアルフレッドと3人で寂しく^^^・・出発。
 この項執筆時点で猛暑も一休みの今夜は、静岡と東京と神奈川と千葉で大雨・・・。9月といえば「隣は何をする人ぞ・・・」何て一句^^・・と言うより、徒然草ならぬ、つづれ織り白書と題して、あのメジャーで大活躍した、日本の宝Hideo Nomoをドジャースタジアムでなく、ベテランズ・スタジアムで生観戦した思い出を・・・。
 振れ幅が広いようでプロレス以外も映画と音楽の次は、MLBメジャーリーグべースボールの出番です・・。皆さん話題が多すぎてペルドーネメ(またも出ました、スペイン語講座で”ごめんなさい”の意味です)。プロレス以外にも色々なジャンルの話題が飛び交うこのコラムの面目躍如といえば聞こえはいいが、ただ好きで愛する登場人物との思い出を中心にしてますので、流行を追っかけている人にはつまらないと感じても、僕のtrue-storyですので、ご理解を・・・。

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(右上&下)アレナ・コリセオの正面とチケット売り場。(左上&下)試合中にマスクを剥ぐ・・・レスラー名は・・・。

 さあ〜、アラメダホテルで清水さん達を見送り普通なら怪魚仮面の車に同乗するのが楽しみで、とにかく清水さんと一緒なら何か嬉しいサプライズが待っている期待があり、美味しい思いをするかもだが、結構こう見えて^^^・・頑固なので、一度決めたら迷わずに。・・ここは、やはり日本で例えれば、老舗のEMLLを早く観たくて、即決・・・。やはりこの決断は、間違いではなかった・・・。僕に瓜二つか三つのレスラーが存在していた・・。その名は、モドゥーロ(前項参照)という日本では無名で小柄だが、メヒコ最軽量のフェザー級空中戦はmuy-bienの迫力で、ノータッチ・トペコンヒーロに失敗し(場外マットでなくメヒコは板張りやコンクリートだけにダメージは、はかり知れない)ファン、レスラーズ、関係者も心配したが、やっと自力で起き上がり・・大事に至らず良かった^^・。
 他にもリスマルク同様の青と銀の網の目マスクのストゥーカが忘れられない・・大型で飛び技も良く、もし来日していたら人気爆発したろうなぁ・・。因みに1990年6月の『格チャン』でのEMLL特集でも登場し、貴重な映像が・・・。you-tubeにはないので映像を協力しようかな・・。
 いかに飛び技が危険か、改めて考えさせられ、スイシーダ(自殺)の名の如く、命を懸けたレスラーを尊敬し、念願の夢であった「ルチャリブレ」生観戦がこの1984年に実現出来たのも、清水さんとの出会いと絆と約30万円のキャッシュがあればこそで・・・感謝です。今回のコラムではこのモドゥーロのノータッチのトペコンヒーロ(当時、メヒコで初の使い手だと思います)の失敗が、深く心を揺さぶるのか・・・。遠い過ぎし日の幻とも、狐の嫁入りというメルヘンが好きだからなのか、それとも9月になり、今日は26度と涼しく、雨模様の人恋しいと言うよりも、女の子恋しいのか、満月の夜に吠える狼にでも変身したのか、夢うつつでもなく・・・。

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K.O.誌1984年2月19日号(左)表紙はカオスとクチージョとサンドカンだ。ルチャマガジンでない一般紙Alarma誌(右)、同時期発売のエル・サント死去の特集号で、棺の中のマスク姿のサントと息子のイホ・デル・サントとHラミレスと在りし日のサントの雄姿。

