[週刊ファイト6月7日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼アントニオ猪木失神事件と、日大アメフト部に関するマスコミ報道
by 安威川敏樹
・35年前、アントニオ猪木KO負けにより激震が走った新日本プロレス
・日大アメフト部の反則タックルによる過熱報道
・日大だけでなく、マスコミも隠そうとした反則タックル
・関東学生連盟は当初、日大を処分するつもりはなかった?
・猪木による自作自演の病院送りにより、ワイドショーを呼び込む作戦
・『朝日新聞で猪木失神を報じていた』というのは嘘?
・ネット社会で猪木失神事件が起きていたら、プロレスは市民権を得ていた……
今から35年前の1983年6月2日、日本のプロレス界にとってターニング・ポイントの日となった。当時、世界最強と信じられていたアントニオ猪木が失神KO負け、しかも病院送りとなったのである。
現在のプロレス・ファンには信じられないだろうが、新日本プロレスを揺るがす大事件だったのだ。実はこの前日、長州力とアニマル浜口がフリー宣言をしている。もっとも、その後も両者は新日マットに立ち続け、完全に新日マットから離れるのは1年半後だったが。
この日は、第1回IWGP決勝リーグ戦の優勝戦が行われた。現在のような1タイトルに過ぎないIWGPではない。世界に何人もいるチャンピオンを一本化し、世界統一を掲げた壮大な計画だったのだ。
世界各地の代表選手を集め(という建前だが、実際は普段の新日参加レスラーの顔ぶれだった)、その決勝リーグを日本で開催して世界一強いレスラーを決めるという大会だった。もちろん、優勝して世界一の称号を得るのは猪木と思われていたのである。しかし、その期待は裏切られ、プロレス界は騒然となった。
日大アメフト部の反則タックルによる過熱報道
いきなり話は変わって恐縮だが、現在では日本大学アメリカン・フットボール部の選手による悪質な反則タックルが問題となり、テレビでは連日報道されている。
事の発端は東京・アミノバイタルフィールドで行われた日本大学vs.関西学院大学の定期戦で起こった出来事だ。日大のディフェンス・ライン(DL)のM選手(テレビ等では実名報道となっているが、本稿ではM選手と表記する)が、関学大のクォーターバック(QB)のO選手に対し、有り得ない反則タックルを仕掛け、O選手は全治3週間の怪我を負ったのである(O選手は5月27日、試合に復帰)。
テレビでは報道が過熱し、「M選手の反則タックルは悪質だが、その後の記者会見での態度は立派」「それに引き換え日大の監督やコーチはなんだ。M選手に責任をなすりつけやがって」と視聴者もケンケンガクガク。
この件に関して筆者は、本稿では語るまい。概ねほとんどの人と同じ意見、とだけ言っておこう。
もう一つの意見として「アメフトごときで、いつまで大騒ぎしてるんだ」とも言われる。
この件に関しては、筆者は「騒ぐのが遅すぎる。だからこんな大騒ぎになるんだ」という意見だ。こんな悪質なタックルがあったのに、報道があまりにも遅すぎた。
また、当事者たちの対応があまりにも遅かったため、こんな大騒動となってしまった。最初に適切な処置をしていれば、一般の人には知られない出来事だったのである。
▼2013年の甲子園ボウル。日本大学(赤)と関西学院大学(青)は良きライバルだった
ネット社会の恐ろしさを、まざまざと見せ付けた大騒動
筆者は、この試合があった翌日に、悪質タックルのことを知った。知り合いのスポーツ関係者がツイッターで「日大と関学大とのアメフトの試合で、悪質なタックルがあった」と書いていた。
おそらくファンと思われる人がツイッターで動画を公開し、そのスポーツ関係者は動画を自身のツイッターでもリツイートしていたのである。
また、別の知り合いのスポーツ関係者も、フェイスブックで同じ動画をシェアしていた。その人はアメフト経験者だったため「こんなタックルを受けたら、ヘタしたら死ぬ」という言葉を添えて。なお、動画元のツイートは現在では削除され、テレビで流されている動画とは別物である。
二人のスポーツ関係者が異口同音に「酷い」と語る悪質タックルとはどんなものかと動画を見た。オーバーに言っているだけではないか、と思って。
見て驚いた。決してオーバーではなく、これは酷い、と。筆者にとってアメフトは門外漢だが、その日のうちに複数のSNSにそのことを書いた。
さらに翌日には情報を集め、個人ブログに詳報を出した(実際にアップしたのは、日付が変わった9日の夜中)。この悪質タックルを知られないまま闇に葬られてはいけない、と思って。
ところが、情報がほとんどないのだ。一般マスコミで取り上げたのが日刊スポーツだけ。それも『退場選手が出た』という軽いもの。日大の内田(前)監督のコメントが載っていたが、悪質タックルがあったとは思えない内容。これが後に週刊文春で公開され、実際はもっと酷いコメント内容だったのを、記者は「とても書けない」と言ってオブラートに包んで書いたものである。
ベースボール・マガジン社のアメフト用ネット記事も見てみた。すると、試合の内容は詳しく書いているが、退場者が出たことすら書かれてなかった。この時点で、何かの忖度が働いていたことがわかる。
▼日大選手による反則タックル
YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=VrK2uCpULsA
