[週刊ファイト8月13日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼日米を股にかけた偉大なるグレート・テキサン、ドリー・ファンクJr.
by 安威川敏樹
・父のドリー・ファンクSr.の英才教育を受けたドリー・ファンクJr.
・タイガ-マスク最後の相手だった? ドリー・ファンクJr.
・反則に耐え抜く兄弟愛により、アイドル的なザ・ファンクス人気が爆発
・超獣コンビに事実上、引導を渡されてしまったザ・ファンクス
・シングル、タッグ、ベビー・フェイス、ヒールどれをとっても超一流
『グレート・テキサン』ことドリー・ファンク・ジュニアさんが現地時間8月4日、85歳で亡くなったのは本誌でお伝えした通りだ。ドリーさんは、当時は世界最高峰と言われたNWA世界ヘビー級チャンピオンに就いただけではなく、日本でもスーパースターとして君臨していた。
そのクールなマット捌きに魅了されたファンは多い。ドリーさんのご冥福をお祈りいたします。(本文中敬称略)

父のドリー・ファンクSr.の英才教育を受けたドリー・ファンクJr.
ドリー・ファンク・ジュニア(以下、ドリー)の父親は、やはりプロレスラーだったドリー・ファンク・シニア(以下、シニア)。ドリーは弟のテリー・ファンク(以下、テリー)と共にシニアからの英才教育を受け、父親の希望通りプロレスラーとなった。
シニアはレスラーとしてだけではなく、テキサス州のアマリロ地区ではプロモーターとしても手腕を発揮。当然、レスラーとしてデビューしたドリーとテリーの売り出しにかかった。
なお、漫画『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎、作画:原田久仁信)では、シニアは若手時代こそ正統派を目指したものの、小柄な体格だったためヘビー級では通用せず、ルー・テーズに惨敗。以降は悪役に徹して正統派レスラーの夢を息子のドリーとテリーに託す。
シニアは二流レスラーながら悪役として稼ぐ一方、ドリーとテリーを徹底的にシゴキ上げた。そして、レスラーとなりキャリアを積んだドリーは、シニアの念願だったNWA世界ヘビー級王座を奪取する。テリーも後に同王座に就くが、その晴れ姿を見る前にシニアは亡くなってしまった。
シニアが悪役レスラーだったのは事実。また『列伝』では、シニアが正体を隠すため、ザ・アウトローという覆面レスラーに変身しているが、これも事実のようだ。ただし、英語の発音としてはTheは母音の前なのでジ・アウトローが正しい。
シニアが亡くなった時の描写では、パーティーの際に飲酒していたシニアが余興レスリングに講じ、それが元で高齢だったシニアは心臓麻痺を起こしてしまった。実はこのパーティーにはジャンボ鶴田も参加しており、原作者の梶原一騎は鶴田から直接聞いたと思われる。したがって、『列伝』では珍しく(?)事実に沿った内容だった。ちなみに、シニアが余興レスリングで相手にしたレスラーは、後に初代タイガーマスク(佐山聡)のライバルとなるレス・ソントンである。
1969年2月11日、ドリーはジン・キニスキーを破って前述の通りNWA世界ヘビー級王者になった。その後、ハーリー・レイスに敗れるまで、約4年3ヵ月の長期政権を築いている。
その間に、ドリーはNWA王者として来日。日本プロレス時代のアントニオ猪木とNWA戦を行い、日本のプロレス史に残る名勝負を演じた。

▼名勝負は永遠に アントニオ猪木vsドリー・ファンク・ジュニア
タイガ-マスク最後の相手だった? ドリー・ファンクJr.
前項でタイガーマスクの名が出たが、実はタイガーマスクにとって最後の相手となったのがドリーである。
「ウソつけ! 初代タイガーマスクや三代目タイガーマスク(金本浩二)はドリーとは接点が無かったぞ。二代目タイガーマスク(三沢光晴)の最後の相手は谷津嘉章&サムソン冬木(冬木弘道)だったし、四代目タイガーマスクの引退試合の頃、ドリーは既にリタイアしていたし……」
と憤慨する人も多いだろう。