 もうメヒコに14年、アメリカに12年もご無沙汰で、今回の電子書籍の依頼があり、昔の写真や雑誌、東スポ、ビデオ、手紙、ポストカード、エルアミーゴの会報等をもう一度探し、整理する事が出来る(まだ半分にも満たないが^^・・)。改めて、自分史には、プロレスと芸能界で生きてきた・・・喜びと悔しさと悲しみの連続です。
 2度自殺も考えた時期もあり、二度と自分の出ていた格チャンやTV番組のビデオとゴングや週プロ他の雑誌も見る事は無く、ヤケッパチになるのでなく、もう一歩自分の道が切り開けたなら、何の才能も無い自分は、好きだからこそ、正直生きて来れた・・というのが実感でした。
 文章へたでも、この自分史の「寺内1/2兵衛・・・」という偶然にも誕生した得体のしれぬ、変なJapaneseですが、書いて書いて前進して、走りたくても少し我慢してスキップ^^^程度で我慢する。意味が通じないと思うけど、ニュアンスは分ってね。

 この9年間というのは、2001年3月のスカパーのWCWのペイパービューの実況が終わり、2002年9月まで在籍していた故・玉置宏さん・・・とのオフィス(株)三進企画も42年の歴史にピリオドを打ち、翌年8月には都内で同棲していた(足掛け2年)彼女とも別れて・・・。サッカーと絵画と教会巡りで、今度の海外は絶対にヨーロッパと決めて、もう8年過ぎたが、2001年9月11日のNYのテロの影響も多大ですが・・。原点回帰の意味も含め、再びメヒコとアメリカに目が向き始めた・・。

 後で詳しく披露しますが、1995年8月のフィラデルフィアでのドジャースvs.フィリーズで何故かporque^^^。ホームの1塁側の内野スタンドでフィリーズ・ファンに大勢囲まれながらの生の野茂英雄が4回途中で6点取られ交代し、初の大敗を喫してしまう。のちのNHKスペシャルでの番組内で、この日の試合後の野茂さんの車でのインタビューがあり、悔しさのあまり、涙を浮かべていた姿が強烈に印象深い。この涙の意味は深くて、当時はFA(フリー・エージェント)権でメジャーに入団したのでなく、近鉄を辞めてMLBの世界に挑戦したんです。成田空港での渡米記者会見でも、マスコミ各社は野茂のチャレンジを応援するどころか、否定的な意見が多くて、ほとんどが「メジャーで通用しない」と、かなりのバッシング報道があった。当時は重箱の底を突くような、マイナス思考の人間ばかりだった。

 実は、この記者会見は近鉄球団が、ウソの円満解決をして、あたかもメジャーへと旅立たせたのでなかった。野茂さんの複数年契約を断った近鉄球団の野茂さんの価値を全く理解せぬ、浅はかな会社としての判断をマイナスにしたくないだけの、情報操作を仕組んだ猿芝居だった。希望だけを心の支えとして自分の信念を貫き、裏切りと人の醜さも経験して渡米、当時の監督のラソーダさんは「NOMOは僕の息子だ・・」と誇らしげに笑顔で語っていた姿は、胸に熱い物が込み上げてきた。
 同年17勝を挙げてナリーグ新人王になり、テキサスでのオールスター戦では、ナリーグの先発を任され、2回を3振と1ヒットで0点に抑えて、good-job.^^・・。
 最多勝利と最多奪三振王に輝いたシーズンオフでの記者会見は、手のひら返しの賛辞の嵐で、もう嫌になったね・・。今年の2010年のスポーツ・マスコミの少しも進歩しない報道は、適材適所できない人材不足なのか・・・レベルの高い専門雑誌の記者達には、TVキャスターは残念ながら男女とも勝てない・。