大手マスコミでは話にならないと、アメフト専門ライターのサイトを探した。すると、あるライターのサイトで反則タックルのことが詳しく書かれていた。
このライターはアメリカ在住のNFL専門なので試合は見てなかったらしいが、反則タックルのことを知り、アメフト関係者から聞いて記事を書いたようである。
さらにこのライターは、関東学生連盟に電話をして、日大の処分について確認したところ、驚くべきことに、日大を処分するつもりはないという返事だったのだ。
ネット上で騒然とし始めた、試合から3日後の5月9日、関東学生連盟はようやく処分を下し、10日に発表した。そのときは内田監督を『厳重注意』という極めて軽い処分だったのである。
この原稿を書いている5月27日の時点では、関東学生連盟は内田前監督と井上前コーチに対し、除名や資格剥奪を含む厳しい処分を下す方向で、5月中に結論を出すという(編集部注:5月29日、関東学生連盟は内田前監督および井上前コーチを除名処分とした)。
だったら、最初に「日大を処分するつもりはない」と(オフレコとはいえ)言っていたのは何だったのか。ネットで騒ぎ始めたから形だけの『厳重注意』とし、日本中での大騒動となると今度は一転して厳しい処分にするという。
さらに日大も、試合後から数日間は全く謝罪の意思すら見せなかった。そして、謝罪声明を出したのは、ネットで騒ぎ始めた試合から4日後の5月10日のこと。しかも、サイト内でのおざなりな僅か5行の謝罪文だけ。こちらも、ネットで騒ぎ始めたので渋々謝罪したという感じだった。
日大や関東学生連盟のあまりの対応の遅さに、アメフト・ファンの怒りが爆発した。「こうなったら、世間が騒ぎ始めるまでネットで炎上させてやる!」と。しかし、それでも世間は騒がなかった。
軽すぎる処分が発表された翌日の5月11日、ようやく朝日新聞や産経新聞がベタ記事を載せた程度である。試合から5日も経っているのに、テレビでの報道もなかった。
だが、ネット上では過熱する一方。まさしくマグマが噴き上がり大噴火を起こす寸前だった。
この期に及んで、なぜテレビでは未だに報道しないのか。筆者は憤る一方、ある予感が働いた。
「これは、もしワイドショーでも取り上げるようになったら、とんでもない大騒ぎになる」と。
試合から6日後の5月12日、日大側のあまりにも不誠実な態度に激怒した関学大側が記者会見を開いた。ここでようやく、テレビのニュースでも取り上げられるようになったのである。
週が明けて月曜日、試合から8日経った5月14日、平日のワイドショーが遂に取り上げた。そこからはみなさんもご存じのとおり、2週間にわたって連日ワイドショーで報道され、収まるどころかますます過熱するばかり。筆者の予感が当たったとは言え、ここまで長引くとは思わなかった。2週間と書いたが、それはこの原稿を書いている時点で、まだまだ長引くかも知れない。
長引いた原因はもちろん、日大側のマズすぎる対応である。初動から適切な対応をしていればテレビも報道しなかっただろうし、テレビで取り上げられてからの日大側の往生際の悪さが騒動を大きくした。
さらに、ネット社会の恐ろしさをまざまざと見せ付けた、今回の大騒動だったと言える。
また、アメフトがあまり注目されていないスポーツだったからこそ、余計にこじれたのだろう。以前は地上波中継されていた甲子園ボウル(大学決勝)やライスボウル(日本選手権)などといったビッグ・ゲームも、現在ではBSでしか放送されなくなった。
もし、アメフトの認知度がもっと高ければ、悪質タックルもすぐにテレビで報道されていただろうし、日大も適切に対応したに違いない。日大はネット社会をあまりにも甘く見過ぎていた。
ちょうどこの頃、プロレス界でも大激震が走った。グラン浜田の娘である浜田文子が、覚醒剤使用により逮捕されたのである。
しかし、日大アメフト騒動の陰に隠れて、一般的にはほとんど知られることはなかった……。
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https://miruhon.net/98020
『朝日新聞で猪木失神を報じていた』というのは嘘?
話を35年前に戻そう。第1回IWGP決勝リーグが開幕したのは5月6日。奇しくも日大による悪質タックルが行われた日である。
6月2日、優勝戦が行われたのは東京・蔵前国技館。優勝戦に進出してきたのはアントニオ猪木とハルク・ホーガンだった。
現在のファンにはビッグ・カードに映るかも知れないが、当時のホーガンはまだWWF(現:WWE)ヘビー級世界チャンピオンになる前。大方の予想ではアンドレ・ザ・ジャイアントが優勝戦に進出すると思われていたので、ファンは肩透かしを食らった形になった。
しかし、逆に言えばアントニオ猪木の世界一は決まったようなものだった。猪木がホーガンに負けるはずがない、ファンは誰もがそう思った。
当時の猪木は『プロレスこそ地上最強の格闘技』と提唱し、異種格闘技戦を積極的に行っていた。そして、ボクシングのモハメド・アリおよび空手のウィリー・ウィリアムスと引き分けた以外は全勝し(後年の異種格闘技戦を除く)、プロレスの最強を示していた。
『最強の格闘技』たるプロレスで世界一となれば、猪木は堂々と世界最強の男を名乗ることができる、当時の猪木信者は本気でそう考えていた。