[ファイトクラブ]IWGPが持つ意味とは!? 崇高な理念と厳し過ぎるプロレスの現実

[週刊ファイト6月11日期間] [ファイトクラブ]公開中

▼IWGPが持つ意味とは!? 崇高な理念と厳し過ぎるプロレスの現実
 by 安威川敏樹
・元々はタイトルではないインターナショナル・レスリング・グランプリ
・ロマンすら感じる、アントニオ猪木による壮大なIWGP構想
・第2回IWGPの蔵前暴動と、形骸化してしまった世界統一の理念
・無意味となってしまった大会としてのIWGP、抗争のダシに使われる
・プロレス史上で最高の(?)意味不明な王座


『6月』と書いて『IWGP』と読む。そんなことを言うと、今の若いプロレス・ファンは「え? IWGPのタイトル・マッチなんて年がら年中やってるやん」と訝しがるだろう。
 だが、オールド・ファンにとっては、6月とIWGPは切っても切り離せない。それは、プロレスの転換期を迎える大事件が勃発したからだ。

元々はタイトルではないインターナショナル・レスリング・グランプリ

 IWGPと聞くと、プロレス・ファン以外ならテレビ・ドラマや小説などの『池袋ウエストゲートパーク』を連想するかも知れない。
 実際『IWGP』でYahoo検索すると、いの一番に『池袋ウエストゲートパーク』がヒットした。プロレスに携わる者として、これは寂しい限りである。

 それはともかく、プロレスはもちろんボクシングでも『○○○チャンピオン』の『○○○』に入るアルファベットは、団体名を表すのが普通だ。たとえばボクシングの四大タイトルなら、WBA(World Boxing Association=世界ボクシング協会)、WBC(World Boxing Council=世界ボクシング評議会)、IBF(International Boxing Federation=国際ボクシング連盟)、WBO(World Boxing Organization=世界ボクシング機構)と、全て団体名が頭に付いている。
 アメリカのプロレス・タイトルでも、WWE(World Wrestling Entertainment)王座やAEW(All Elite Wrestling)世界王座など、やはり団体名がメインになっているわけだ。

 ところが、IWGPは違う。IWGPを略さずに書くとInternational Wrestling Grand Prixで、日本語に訳せば国際レスリング大賞である。なお、Grand Prixをカタカナで書くとグランプリで、英語ではなくフランス語だ。
 いずれにしても、IWGPとは団体名ではなく、ましてやタイトル名でもない。いわば大会のようなものだ。

 実際にIWGPは元々、タイトルではなかった。新日本プロレスが世界統一王者を決めるために開催したリーグ戦だったのである。IWGPリーグ戦での優勝者にチャンピオン・ベルトを授与し、世界一強い男の称号を与えるという趣旨だった。
 1983年に第1回IWGPリーグ戦が開催され、当然アントニオ猪木の優勝が期待されたが、結果はご存知の通り猪木は決勝でハルク・ホーガンに無残な舌出し失神KO負け。それが6月2日のことで、ホーガンが世界一強い男と認定された。猪木は病院送りにされ、普段はプロレスなど無視している五大全国紙のうち読売新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞が社会面で報じたほどだ。

 この事件に関して、プロレス関係者やファンの間では、これは一般紙にプロレスを載せるための猪木による自作自演だったとか、猪木に裏切られた坂口征二が『人間不信!』と書いて失踪したとか、喧々諤々。真相を知りたい方は、下記の書物および記事を読むことをお勧めする。

▼1983年のアントニオ猪木~We Remember人間不信

1983年のアントニオ猪木~We Remember人間不信

▼しし丸YouTubeタダシ☆タナカの『猪木舌出し失神HホーガンIWGP』

[ファイトクラブ]しし丸YouTubeタダシ☆タナカの『猪木舌出し失神HホーガンIWGP』

ロマンすら感じる、アントニオ猪木による壮大なIWGP構想

 元々IWGPは、世界に乱立するチャンピオンを一本化するための大会。したがって、当時の世界3大プロレス組織だったNWA、AWA、WWF(現:WWE)に話をつけて実現に漕ぎ付けたのだ。まあ、新日本プロレスと提携していたWWFはともかく、NWAやAWAは「ウチに迷惑をかけないのなら勝手におやんなさい」という態度だったが……。
 それはともかく、IWGPは世界中で予選リーグを行って各地区代表の出場者を決め、世界各国で決勝リーグ戦を行い、決勝戦はニューヨークで行うという壮大な計画だった。