 どこかに TV映りが良く、愛想笑いで標準的なコメントを発すれば、仕事は無くならないのか・・・不思議でしょうが無い。無名でももっと専門的なマニアを唸らすプロのMCや記者もいるでしょうに・・。誰だって、初めは無名ですよ・・。
 野茂さんのTシャツも種類が5、6種類あって、自分用とおみやげにいっぱい買ったのが忘れない。メジャーの道を切り開いたのは、間違いなく「Hideo Nomo背番号16」。因みにこの1995年8月のフィラデルフィアとアメリカ珍道中ツァーの模様は『格チャン』でも放送され、僕のアミーゴで18年来の格チャン・ファンは、よくこの時のMSGの前を歩いてくる、僕とウォーリーを「チャイニーズ・マフィア^^・・」だと笑ってる。冗談じゃないよ・・善良なJapanese-citizen-manなのに・・。このフレーズは、いつも入国管理局でロスとNYで使っていて好評でしたが、必ず笑顔でゼスチャーも忘れずに^^・・。
 斉藤寝具店・・・入国審査で英語が理解出来ない人は「サイトウシングテン」と覚えて、早く喋れば「サイトシーング」と聞こえるとTVで言われていたが、微妙なので僕は一度も使ってません・・。同様に困ったら、思い出して^^・・。なぜに・・porqueかと言うと、名作映画の『市民ケーン』の原題Citizen Kaneからヒントを得ました・・。

 話を戻してアレナ・コリセオは、すり鉢状の4階まであり、どこから観ても良く観え、興奮したメキシカンを救うための金網が張ってあり、円柱形の作りがまた音響効果が素晴らしく、山びこと良い勝負をするほどで、現在都内には無く、想像ですが、作りから判断すると、昔のリキパレスがこんな感じかなと・・・。もう一つは、日大講堂をめちゃ小さくすれば、もしかして・・・。とにかく反響が凄まじく、リングサイドよりもこのコリセオは、メヒコに行くなら一番のお薦めのアレナですぞ。
 今年で110周年を迎えるルチャと言うよりEMLL(エンプレッサ・メヒカーナ・デ・ルチャルブレ)の歴史と言える、ルッタロース・ファミリーあればこそです・・。
 忘れてならない恐怖の「小便爆弾」が投下される事。これぞ正しく、経験者しか分らない臭くて、誰が考えたのか^^・・。日本では、昔から、場外乱闘の際に、リングアナのお約束の「お気をつけ下さい、・・下がって下さい」とマニュアルの一部となった常套句があり、当然僕も何度も楽しく^^・・大声で注意してましたが・・・。
 メヒコには注意のアナウンスもなく(今は知りませんが)・・・。もしかしたら、この時の1984年2月、タクシーがメーターなしのビートルから、1996年6月には、メーター付きのセダンに変わっていたので、もしかしたらTV中継のある日は、禁止かも・・。
 またもハプニング続出の2日のアレナ・コリセオも興奮と驚きの夜でムイビエン^^・・。

 同時に感じたのは、カメラのレンズを向け、目と目が合い、ハポネス(日本人)と答えると、皆んな、にっこり笑ってくれる笑顔がちびっ子から年配の方までいたこと。瞳の輝きは、今の日本人が忘れてしまった純粋さと素直さなのかな・・・そして、親日家でもあるメキシコの歴史も勿論あるね^^・・。
 レスラーがほとんど同じポーズばっかりなら、カメラマン泣くと思うけど・・・。

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(左上)リングサイドに座ってたら、仲良くなったちびっ子達・・。(右上)アカプルコの空港の郵便局で・・・。(右下)アカプルコ・プラサホテルの中庭で偶然遭った、cuteな娘。(左下)海岸に出て、また美女に遭遇^^^・・お互いのパーマの強さに話題が・・。

 今回は、ここまで・・。次回のメヒコ3日目は、メキシコシティーからリスマルクの故郷、避暑地で有名なアカプルコへ移動です。試合も女性も飲み物もムイビエンでタマリマセン。久々に18禁のエロチカの館「レべッカ」での桃色爆笑true-memoryをお届けしますよ^^。

 お別れは、トキメクMTV世代も感涙するかもの・・世界のsong-for-youパート2は、ジャージーで魅惑的な、艶っぽいハスキーボイスが大好きなカーリー・サイモンの♪うつろな愛you’re-so-vain. 1972年発表の名盤『NO SECRETS』からで、メランコリックな秋の名月の赤城山を見つつ、茄子の浅漬けとジャック・ダニエルのバーボンで乾杯!

 今宵も、あなたのハートにモドゥーロとミルホンネット。アディオスアミーゴ。

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2010年11月09日 17:55に投稿されたエントリーのページです。

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