[ファイトクラブ]遠藤幸吉の誕生日に振り返る日本プロレス黎明期の功労者

[週刊ファイト03月19日]期間 [ファイトクラブ]公開中
※画像はあとで追加されます。

▼遠藤幸吉の誕生日に振り返る日本プロレス黎明期の功労者
 編集部編
・日本プロレス黎明期を支えた男:遠藤幸吉という存在
・力道山と並び立った名タッグ:日本プロレス黄金期の立役者
・海外遠征と挑戦の時代:世界へ飛び出した日本人レスラー
・日本プロレス史に刻まれた功績:遠藤幸吉が残した遺産
・遠藤幸吉:生誕100年もネットの話題は“知る人ぞ知る存在”


▼猪木vs.アリ 遠藤幸吉氏のジャッジを独自検証
 by 井上 譲二

[ファイトクラブ]猪木vs.アリ 遠藤幸吉氏のジャッジを独自検証

日本プロレス黎明期を支えた男:遠藤幸吉という存在

 1926年3月4日、山形県東村山郡金井村に生まれた遠藤幸吉は、日本プロレス史において決して欠かすことのできない人物であり、柔道家としての実績を土台にしながら、戦後日本にプロレスという文化を根付かせた功労者の一人である。3月生まれという事で誕生日を記念して記事にする。

 柔道ではプロ柔道六段の腕前を誇り、その強靭な体格と柔道仕込みの実戦的な技術を武器にリングへ上がった遠藤は、日本におけるプロレスの黎明期において中心人物として活躍した存在であり、単なるレスラーという枠に収まらない、いわば日本プロレスの礎を築いた男である。

 戦後間もない時代、日本はまだスポーツ文化も復興の途上であり、プロレスもまた海外から持ち込まれた新しい娯楽であったが、その新しい格闘エンターテインメントを日本人の手で成立させるためには、単なる人気や話題性だけではなく、本当に闘える実力を持つ選手が必要であった。その役割を担ったのが柔道家出身の遠藤幸吉であり、柔道の投げ技や絞め技をベースにした独特のスタイルは、まだ技術体系が確立していなかった日本プロレス界において非常に大きな意味を持った存在であった。

 また遠藤は単なる選手としてだけでなく、日本のプロレスを世界に通用させるために海外遠征にも積極的に参加し、海外のリングで戦いながら技術と経験を吸収し、日本のリングへ持ち帰るという重要な役割を担った人物でもある。日本プロレスという巨大な文化が生まれる前夜、その基盤を支えたのが遠藤幸吉であり、彼の存在なくして日本のプロレス史を語ることはできないのである。

力道山と並び立った名タッグ:日本プロレス黄金期の立役者
 
 1953年、日本におけるプロレス団体「日本プロレス」が誕生すると、その旗揚げメンバーとして参加した遠藤幸吉は、団体の中心人物としてリングに立ち続けた。日本プロレスを創設した力道山は、日本のプロレスを国民的娯楽へ押し上げた伝説的存在であるが、その力道山とリング上で強力なコンビを組んだ人物こそ遠藤幸吉であった。

 当時の日本プロレスは外国人レスラーとの対抗戦を軸に人気を拡大していたが、その最前線で戦ったのが力道山と遠藤のコンビであり、このタッグは日本プロレス史に残る名コンビとして知られている。とりわけ海外の強豪レスラーと対戦したタッグ戦では、その連携と迫力ある攻撃で観客を熱狂させ、外国人レスラーに立ち向かう日本人の象徴として大きな支持を集めた。

 遠藤はドロップキックを得意技とするレスラーとしても知られ、その豪快な跳躍から繰り出される技は観客を魅了し、柔道出身の投げ技と組み合わせた攻撃スタイルは当時としては非常に新鮮であった。また力道山とのタッグで世界タッグ選手権を獲得するなど、日本人レスラーが世界と互角に戦えることを証明した存在でもあり、これは日本プロレス界にとって歴史的な出来事であった。

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