[週刊ファイト5月17日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
◆スーパー・ストロング・マシン引退
マット界を騒がせたのは昭和の一時期のみ
by 井上譲二
・前田明(当時)、ジョージ高野とともに若手の有望株
・本当に超過激な試合をやっていた若手時代
・メキシコからカナダ・カルガリーに転戦
・全日プロに新天地を求める
1985年8月、当時新日プロに所属していたスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤、高野俊二(現:拳磁)がカルガリー・ハリケーンズ結成。新日を離脱後、ジャパンプロレス自主興行(写真)を経て、全日本プロレスを主戦場とした。
スーパー・ストロング・マシンとして活躍
2010年頃から試合数が激減し14年よりリングから遠ざかっていたスーパー・ストロング・マシンこと平田淳二(現・平田淳嗣)の現役引退が確定したのは周知の通り。入門は1978年だから、かなり息の長いレスラーだが、超マジメ人間の平田がマット界を騒がせたことはほとんどなかった。強いて言えば、85年8月の『カルガリー・ハリケーンズ』結成と、翌86年4月に全日プロに新天地を求めたくらいか? 当時の平田の心境を振り返ってみると・・・。
1978年5月に新日本プロレス入門。わずか3カ月後の8・26飯山でデビュー(藤原喜明戦)した平田淳二は、前田明(当時)、ジョージ高野とともに若手の有望株として注目されていた。
当時、大ワザというよりも派手なワザを1つでも使うとコーチの山本小鉄にブン殴られた。それはアントニオ猪木の方針でもあったが、前記の3人が絡む前座試合は決して地味ではなく、パンチ、張り手、キックが主体のケンカファイトはむしろ迫力があった。
前田は後に当時の前座戦線をこう語っている。
平田と共に若手有望株だったのは前田日明