[週刊ファイト10月22日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼阪神がリーグ2連覇! 生まれ変わった理由から学ぶべきプロレス界
by 安威川敏樹
・伝統の一戦と言われる巨人vs.阪神、しかし実態は「差が有り過ぎる」
・阪神のライバルは巨人ではない……、不俱戴天の敵が阪神を救う
・阪神が不人気だった頃から支え、現在の活況の礎を築いた存在
・成功したとは言い難いテレビ朝日の大阪城ホール大会中継
・プロ野球でも失敗したテレビ局による球団保有、テレ朝も二の舞か?
プロ野球(NPB)の阪神タイガースがセントラル・リーグで2連覇を果たした。1950年の2リーグ分立後、阪神がリーグ2連覇を果たしたのは初めてである。
一時期は最下位が指定席だった阪神が、なぜこれほどまでに強くなったのか。そして、こんな人気球団になったのはなぜなのか。その謎に、プロレス界にとってもヒントがあるかも知れない。

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伝統の一戦と言われる巨人vs.阪神、しかし実態は「差が有り過ぎる」
阪神タイガースが発足したのは戦前の1935年(昭和10年)だった。したがって、阪神は今年で91周年ということになる。NPB球団としては、前年の1934年に創設された読売ジャイアンツ(巨人)に次ぐ歴史の古さだ。
発足当時の球団名は大阪野球倶楽部で、チーム名は大阪タイガース。兵庫県にある甲子園球場を本拠地としながら、東京巨人軍に対抗したのか『大阪』を名乗った。なお、今後の本記事でのチーム名は戦前も含めて『阪神』『タイガース』と表記する。
老舗球団である巨人と阪神の対戦は『伝統の一戦』と言われるが、実際にはライバルとは程遠い。巨人のリーグ優勝は1リーグ時代を含めて実に48回、日本シリーズ制覇は22回を誇る。
一方の阪神はリーグ優勝が12回、日本シリーズ制覇は2回に過ぎない。リーグ連覇も2回が最高だが、巨人は球史に燦然と輝く日本シリーズ9連覇がある。この違い、長州力なら「差が有り過ぎる」と言って一蹴するだろう。
それでも昭和時代はまだ良かった。巨人が常に優勝しながら、阪神も2位につけるなど巨人を苦しめていたのである。巨人をあと一歩まで追い詰めながら、最後にはいつも敗れる阪神、というイメージがあった。プロレスラーだったら『善戦マン』と呼ばれていたに違いない。
流れが変わったのは平成に入ってから。正確に言うと昭和が終わる2年前の1987年から15年間で、阪神の最下位は何と10回。その間にAクラスはたった1度(2位)で、まさしく阪神暗黒時代と呼べる時期だった。ちなみに言うと、巨人は92年間で最下位は1回しかない。
それが2002年に外様の星野仙一が監督に就任すると、阪神のぬるま湯体質を一掃すべく血の入れ替えを断行。生え抜き選手を次々と放出し、他球団の主力選手をトレードで獲得する。この年はBクラスの4位に甘んじるも、途中まで首位争いに加わるなど翌年に期待が持てる内容だった。
翌2003年には大型補強が実を結び、遂に18年ぶりの優勝。それまで戦力補強に積極的ではなかった球団に対し、『よそ者』の星野がそれを改めさせたことが優勝へ繋がった。
以来、阪神はAクラスの常連となる。星野の功績とも言えるが、実際には星野の監督期間は僅かに2年間であり、星野退任から23年も経っているのだから、そればかりが原因ではない。
皮肉にも、阪神にとって最大の危機が、阪神を強力チームに押し上げたのだ。

阪神のライバルは巨人ではない……、不俱戴天の敵が阪神を救う
阪神タイガースの親会社である阪神電気鉄道に魔の手が伸びたのは、タイガースが優勝した2005年。この年の9月、村上世彰氏が代表を務める村上ファンドが阪神電鉄の株式を大量に買い付け、同社の筆頭株主となる。さらにタイガースを上場企業にしようとした。
これにはライバルである巨人の元オーナーだったナベツネこと渡邊恒雄氏が「八百長の温床になる。村上はハゲタカ」と激怒。さらに阪神ファンからも「村上タイガースなんてチーム名になれば応援する気になれない」とソッポを向かれた。
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村上ファンドに会社を買収される、と危機感を抱いた阪神電鉄が泣き付いた相手は、なんとライバル会社の阪急電鉄。阪神電鉄と阪急電鉄と言えば、共に大阪梅田駅と神戸三宮駅という、関西を代表する繁華街を結んでおり、まさしく不倶戴天の敵だった。
しかし阪急電鉄は、関西の私鉄が村上ファンドに荒らされることを危惧したのか、阪神の申し出を了承し、翌2006年に阪急阪神ホールディングスが誕生。私鉄とすれば別会社だが、同じ鞘に収まる。さらに村上氏がインサイダー取引により逮捕され、大騒動となったこの件は収束した。