 新日はIWGP構想のため、WWF関係のタイトルはもちろん、後生大事にしていたNWFのタイトルなど、全て封印している。新日にとって、まさしく社運を賭けた大会だった。
 今の若いファンに知って欲しいのは、IWGPとは単なる一タイトルではなく、これほどの理想を掲げた計画だったということである。

 もちろん、実際には世界中のタイトルを統一するなんて不可能なことは、アントニオ猪木自身がよく判っていた。だが、世間からいい加減な体質と思われていたプロレス界に対し、何らかのアクションを起こす必要があると猪木は考えていたのである。
 とはいえ、当時の新日は人気絶頂とは裏腹に、猪木によるアントン・ハイセルという事業の失敗のため、多額の負債を抱えていた。とても世界中でリーグ戦を行うどころではなかったのだ。

 予選リーグもアジア地区(実際には日本のみ)でしか行われず、他地区の代表も新日の常連外国人と変わらない顔ぶれ。ヨーロッパ代表として、新日の若手だった前田明(現:日明)が出場するという不自然さだった。
 また、中近東代表として出場させるため、全日本プロレスから引き抜いたアブドーラ・ザ・ブッチャーも決勝リーグにはエントリーされていない。そもそも、中近東代表という枠組みすらなかった。これはブッチャーまでIWGPに参加させると、決勝リーグ戦の次に行われるシリーズに看板外国人がいなくなることを考慮して、敢えてブッチャーを後のシリーズのために温存したのだ。いわば、新日の興行の都合上でのことで、この時点で世界統一の趣旨が破綻している。

▼全日から新日に引き抜かれながら、IWGPには参加しなかったアブドーラ・ザ・ブッチャー

 かくして、IWGP決勝リーグ戦は日本でのみ行われた。前年まで行われていたマジソン・スクエア・ガーデン(MSG)・シリーズと、内容的にはさほど変わらない。リーグ戦では共に1位で勝ち上がった猪木とホーガンが決勝戦で闘うことになった。場所はもちろんニューヨークではなく、東京・蔵前国技館である。
 結果は先述の通り、ホーガンが猪木にKO勝ちで優勝。MSGシリーズと違うのは、チャンピオン・ベルトが優勝者のホーガンに授与されたことだ。

第2回IWGPの蔵前暴動と、形骸化してしまった世界統一の理念

 前年のIWGP決勝は悪夢だった。世界一強い男はアントニオ猪木でなければならない。そういうことだったのだろうか、1984年にIWGPはMSGシリーズのように第2回大会が行われた。
 今回は第1回と違い、前回優勝者のハルク・ホーガンはリーグ戦には参加せず、リーグ戦1位の挑戦を受ける。当然、この1年間にホーガンはIWGPの防衛戦を行っていない。リーグ戦1位通過でホーガンへの挑戦権を得たのは、もちろん猪木だった。

 悪夢から1年後の6月14日、場所は同じく蔵前国技館。ファンの願いはただ一つ、猪木がホーガンに完全勝利して、世界一の称号を得ることだった。
 結果は17分15秒、両者リングアウトの引き分け。普通ならホーガンの王座防衛だ。しかしIWGPの性格上、引き分け防衛というのはそぐわないという意味不明の、いやファンの願いに沿った裁定により延長戦が行われる。

 しかし、延長戦でも両者エプロンアウトとなり、再延長戦。それも場外乱闘になり、突如現れた長州力が猪木にリキ・ラリアート! さらに長州はホーガンにもラリアートをお見舞いする。
 そのスキに、命からがら猪木がリングに生還、ホーガンはカウントアウトで戻れず、猪木はリングアウト勝ちにより第2回IWGPを制し、念願の世界一を奪取! ファンは興奮のあまり、世界最強の男となった猪木に大歓声を浴びせ、蔵前国技館には歓喜の嵐が巻き起こった!!

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