[ファイトクラブ]井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第40回 力道山の「ある申し出」を拒否したI編集長 

[週刊ファイト5月31日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル第40回
 力道山の「ある申し出」を拒否したI編集長 
・部下に言っていたのは「団体関係者から金を受け取るな」
・井上義啓氏ほどマット界の発展を願っていた記者はいない
・ある時、力道山がマスコミを招集してこう言い放った
・マット界の問題点を鋭く突いていたI編集長



猪木のインタビューをするI編集長

 「伝説のプロレス記者」として昭和のプロレスファンに語り継がれているI編集長こと井上義啓氏。『週刊ファイト』を快く思っていない団体関係者からは「変人」「キチ○イ」などと揶揄されたが、1番弟子の私に言わせれば、ちょうちん記事しか求めない彼らにとって都合の悪い記者だったことに過ぎない。実は井上氏ほどマット界の発展を願っていた記者はいないのだ。

 井上義啓編集長(当時、以下I編集長)が常々、部下に言っていたのは「団体関係者から金を受け取るな」。

 ビッグマッチが超満員札止めになった際に記者、カメラマンに配られる大入り袋(新日本プロレス=5000円、全日本プロレス10000円)や、新日プロの記者会見で渡されることもあった“お車代”はI編集長の許容範囲だが、団体の仕事を請負うことも認めていなかった。

「そりゃそうだろ? テレビの解説にしろパンフレットの原稿にしろ、ギャラが発生するんだ。あの連中(団体関係者)が何の見返りも期待せずに副収入を与えるはずがない」

 I編集長は頑なに団体からの金品授受を拒んだ理由は単純明快だった。

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