[週刊ファイト8月7日期間] [ファイトクラブ]公開中
▼業界より大きな存在謳うマット界のアイコン!超人ハルク・ホーガン追悼
photo by George Napolitano/他
タダシ☆タナカ+シュート活字委員会編
・いかに連日報道されたか痛感させられた日本でのスルーぶりとの比較
・オジー・オズボーンの死去はNHKニュースでも取り上げられたのに・・・
・ホーガン最多最長取材記録ジョージ・ナポリターノ週刊ファイト井上讓二
・マイク・ラノ報告CBS NBC ET-Entertainment Tonight連日報道の詳細
・予定通りFOX Nation配信 8・30Real American Freestyle wrestling
・訃報続けるため、最後の夫人スカイや息子ニックが沈黙を破ったことに
・コミコン登場アメコミ英雄ジョン・シナ 制作中ホーガン実録Netflix継続
・29日ABC、CBSはInside Edition+月曜RAWの10カウントET2番組
・二ガー発言とアイリッシュ系ホーガン名 チェルシー・グリーンSNS停止
・なんの因果か訃報と同日ビンス・マクマホンが交通事故で死にかける
・フロリダ州知事8月1日「半旗を掲げるHulk Hogan Dayにする」発表
いかに連日報道されたか痛感させられた日本でのスルーぶりとの比較
―― 巨星ハルク・ホーガンさんが亡くなりました。なんといってもWWEはおろか、プロレス業界全体と天秤にかけてもハルク・ホーガンの認知度の方が上と謳われたレジェンド中のレジェンド、業界のアイコン(象徴)だった方になります。本誌は速報入れてすでに3本発表してますが、シュート活字委員会の担当分として、他媒体にない濃く深い追悼をやりましょう。
▼追悼・ハルク・ホーガン-リングに超えて刻まれた「永遠の存在」
▼超人よさらば! 日本育ちの全米スター、ハルク・ホーガンの功罪
オフレコ なにしろ日本の媒体で、最もハルク・ホーガンを書いたのは週刊ファイトだからな。本稿のトップ画像以下、ジョージ・ナポリターノは間違いなく世界でもっともMr. ホーガンと接して、数え切れない写真を撮ったことは間違いない。
―― さらに井上讓二先輩、そして二代目ニューヨーク特派員のタナカさんと、現地で直接取材している回数なら週刊ファイトは他の追随を許さないでしょう。「猪木新聞」と揶揄された本紙ですから、アントニオ猪木が最初に売り出したスターでもあるホーガンにせよ、日本を離れてからも「ホーガン、ホーガン」と活字にしてきた以上、カバー率はダントツになります。
オフレコ 「今週の肝」として独自のニュースから始めるなら、西海岸担当のMike Lano通信員から、毎日、毎日、もの凄い数の米国内でのホーガン訃報を新聞やTVが、いかに大きく取り上げたかを逐一連絡してくれたことから紹介しないといけない。
―― 例えば翌朝の新聞。画像はマイク・ラノが住んでるオレンジ・カウンティ郡のRegister紙なんですが、日本表記だと「AP伝」というやつで、この非常に長い同じ記事があらゆる全国紙にも掲載されてました。
オフレコ トップニュースは地元開催のComic-Conコミコン開催なんだけど、あとでやるけど、これには奇しくもジョン・シナ登場が目玉だったんで、7月25日は全部がプロレス関連という・・・。
オジー・オズボーンの死去はNHKニュースでも取り上げられたのに・・・
―― 上記は現地の日曜7月27日、CBS朝の90分のニュース番組からTV画面を撮ったものですが、ホーガン追悼が目玉で映像でも延々とやったとの報告です。
オフレコ この日ばかりは、連日のトランプ関連ではなく、そのトランプのお友達で共和党大会にも応援演説やっていたホーガンが主役だった。国民的ヒーローの扱いだよな。
―― ところが、日本ではほとんど訃報は取り上げられなかった。オジー・オズボーンはNHKニュースでも扱われたのに・・・。
▼参議院選マット界全滅$2Billion+企業価値AEW 追悼Ozzyに渋谷陽一
オフレコ 要するにマット界の地位がますます低下してマイナーなジャンルであることの裏返し。
ホーガン最多最長取材記録ジョージ・ナポリターノ週刊ファイト井上讓二
―― マイク・ラノからの連日のホーガン報道は、まだまだ延々と続きますが、[ファイトクラブ]冒頭公開箇所としては、上記のジョージ・ナポリターノが新日本プロレスに呼ばれて日本に来た際の有名な写真を、先にあらためて紹介しておきましょう。
オフレコ ホーガンはリング上では黒のタイツに「一番」、宴会には「一番Tシャツ」姿だった。日本のファンがもっとも記憶に残っているであろう肉体的な全盛期やな。
―― アンドレ・ザ・ジャイアント、カート・ヘニング、ディック・マードック、アドリアン・アドニス、ウェイン・ブリッジ、オットー・ワンツもいますから1983年12月の『第4回MSGタッグ・リーグ戦』ですね。
オフレコ ホーガン追悼やるにしても、どの時代からプロレスを見始めたかとか、アメリカなのか日本かによって記憶が違ってくる。残念ながら日本の昭和プロレスのファンには、この時代のホーガンになるんだよなぁ。
―― しかし、膨大な量の英文現地一般紙やTV番組が取り上げたのは、WWF(当時)が東海岸のローカル団体から、全国制覇を仕掛ける1984年からのキャリアに集中します。そこからの米国でのスーパースター街道は、海外現場取材の週刊ファイト報道を除いて、日本ではあまり知られてないことになります。
オフレコ インターネットの配信で、すべてがリアルタイムで見ることの出来る今と違って、ホーガンが繋ぎ王者のアイアン・シークを倒してチャンピオンになったというニュースは知っても、試合を見られる環境にはなかったからな。
―― 先代のビンス・マクマホンSRからジュニア政権になって、要するにボブ・バックランドではなくホーガンをトップに据えたことになります。
オフレコ ということで「8月7日期間」の表紙は、あえて猪木も写っている、ナポリターノのツーショットが下段の上記にした。
―― プロモ用にも使われた本稿のトップ画像など、ホーガンの写真なら自前のが沢山ありますが、あえて「一番」時代のを選んだんですね。

オフレコ 初代ニューヨーク特派員、井上讓二先輩とナポリターノの、もうとっくに50年を超える友情の象徴でもあるカットだからな。