[ファイトクラブ]ケン・片谷の『コロナ太りと減量~体重のお話~』

[週刊ファイト5月20日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷の『コロナ太りと減量~体重のお話~』
・コロナ太り解消法!?
・ダイエットと減量の違い
・子どもの頃からガリガリ
・柔道とアマレスは減量がつきもの
・試合より怖い先輩からの制裁
・プロレスラー募集規定
・目指せ! 0.1トン!?
・公式プロフィールは嘘!?


 相変わらず衰えを知らない新型コロナウィルス。
 巷でも、お篭り生活が長くて太ってしまったという声をよく耳にします。

 かくいうオイラも家での生活が多くなり、運動不足はもちろんのこと、食事の量が圧倒的に増えてしまいそれが体重増加に繋がってしまいました。

 体重が増えて一番困るのは膝です。長年の酷使により、両膝の半月板が擦り減ってしまっており、負荷が掛けられない状態になっているのです。膝の故障のため、ここ数年は思うように練習もできていません。
 膝が痛い→練習できない→体重が増える→膝が痛い…この悪循環を永遠に繰り返しているのです。

 今年の始めには、体重が115kgほどありました。ベスト体重からするとかなりオーバーしています。
 3月のWWS興行の際、この状態で試合をするのは危険と判断し、久しぶりの減量に励むことにしました。
 この世界に入って以来、ずっとヘビー級として試合をしてきたので、体重は増やせ増やせの一点張りで、減量とは無縁でした。

 ところが、前述の理由から必要以上に体重が増えだし、加齢とともに落とすのも難しくなってしまったのです。

 今回の目標体重は、100kgを切ること。かれこれ10年くらい体重は3桁をキープしていましたので、久しぶりに2桁にしてみましょう!

 始めに断っておきますが、オイラが考えるところの『ダイエット』と『減量』は全くの別物。従って、ダイエットに励む女性にはあまり参考にならないかもしれません。ダイエットと減量の違いについては後ほど触れたいと思います。


▼大波乱の3・21WWS寄居大会

ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』70[ファイトクラブ]大波乱の3・21WWS寄居大会

 試合の3週間くらい前から、普段の練習に加え食事制限を開始しました。食事は日に2~3回普通に摂るのですが、間食は一切やめ、大好きな米(炭水化物)と肉(脂)の量を減らしました。
 こまめに体重計に乗るのも重要です。『一食食べたらこのくらい増える』『今日一日でこれだけ落ちた』というように、常に現在の体重を意識することが大切です。

 始めのうちはこれで一日500g~1kgくらいは簡単に落ちます。当然のごとく、食べたら体重は増えますし、食べなければ増えません。最初の2週間はこれの繰り返しです。オイラの場合、一日500g減を目安に行います。
 目標通り、2週間で約7kgの減量に成功しました。試合まであと1週間です。ここから追い込みに入ります。

 食事は一日一食にし、炭水化物と脂は一切摂りません。大好きな米も肉もしばらくお別れです。ある日はキャベツの千切りのみ、またある日はオレンジ1個がディナーです。この時期は一日1kg以上減らしていきます。前日目標に達していないと、次の日は食事を抜くこともあります。

 ハッキリ言って、これは大変危険な行為です。また、一時的だからこそできることで、試合が終わればすぐまた元の食生活に戻します。ここが、先ほど触れたダイエットと減量の一番大きな違いです。
 簡単に言うと、健康的に痩せ、さらにそれを維持していくのがダイエットで、試合など一時的な目的だけのために急激に体重を落とすのが減量だと考えています。

 繰り返しますが、これはあくまでオイラの私見ですので、一般の方は決してマネをしないでくださいね。万が一健康被害を訴えられてもオイラは一切責任を負いません(笑)。

 さてさて気になる結果ですが、試合前日の体重は98.6kg。見事目標をクリアしました! およそ3週間で17kg減。まずまずの成果ではないでしょうか。

 それでは、最後の仕上げをしましょう。
 ここがとても大事なのですが、このままではフラフラで試合で力が出ません(笑)。ですので、試合前日はしっかり食事を摂ります。とはいえ、しばしの減量で胃も弱っているので、一気に食べてしまっては胃がビックリしてしまいます。そこで、今回は“軽め”にパスタを食べることにしました。以前、競輪選手に聞いたことがありのですが、パスタはすぐに力になりやすく、試合の直前に食べるのは良いとされているそうです。

