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寺内1/2兵衛のviva素晴らしきプロレス第2章#2〜アレナソチミルコ初ルチャ観戦の試合中に停電・・・その後、会場は火祭り

 1984年2月、メヒコに清水さん夫妻たちと念願の観戦会場のあるアレナソチミルコに到着^^^・・。初のルチャリブレに大興奮^^・・。でも開始当初に知ってるのはリンゴ・メンドーサだけかと^^。やがてEファラオン、ソラール、ドーベルマンらに気付くのであるが・・・。
 サーッ、いよいよ、おんぼろバスを降りて・・会場前のグッズ売り場を見て、びっくり^^・・って。当時新日プロからUWAに遠征していた、保永昇男さんは僕が出会ったレスラーでベスト3に入る常識人で「本当にプロレスラーなの?」と思った位のナイスガイでした^^・・そして初対面が・・・。この話はまたの機会に・・・ソーリーです。

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(左上)ロスからメキシコシチィーに向かう機内で同席した、素敵な夫婦・・・グアテマラに帰るとの事・。(右上)遂にメヒコ初上陸。ベニトファレス空港の通路。(左下)アレナソチミルコに向かう途中で、噂のアルフレッド。(右下)会場に入って、ドーベルマンとアミーゴに^^^
 
 エルアミーゴで出会い6年半の付き合いから遂に・・・。エルアミーゴでの秘話と会報紹介は、会報が、まだ全部見つからずに、もう少々お待ち下され・・・。この項執筆時点でもう9月上旬なのに、猛暑続きでアイスや冷たいドリンクやそうめん等を飲みすぎ、食べすぎの皆さん、さっぱりも良いけど、こってりのステーキやホットドリンクも胃袋に詰め込んでスタミナを蓄えようではありませんか^^^・・。「タバスコいっぱいのピザとニンニク山盛りのぺペロンチーノ・パスタもご一緒に^^・・」。
 ここで、またも新コーナー^^。題して「トキメク音楽」・・・MTV世代も感涙するかもの世界song-for-youコーナー・・・パート1.です。以前にもCべーカーとAオディとフォークが大好きと記しましたが、映画同様に歌の世界も万国共通。歌うのも、日本語と英語とスペイン語の唄を昔から歌い、チョット自信あって、もし生まれ変わるなら、サッカー選手か野球選手か画家か歌手ですな^^^・・。マー信じなければ、カラオケに行きましょう^^^割り勘で・・。
 「あなたは、間違いなく、僕に惚れる・・」〜この自信過剰なハンちゃんの記念すべき曲は、1995年8月にアメリカに行った際に買った『Hell Freezes Over』からの♪Get Over It〜1994年全米縦断ツアーのTシャツがクールで、今はもう錆びれた日本のチョイ悪親父とは、月とすっぽんの^^^・・。LAサウンド全開で、CD『The Complete Greatest Hits』にも勿論入ってる。
 今日は、ノリノリのハードロックでぶっ飛ばそうぜ・・・・。気分はカリフォルニア・ドリーミングで、懐かしのLAの空港側のモーテルにまた泊り、プールでbeerを飲みながら、サングラス越しのカリフォル二アの青い空を満喫して下さい。殆ど映画『アメリカン・グラフィティ』の有名DJウルフマン・ジャックのノリで^^^・・BGMは、イーグルスの♪Get Over Itでlets-go.〜you-tubeにもあるよ・・。

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ジッと2人を見ていた少女・・・。この時のドーベルマンの優しい視線・・(左上)アレナ・コリセオで僕とうりふたつのレスラーが現れ、びっくり。その名は「モドゥーロ」。

 待望の会場に入ってもうびっくり^^^・・昭和30年代から50年代にかけて全盛期を誇った、日本中にあった「映画館」がタイムスリップして、メヒコで遭遇といった感じだ。ステージはなかったが、趣のある雰囲気。マスカラスやEサントが出演していた映画は、多分昔の「マスカラスの華麗なる世界」でも多くの写真が紹介され、YouTubeでも見れますが、ここでお薦め画像が^^・・何とマスカラスのdebut当時のロングタイツにラインが入っていた試合VTRがあり、これは、お宝ものです。

 昭和の映画館と言えば、勿論2本立てか3本もあリで、小学生の僕は、ゴジラとガメラと大魔神がお気に入りで、朝から夜まで皆謹賞もので、勉強そっちのけで、「銀幕」のヒーローに夢中になったもの。懐かしの匂いをまさかルチャの会場で嗅ぐなんて、やはり当時の文明立国のアメリカでなく、かなり遅れた庶民的なメヒコならではのなせる技で、変に感謝と感動が襲ってきた。
 日本も昭和回顧ブームは特に映画が多く、『Always三丁目の夕日シリーズ』や『20世紀少年シリーズ』を観ればヒットしてる意味も納得。古いだけでなく、21世紀には忘れられた熱気が肌で感じられ、1970年の大阪万博の生の近未来社会を経験できた喜びは、財産ですが、このソチミルコの生観戦は、始めてプロレス観戦した時とマスカラスがまだ「悪魔仮面」と呼ばれていた1968-1971の初来日にまたがる思いに順ずるほどの価値がある・・。

