[週刊ファイト07月23日]期間 [ファイトクラブ]公開中
▼藤波辰爾ネパール遠征と、知られざる「ネパールとプロレス」の20年史
(C)藤波辰爾 編集部編
・藤波辰爾ネパール遠征!激闘の記録
・藤波辰爾55周年で初のネパール遠征が実現!文化交流と友好を深めた
・SNSでは「国境を越えたプロレス交流」として高評価
・「ネパールの力道山」が生まれた日 ヒマラヤンタイガーという男
・藤波辰爾という存在-技術と精神の国境を越えた継承
・復興支援という文脈-プロレスが果たせる役割
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藤波辰爾ネパール遠征!激闘の記録

■ WRESTLING CASTLE
日時:7月4日
会場:ネパール・NYC-Nakhipot Youth Club Covered Hall
観衆:560人(超満員札止め)
<第1試合 ラストマン・スタンディング・マッチ 時間無制限1本勝負>
△リザードキング(PWXM)
7分24秒 両者KO
△ミヤーオ宮本(ヒートアップ)
<第2試合 タッグマッチ 時間無制限1本勝負>
○LEONA(ドラディション) ジョンブリーズ(PWXM)
10分53秒 片エビ固め ※ダブルアームスープレックス
●TAMURA☆GENE☆(ヒートアップ) ゴングマン(フリー)
<第3試合 タッグマッチ 時間無制限1本勝負>
藤波辰爾(ドラディション) ○バレット・フロー(PWXM)
12分41秒 片エビ固め ※チョークスラム
大和ヒロシ(フリー) ●小河彪(アップタウン)
<第4試合 バトルロイヤル 時間無制限>
○TAMURA☆GENE☆
7分5秒 エビ固め ※回転エビ固めをひっくり返す
●大和ヒロシ
●バレットフロー
※退場順:①藤波辰爾 ②ゴングマン ③LEONA ④小河彪 ⑤ミヤーオ宮本
藤波辰爾55周年で初のネパール遠征が実現!文化交流と友好を深めた

ドラディションの藤波辰爾がデビュー55周年を迎えた2026年7月、日本とネパールの外交関係樹立70周年という節目に合わせ、自身初となるネパール遠征を実施した。遠征は7月1日から6日まで行われ、藤波をはじめLEONA、HEAT-UPのTAMURA☆GENE☆、ミヤーオ宮本、フリーの大和ヒロシ、ゴングマン、アップタウン所属の小河彪ら日本選手団が参加し、単なる海外興行ではなく、スポーツと文化を通じた国際交流を目的とした多面的なプロジェクトとして開催された。
遠征期間中はプロレス大会だけではなく、現地メディアを集めた記者会見、児童養護施設への慰問活動、在ネパール日本国大使館への表敬訪問、ネパール青年スポーツ大臣やネパール政府観光局との交流など数多くの公式行事が行われた。さらに藤波自身が現地レスラーを対象としたプロレスセミナーを開催し、自身が長年培ってきたストロングスタイルやドラゴン殺法の技術、プロレスラーとしての心構えを直接指導するなど、日本プロレスの技術と精神を伝える役割も果たした。
現地時間7月3日には、藤波とLEONAが在ネパール日本国大使館を訪問し、進藤康治次席(臨時代理大使)と面会。2026年が日本とネパールの外交関係樹立70周年という記念すべき年であることを踏まえ、プロレスを通じた今後の文化交流や人的交流について意見交換を行った。藤波はこの席で「今回の大会や今後のプロレスなどの交流を通じて、日本にネパールの観光、食、文化を幅広く広めたい。」と語り、リング上だけではなく文化親善大使としての役割にも強い意欲を示した。
遠征最大のイベントとなったのが7月4日に開催された「WRESTLING CASTLE」である。会場には500人を超える超満員の観客が詰め掛け、オープニングではネパールの人気ミュージシャンV-LAIN39によるライブパフォーマンスも行われるなど、プロレスとエンターテインメントが融合した大会となった。日本とネパールのレスラーによる親善試合は全4試合が実施され、国境を越えた熱戦に場内は終始大きな歓声に包まれた。
大会ではLEONAとジョンブリーズがTAMURA☆GENE☆、ゴングマン組をダブルアームスープレックスで破り、日本勢と現地選手による息の合った連係を披露したほか、藤波辰爾はネパールのバレット・フローとタッグを結成し、大和ヒロシ、小河彪組と対戦。最後はバレット・フローが強烈なチョークスラムを決めて勝利を収め、日本とネパール双方のファンを大いに沸かせた。また大会を締めくくったバトルロイヤルではTAMURA☆GENE☆が優勝し、日本勢の存在感を示す結果となった。
試合だけではなく、児童養護施設での子どもたちとの交流も今回の遠征を象徴する活動となった。選手たちは現地の子どもたちと触れ合いながら交流を深め、プロレスという競技を通じて夢や勇気を届ける活動を展開。さらにネパール各方面への表敬訪問や現地レスラーへの技術指導なども含め、今回の遠征はスポーツ外交としても大きな成果を残した。
遠征を終えた藤波は、「デビュー55周年で、初めてのネパールでの試合ということで非常に有意義な遠征だった。初めての土地での試合はいつになっても刺激的だし、若返った気持ちになれた。日本大使館で進藤康治次席(臨時代理大使)と意見交換したように、今後もプロレスなどでの交流を通じて日本とネパールがより近い存在になって欲しい。食、文化、自然、人々がとにかく素晴らしい。日本の皆さんにはぜひネパールの魅力を知って欲しいし、旅行で行ってもらいたい。僕自身今回の遠征でネパールの大ファンになった。今後も日本とネパールの架け橋になれるように最大限の協力をしたい。そしてネパール人の選手達に僕が受け継いだ闘う魂と技術を存分に教えていきたい。その中でネパールからプロレスのスターが生まれてくれることを期待している。」とコメントし、今回の遠征が単発のイベントではなく、未来へ続く交流の第一歩であったことを強調した。
SNSでは「国境を越えたプロレス交流」として高評価

