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『名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア』を読ませていただいて

 作者・藤井敏之氏が初めてのプロレス生観戦と従える彼方のプロレス浪漫。
 時は1969(昭和44)年12月2日。
 大阪府立におけるNWA世界戦。
 往年の名レスラー、ジン・キニスキーを破り28歳にて戴冠を得た若きチャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアに26歳の当時“若獅子”とネーミングされていたアントニオ猪木が挑んだ一戦。文字通りの日本プロレス“謳歌時代”。ジャイアント馬場というビッグスターを筆頭に綺羅星の如く外国人スターや日本人レスラー達が群雄割拠していた時代。“古き良き昭和のプロレス”とただ一言で片付けてしまうにはあまりにも惜しい史実の煌き。

 私事で恐縮だが筆者も実際にリアルタイムで見聞きしてきたこと、様々な目撃譚をもとにミルホンさんでも拙作を上梓させていただいているが、このドリーvs猪木戦に関しては後年においてVTRで見たくちであり、だから筆者においては何よりも実際に目撃された方の生証言として興味深く読ませていただいた。

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藤井敏之 名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア

 多くの史実に残る大試合や評判を経た試合を、のちに史実を基に様々な著作にあたったり、歴史の影に隠れた一断片を紐解いたりする作業も愉しいものだ。が、そこに実際に会場へと足を運び、その目で目撃した事実なるものこそが付与されれば資料としての一等の価値は格段に上がる。作者がどういう意図でその一戦を従えたか?そんなリアルな体験談の内をつぶさに探ろうと図るとき、読み手もまた作者の感動を追体験、共有出来るだろうから。

 評論するという作業以前の一プロレスファンとして従えたリアルな感動、感銘。これこそが作者がまえがきとして断りを入れておられるように本書における下地と成り得た。
 そこからファン目線というものだけに固執せず、プロレス界全体の位置付けとしてまさに俯瞰して眺められ、だからこそ実体験としての重みが一層読み手にひしひしと伝わってくる筆の運びとなっている。プロレス界のいま現在、世間から見定められている状況をしっかりと照らし出した上で自らの“時の興奮”が語られており、大変に僭越なる物言いとは思うが、それゆえにその感動、感銘は尊いとも言いえるのだと思う。
 そう、作者はもう二度と帰らぬ、自身の青春という陰影を猪木vsドリーに重ね合わせ、抱き続けた情熱が為にこの作品は上梓されたのだという、まさに同時代を生き続けた者だけが携えている圧倒的な支配感。冒頭から最後文まで読み手はこの支配感に“見果てぬ彼方”を手に取るように感じながら読み続けていけることだろう。

 2、3、本文を引用してみよう。
 『当時、小学校高学年の私は同級生のプロレス仲間を誘って親戚の叔父さんに頼み込んで、猪木vsドリーの試合チケットを購入してもらったのです。(中略)大阪球状の交差点付近からちょっと一見怖そうなお兄さんがおもむろに近づいてきて
「兄ちゃん、券、余ってないか〜」
と話しかけてきた。
「ああ〜、怖そう」
生まれて初めてダフ屋という人達に遭遇した瞬間です。そして待ち合わせの場所で親戚の叔父さんと会って正直ちょっとほっとした気持ちになりました。この日からこの難波の府立体育館までの道を一体どれくらい往復したのだろうか。』

 『昭和48年の春には三つの悲しい出来事が起こった。一つは自分の青春のすべてを賭け見続けてきた日本プロレスが昭和48年4月20日の大会をもって崩壊した。最後の日プロのビッグマッチが大阪府立であったことも一層悲しみを増す結果となる。』
 『特に大阪のホテル南海の時などは、ロビーがラッシュアワー状態でレスラーに触れる事もできない状態であった。あるとき、ファンクスとジョー樋口さんが乗ったタクシーをタクシーで追った時など、車内で友達と、
「どこまでゆくんやろ」
「新大阪か伊丹空港へ行くんかいな」
「そやけど、ファンクス荷物持ってなかったから飲みに行くんやで」
「みんな、お金は持ってまっか」
「合わせて一万ちょっとや」
などと言いながら追跡したこともあった。』

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 日本におけるプロレスというジャンルは、力道山という類い稀な才能を有した者によって興した「日本プロレス」という団体により栄華を極めた。
 そんな力道山の内弟子であったジャイアント馬場、アントニオ猪木という二大巨星が内外に影響力を増すことによって黄金期の様相を呈していった。だが、昭和プロレスの栄華もいまや“彼方、遠い軌跡”のように思えるほど風化しつつある。地上波TVがゴールデンから深夜枠へと移行し、世間への浸透度が後退。K−1、総合格闘技の勃興、隆盛が為、観客減が瀕死の状態なのはご存知の通りだ。

 “強者”“化け物”“求道者”“強靭な肉体”といった言わば“格闘技者”としてのイメージの雄であったはずのプロレスラーがそれら格闘家達に幻想を奪われてしまったが為に起こった現実。それと同時にまたファン気質なるものも少しずつ変容を経てきた。様々な暴露本の類いや元関係者の証言なるものが少なからずプロレスファンという存在に影響力を与えたことも事実だろう。競技とされるものの内幕という不文律の部分をそれと知って通うファンがほとんどとなり、これは明らかに昭和世代のプロレスファン気質とは違う感覚のものだ。

 勿論、マニアだとおぼしきファンも多数存在したし、またコアな価値観を求めるファンも存在した。だがいつの時代でもジャンルの隆盛を下支えするのは世間の風評に対し、果敢に抗していこうなどという情熱を持った集団の存在だ。プロレスというジャンルは特にこの部分に根ざしたファンの“熱”があった。リング上の攻防にただ素直に感動、感銘を得て、そこからせっせと専門誌を購入したり、情報収集に奔走する。そういったファン側の純真無垢な姿勢が時代と共に少しずつ失われていったように思える。

 誤った認識を生むという情報過多という現代の特性を思うとき、ファン側にそれを求めようとするのは酷というものかも知れない。だが、確かにプロレスというジャンルの人気という原点にただ憧れを持ってリング上を見つめていた時代がかつてあったのだということをこの作品はまた強く訴えかけている気がしてならない。リング上の攻防が観客の一喜一憂を誘う。内幕をそうと知って感銘を得る質とそうでない質の違いは明らかだろう。かつての憧れのみで見つめるという、自身の過去という良質の空間を覗き見る感覚。読み手は頁を進めるごとにそんなかつての自身を振り返って何事かを感じとめることだろう。

 まさに時空を超えた格闘浪漫。作者・藤井敏之氏の切り取った“青春譜”がここに在る。筆者もまた同世代として後を追うように駆け抜けていった。一心不乱にただ一点、リング上を見やっていたあの頃がとてもいまはただただ懐かしい。
 だがそれは決してセピア色にくすんではいない。僭越ながら読み終えてそんな感慨に浸れただけでもこの書に出会えたことに深く敬意を称したい想いに駆られる。自身のかつての群像を垣間見ることが叶う作品。この時代ドキュメントはそんな書物であると思う。

                             文筆家・美城丈二

★併せて読めばさらに楽しめる!藤井敏之
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日本プロレス浪漫街道

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2010年01月31日 17:50に投稿されたエントリーのページです。

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