 小さな入り口を入ると、固定のイスがあり、数字が書いてあったが、清水さんと伊ヶ崎さんとぺぺ田中君はリングサイドでの写真撮影に行き、僕は初のbeta-movieのvideoを持ち、イスに座って、スタンバイ・・・ok.・・これがまた重く、肩が凝ってタマリマセンでした・・。側には、清水さんの妻の美っ子さんと三浦さんのアミーゴのアルフレッドがいる。試合が開始され、早くもなぜ、porque・・・メヒコでは、ゴングでなくホイッスルで試合がスタートする。
 もう瞬きもせずにリングを凝視していたら、気安く声を掛けられる。馴染みのある顔のレスラーが・・・。国プロに来日経験がある1980年11月開幕の、国プロ『デビリッシュ・ファイトシリーズ』にカルロス・プラタと初来日した、エル・ドーベルマンが試合後に僕の側に来たので、早速、スペイン語でトライして、色々話せて楽しく盛り上がっていたら、隣の小学生の女の子がズートこっちを、キョロキョロ見てるので、写真を一枚。

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会場前のマガジンスタンド(右上)。猪木やブッチャーも宿泊したアラメダホテル前、1995年に地震のため倒壊。

 さあー試合もドンドン進むが、馴染みの選手が出てこなくて、参っていたら、ソラール、アギラ・ソリタリオが登場^^^・。相手は、4日後にアカプルコの空港で偶然再会した社長のファルサ・ゲレーラで、自身の会社の正真正銘のプレジデントです^^^。
 プロレス団体の社長なら日本でも、力道山、馬場、猪木、三沢、橋本、武藤、他いましたが、畑の違う業種とは、さすがルチャドールが3000人とも4000人とも云われる由縁ですな・・。この社長とブルー・パンテルは、エル・イホ・デ・サントと最もスイングするテク二コです。
 熱狂する試合が行われてビールを飲み、すっかり出来上がったファンは、リンピオと少数のルードの応援合戦もヒートアップしてきて、興奮のルツボと化した瞬間に、いきなり場内が停電になってしまった。「なぜーporque・・シリーズ」〜真っ暗闇じゃござんせんか・・・と時代劇の舞台ならぬ、これは1984年2月13日のこと。もうブーイングがあちらこちらから聞こえ、何とも、怖いし不安も募るが、めったにないことだ・・・いつもあったら困るが・・。

 この時間を共有している少しの喜びがあり、レスラーとレフェリーはどうしてるの・・・^^。なんてだれも心配してないのか・・と思っていたら、なぜか灯火。この日本語の表現がピッタリ・・・。そうなんです・・・。ライターかマッチを各々が手に持っていた、薄いプログラムか新聞紙に火を付けて、ドンドンとウェーブのように「蛍の明かり」の如く拡がって、日本でも毎年8月下旬に富士吉田市で行われる「火祭り」状態で、どんな事でもプラスに変えるラテン系の大らかさの表れか。このハチャメチャで幻想的な光景は約10分と、長くもあり短くもあり、火事にならずに良かったが、消防法がどうとかも大事だが、これこそ「世界ふしぎ発見」でなく、メヒコのトワイライトゾーンを体験した。
 そして、メヒコとの遭遇は、トイレに入っても^^^・・もう臭いの何のって、ドアもなく、仕切りもある訳もなく、隣をきにしてたら、いつまで経っても終らない・・・。これも昭和の映画館を思い出させてくれて、gracias.

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エルアルコン誌1884年2月17日号表紙はビジャノ3、アニバル、Eソリタリオ。同2月12日号表紙はATジャイアント。

 メインはメンドーサvs. Eファラオンのビッグマッチへと進むが、あまりにリング外のハプニングがあり、試合内容は、覚えて^^・・・。お後が、よろしくないけど、お土産の雑誌を手にアラメダホテルに戻り、シャワーを浴びようと時計を見れば、もう深夜2時過ぎだ。TVをつけたら死去したばかりの、メヒコの英雄の聖者エル・サントの追悼番組が流されていて、もう半年ぐらい早くメヒコに来ていたら、生サントを観ていたかもしれない。

 1990年に入ってから、テレビサのルチャ番組が国内に放送されたが、それまでは、TV中継が解禁されなかったなんて、なぜ・・。1990年9月にアレナ・メヒコで開催された『ルチャリブレ57周年記念興行』が実質の現地向け初中継だ。WWFの『レッスルマニア』を連想される大仕掛けの舞台装置と超豪華メンバーの参戦で大成功でした。まぁ、会場に客が来なくなる、あくまでルチャはライブで見るものという掟に縛られていた訳なのであるが・・・。興奮と充実した、メヒコでの初日は、夢も観る事なく夜は過ぎて行ったのです・・。
 翌日は、アレナ・パチューカとアレナ・コリセオに分かれてまたもハプニングが・・・。そして、ホテルのロビーで思いもかけないレスラーと初対面^^・・。その名は「黒い○○○」。

 今回はここまで^^意地悪と思う皆さん、もうお分かりでしょう^^^・。あの空手ポーズとつま先トンガリシューズの・・・・。

 あなたのハートにソチミルコとミルホンネットーadios-amigo.
1984年、いよいよ念願のメヒコ、アメリカへ・・・地球は広い!

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オフザリング ¥1000です。ソチミルコで出会ったちびっ子達。

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2010年11月07日 18:12に投稿されたエントリーのページです。

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