阪神電鉄と阪急電鉄は鉄道会社としてライバルと書いたが、実は野球でも憎っくき敵同士だったのである。タイガースが発足した翌年の1936年、阪急電鉄(当時は阪神急行電鉄)も阪急軍を創設してプロ野球に参入した。後の阪急ブレーブス、現在のオリックス・バファローズである。
阪急軍の発足も、阪神電鉄がタイガースを設立した対抗策に他ならない。阪神にとっても、当時としては最大のライバルは巨人ではなく、阪急だった。
プロ野球リーグが始まった1936年、阪神と阪急が初めて対戦し、3対2で阪急が勝利を収める。阪神にとって、このたった1敗が、親会社の阪神電鉄内で大問題となった。
「阪急に負ける意味が判らん!」
「2対3で負けたのなら、なぜ4点を取らんのか! 4点を取っていれば4対3で勝ったやないか!!」
こんな現在では考えられないアタオカな理由で、初代監督の森茂雄はアッサリ解任。以来、少し成績が振るわないと簡単に監督のクビを斬るという阪神の悪しき伝統が生まれたが、当時としては阪神が阪急に負けることなど言語道断だったのだ。
そんな阪神電鉄と阪急電鉄が、21世紀になってタッグを組む。例えるなら、犬猿の仲となった頃のジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲のようだ。
企業の規模としては、阪急電鉄の方が阪神電鉄よりも圧倒的に上。阪急ブレーブスも、豊富な資金力にモノを言わせて戦績では阪神タイガースを遥かに上回っていたが、如何せん不人気だったため、赤字が膨らんでオリエント・リース(現:オリックス)に身売りされてしまった。
阪神電鉄の営業距離は、全国の大手私鉄16社中15位。以前は最下位だったが、相模鉄道(相鉄)が大手私鉄に昇格したため、阪神電鉄はブービー賞に繰り上がった。
それに対し、私鉄で日本一の営業距離を誇るのが近畿日本鉄道(近鉄)。近鉄もかつては近鉄バファローズという球団を保有しており、後にバファローズはオリックスに吸収合併されたものの、阪神暗黒時代はこんなふうに言われたものだ。
「近鉄は運賃で球団を養っとるけど、阪神は野球が無いと電車は走らん」
それだけ資金力に乏しかった阪神が強くなれなかったのは当たり前だが、阪急電鉄と同じグループ傘下になったことで、金に糸目を付けないようになった。しかも阪急電鉄は、長年にわたり球団経営してきた実績もある。
村上ファンドに乗っ取られる危機に直面したことが、却って阪神を強化することになったのだ。
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阪神が不人気だった頃から支え、現在の活況の礎を築いた存在
だが、阪神が変わったのは戦力だけではない。人気も急上昇したのである。
え、阪神って昔から人気球団だったんじゃないの? と思う人も多いかも知れない。しかし、阪神の人気は現在とは比較にならなかった。
2リーグ分立後の1960年代以前、関西で最も人気があった球団は南海ホークス(現:福岡ソフトバンク ホークス)である。え、あの不人気の代名詞だった南海が?? とこちらの方が驚かれるだろう。だが、この頃の南海はパシフィック・リーグで常勝球団だったのだ。南海が日本シリーズで巨人を破った時には、御堂筋パレードを行い20万人もの群衆で溢れかえったのである。
1964年、南海と阪神が日本シリーズで対戦した。関西では人気爆発しただろうと誰もが思うに違いないが、さにあらず。記録的な不人気の日本シリーズになったのである。この時の関西人を含む日本人の関心事は、同時期に開幕した東京オリンピック一色だったのだ。
1970年代、阪神は常に巨人と優勝を争い、南海との人気を逆転するも、甲子園が満員になるのは巨人戦だけ。他のカードでは、阪神がたとえ首位を走っていても甲子園には閑古鳥が鳴いていたのだ。観衆は主催者発表では5千人程度で、実際にはもっと少なかっただろう。客が入らないのは判り切っていたので、三塁側のアルプス席は閉鎖されていたぐらいだ。1990年代の暗黒時代の方が、甲子園には多く客が入っていたのである。
この頃の阪神ファンは、巨人に勝つことだけに喜びを感じていたのだ。その巨人戦も、甲子園に集まった5万人のうち、阪神ファンが6割、巨人ファンは4割ぐらいだった。現在の阪神ファン9割、巨人ファン1割とは大違いである。
当時は『巨人あってのプロ野球』と言われており、日本全国で巨人ファン6割、阪神ファン2割、1割が残りのセ・リーグ4球団で分け合い、1割をパ・リーグ6球団で分割する状態だった。
それが今や、阪神の観客動員数は巨人を上回り、甲子園は開幕前のチケット発売と同時に約70試合が全てソールド・アウト。筆者は先日、雨天中止の代替試合のネットでのチケット発売時間前にサイトに入ろうとしたが混雑のため繋がらず、やっと入れたと思ったら売り切れていた。