 昔はこういった過酷な減量や無理な増量をよくやっていました。思えばプロレスラーになるまでの過程において、体重のコントロールはオイラにとって常に大きなポイントになっていたような気がします。

 それではここで、体重にまつわるエピソードを振り返ってみたいと思います。

 これまでも何度かお話ししたかもしれませんが、オイラは幼少の頃からとっても病弱でした。今や誰も信じてくれません(笑)。身長こそ周りの同級生に比べると高く、朝礼の列はいつも後ろの方でしたが、いかんせんガリガリで学校も休みがちでした。

 数年前、中学校の同窓会があったのですが、35年ぶりに再会した友だちは、誰もオイラに気付きませんでした。『片谷=ガリガリ』というイメージが植え付けられているので無理もありません。中学生のオイラから、今の姿は想像もつかなかったのでしょう。

 中学までは、体育の授業も見学することが多く、ましてや運動系の部活に入るなど考えられませんでした。それでも少しずつ体力が付き、高校に進学したら部活に入りたいと思うようになりました。そこで選んだのが、なんと校内でも一二を争うキツい練習で評判の柔道部でした。理由は、中学から仲の良かった友だちが柔道部に入ると決めていたことと、病弱故にプロレスラー=強い者への憧れがあったからだと思います。

 その時のサイズが180cm 60kg。なんと体重は今のおよそ半分しかありません。裸になればアバラ骨が見えていたほどです。運動経験のほとんど無いオイラにとって、柔道部の練習は地獄そのものでした。それでも、他の部員に遅れを取りながらも何とか練習についていきました。すると、一気に体質が変わったのでしょうか。みるみる体力が付き、どんどん体重が増え始めていったのです。

 一番変わったのは食欲です。普通の弁当箱では足らず、食品保存用の巨大なタッパーを買ってきて弁当箱代わりにしました。母親曰く、そこには3合の飯が入ったそうです。さらに、夕飯には平均どんぶり7杯の飯を食べていました。当時記憶にあるのは『腹一杯になったことがない』ということです。オイラの満腹中枢は完全に壊れていたのでしょうか(笑)?

 夕食時の会話はこんな感じです。

オイラ『お代わり!』
母親 『はいよ。』
オイラ『お代わり!』
母親 『はいよ。』
オイラ『お代わり!』
母親 『もうご飯ないよ。』
オイラ『あ、そう。じゃあ、ごちそうさま!』

 つまり、満腹になるまで食べるというのではなく、炊飯器のご飯が無くなることが食事終了の合図となっていたのです。結局、体重は1年に10kgずつ増加。入学時60kgだった体重は、卒業する頃には90kgになっていました!

 大学ではアマチュアレスリングに転向。これも、やはり少しでもプロレスラーに近づきたいという理由からでした。

 ご存知の通り、柔道もレスリングも試合は体重別で行われます。当然、少しでも下の階級で試合をした方が有利なので、大会前には決まって減量して階級を落とします。

 柔道を始めた高校1年生の時60kgだったオイラは、2年生の大会では71kg以下級に出場。卒業間近の3年生の時の引退試合は86kg以下級に出場しました。すでに100kg近くあった大学の時は90kg以下級に出場しました。
※階級は現在とは異なります。

 高校、大学とも大会前には、10kg近い減量が課せられました。日々ハードな練習をこなし、どんどん筋肉が付いていったあの頃、食欲も最も旺盛だったため、体重を減らすのはなかなか困難でした。

 そしてもうひとつ、減量よりも難敵がいたことを付け加えなくてはいけません。当然、計量の時点で規定の体重をクリアしていないと試合は棄権とみなされ出場することはできません。そうなると、先輩やOBから鉄拳制裁があるのです(※あくまで過去の話です)。
 それが怖いがために減量は必死です。万が一失敗したら、半殺しの目に遇うのですから(※過去の話です)。

 試合前の一週間はリンゴしか食べなかったり、計量時間ギリギリまでサウナスーツを来て会場の外を走ったり…。とにかく無我夢中で体重を落としました。
 大学を卒業し、その頃から漠然とプロレスラーになるという夢を抱くようになりました。


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