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「ちょっと一息ブレークタイム」昭和プロレス望郷の旅 byプロレス美術館

今週はある大物レスラーの引退記念に関係者に配られた豪華な置時計。だが、この選手の現役時代の数々の激闘シーンは脳裏に浮かぶが、引退試合やセレモニーがそれほど盛大ではなかった。当時の記憶も薄れ、鮮明な引退の瞬間が浮かび上がってこない。そんなことから、以前まではファン、一般の方々ともに、さほど興味を示してもらえなかった豪華な時計だった。しかし最近、二人の息子たちの大活躍で来場者の視線がかわってきた。、特にプロレスファン以外の方に「おとうさん」といって手に取る人が増えてきた。
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そう、もちろん、お父さんとは坂口征二のこと。
正式な引退試合は90年ビッグファイトシリーズ中盤戦の久留米大会(90年3月15日)。試合はセミ前で、木村健吾・坂口征二対スコットホール、コーポラル・マイク・カーシュナー組だった。そこで、なぞなぞクイズ。
この4人のうち下の写真と最も関係の深い人物はだれ?
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回答は次回のこのコーナーで。

ということで、坂口選手の公式な引退試合は前述の久留米大会であるが、事実上の引退試合は90年2月10日の東京ドームにおける坂口征二、A・猪木対橋本真也・蝶野正洋組といってよい。だが、この試合でも、やはり主役は猪木。試合終了後にも猪木は「私の一番好きなヤツ」と前置きした上で、初めて「1・2・3ダー」を初めて公開実験した日。結局、この試合においても坂口の活躍シーンは「ジャンピンニーアタック」以外はさほど記憶に残っていない。だが、新日本プロレスの歴史を振り返ると、裏方としては
最大の功労者であることは間違いない。そんな中、突如、降って沸いた災難、円天事件。これに関与していたとされる坂口。
最後の最後まで、円天内部の実態を把握し切れていなかったらしいが、事情はともあれ、イメージダウンは否めなかった。
あれから4ヶ月あまり、さらに真相(マット界舞台裏6月4日号参照)に迫ると、本当に坂口征二は被害者だったかもしれない。
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週刊マット界舞台裏'09年6月11日号〜坂口征二インタビュー

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2009年06月04日 19:29に投稿されたエントリーのページです。

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