[週刊ファイト2月25日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼サーファー中邑真輔があの夏九十九里浜で探し求めていた「波」の行方
by 猫山文楽拳
・ドキュメンタリー「GO FOR BROKE」あの日九十九里浜で中邑が探し求めていたもの
・2003・6・13どよめきの日本武道館プロレスの厳しさを中邑の体に叩きこんだ高山善廣
・新日本初の総合格闘技URTIMETE CRUSH ノルキア戦
・あふれ出す猪木イズムに熱狂するファンで天井が揺れた府立大会
2004・8・8G1クライマックス 柴田勝頼戦
「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」
プロレスラー中邑真輔の浮き沈みを見るにつけ日本画家速水御舟のこの言葉と、画家の代表作品「炎舞」が中邑のいまの姿に重なる。
2009年の夏の夜、大阪の法善寺横丁にある路という文化人の集うバーを訪れた際同行した文楽の豊竹呂太夫師匠(当時英太夫)プロレス好きのマスターと新日本プロレスの話でひとしきり盛り上がったあとで、同年代のマスターがボソッと言った。
「中邑は何処へ往こうとしているんですかね・・」
「少なくとも」酒が飲めない私にマスターが作ってくれたアルコール度数が極端に低いブラッディマリーとは名ばかりのトマトジュースを頂きながら2005年1月4日東京ドームに思いを馳せていた。
「2005年の東京ドームで会社が選んだのは中邑でしたよね」
マスターは爆笑しながら言った。「猫山さん、あんとき確か真輔は時代が俺を選んだゆうてませんでしたっけ?」
2005年1月4日。東京ドームにおける大一番を前にビッグマウスの言い放った言葉「(棚橋と中邑)時代がどっちを選ぶのか」
メインイベントは棚橋とのシングルマッチ、新日本の看板をかけた闘いで、激闘を制し勝ったのは中邑真輔で、試合後のマイクは絵に描いたようなエースの台詞がちりばめられた型通りのものだった。
「僕が選ばれました。僕も棚橋も発展途上、進化しなければ未来はないんで、ファンありきファン不在でない、夢と希望を与える新日本プロレスでありたいと思います」
昨年末記者は、関西の都会から岡山県の片田舎の集落に移住した。
そもそも東京から関西に移り住んだのち岡山県に引っ越してきたのだが、東京から越してきたときに開封していなかった段ボールがいくつかあって、開けてみたら面白いお宝が発掘された。
ドキュメンタリー「GO FOR BROKE」中邑真輔 あの時の波を探して
神の子と呼ばれた男時代の中邑真輔が、千葉県の九十九里浜にレジェンドサーファーを訪ねていくというショートムービーや、中邑真輔セレクション彼のデビュー戦から2004年にかけての名勝負が収録されたDVD。
しかも本人サイン入り。
彼の試合を見返すと、いまの中邑真輔が別人格にしか思えない。