今回のネパール遠征は大会そのものの成功だけではなく、現地や日本のSNSでも大きな反響を呼び、プロレスを通じた国際交流の理想的な形として高い評価を受けた。ドラディション公式による遠征レポートや大会写真、日本選手団の活動報告が公開されると、多くのファンがその様子を拡散し、「55周年を迎えてなお海外へ挑戦する藤波辰爾は本当にすごい」「72歳で初めての国に乗り込み新しい歴史を作る姿勢が素晴らしい」といった称賛の声が相次いだ。
特に現地で開催された「WRESTLING CASTLE」が500人を超える超満員札止めとなったことは大きな話題となり、日本では「ネパールにもこれだけ熱いプロレスファンがいることに驚いた」「映像を見るだけでも会場の熱気が伝わってくる」「日本のレジェンドが海外で歓迎される姿は誇らしい」といったコメントが数多く投稿された。藤波辰爾とLEONA、大和ヒロシ、TAMURA☆GENE☆、ミヤーオ宮本、小河彪、ゴングマンら日本勢とネパール選手が国籍を超えてリング上で共演したことについても、「プロレスだからこそ実現できる交流」「試合を通じて文化交流ができるのはプロレスの魅力」と評価する声が目立った。
さらに、大会だけではなく児童養護施設訪問やプロレス教室、現地レスラーへの技術指導などリング外での活動にも注目が集まり、「試合だけで終わらない遠征だったことに意味がある」「子どもたちとの交流写真が素晴らしい」「プロレスを使った社会貢献の理想形ではないか」といった意見も多く見られた。現地レスラーへドラゴンスープレックスをはじめとする技術指導を行う藤波の姿は、日本のプロレス文化を次世代へ継承する象徴的な場面として受け止められ、長年トップレスラーとして歩み続けてきた経験が海外でも高く評価されていることを改めて印象付けた。
在ネパール日本国大使館への表敬訪問についても、日本とネパールの外交関係樹立70周年という節目に合わせた活動であったことから、「スポーツ外交として素晴らしい取り組み」「プロレスが国際交流の架け橋になる時代になった」「藤波辰爾だからこそ実現できた企画」といった反応が広がったほか、ネパール青年スポーツ大臣やネパール政府観光局との交流についても、「競技団体だけではなく行政も巻き込んだプロジェクトになっている」と高く評価されている。
海外ファンからも反応は非常に好意的で、「The Dragon is still amazing」「Japanese legend in Nepal」「Respect from Nepal」といったコメントが投稿され、現地ファンはもちろん、日本国外のプロレスファンからも藤波の存在感を称える声が続出した。また、ネパールのファンが大会写真や藤波との記念撮影を数多くSNSへ投稿したことで、今回の遠征はネパール国内でも大きな話題となり、プロレスという文化が新たなファン層へ浸透するきっかけになったとの見方もある。
藤波が遠征後に語った「僕自身今回の遠征でネパールの大ファンになった」「今後も日本とネパールの架け橋になれるように最大限の協力をしたい」というコメントにも多くの共感が寄せられ、「また必ずネパール大会を開催してほしい」「次は日本大会へネパールの選手を招いてほしい」「この交流が一度きりで終わらないことを願う」といった期待の声も数多く投稿された。派手な話題性だけを狙った海外興行ではなく、プロレスを媒介として人と人、国と国を結び付ける今回の遠征は、多くのファンに温かな感動を与えた成功例として記憶されることになりそうである。
「ネパールの力道山」が生まれた日 ヒマラヤンタイガーという男

ネパールとプロレスの関係を語るとき、どうしても一人の男の名前から始めなければならない。ヒマラヤンタイガーである。
2004年、ネパールは政府軍とマオイスト(毛派)の間で激しい内戦が続いていた。首都カトマンズでも情勢は不安定であり、外国人が気軽に足を踏み入れられる状況ではなかった。そのさなか、アメリカでプロレスの修行を終えてネパールへ帰国した一人の若者が、故郷でプロレス団体を立ち上げた。それがヒマラヤンタイガーであり、彼が設立したのがヒマラヤンタイガープロレスリング(現PWXM)である。
「ネパールの力道山」という異名は、単なるキャッチコピーではなかった。力道山がかつて戦後日本の荒廃した街に希望の光をもたらしたように、ヒマラヤンタイガーは内戦で疲弊したネパールの民衆に娯楽と興奮を届けた。数千人から数万人の観客を集める大興行を繰り返しながら、その収益の一部を子どもたちの学校設立に寄贈した。エンターテインメントと社会貢献を結びつけるその姿勢は、プロレスという競技が持つ可能性の一つの形を体現している。
ヒマラヤンタイガーが日本プロレス界と初めてつながりを持ったのは2008年。ZERO1のリングに姿を現したことがきっかけで、翌2010年から日本人プロレスラーのネパール遠征という形での交流が始まった。