[週刊ファイト5月17日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
◆馬場夫妻と和田京平氏 マット界では極めて特殊な関係だった
by 井上譲二
・天国のジャイアント馬場さんと馬場元子さんの会話
・和田氏の役割りはマネージャーや秘書のそれとは大きく異なっていた
・馬場さんのことが本当に好きだった
・和田氏にとって馬場夫妻は第二の両親
全日プロ4・25『2018チャンピオン・カーニバル』丸藤正道vs.秋山準を捌く和田京平レフェリー
約18年3カ月ぶりに天国で再会したジャイアント馬場さんと元子さんは、恐らく次のような会話を交わしただろう。
「結局、私たちが本当に信頼できたのは京平だけだったわね」
「そうだなぁ。京平は(全日プロに)残ってくれたし、俺が死んだあともカァちゃん(元子さん)の世話を焼いてくれたからな。アイツにはいくら感謝してもしきれないよ」
もっと言えば、和田京平レフェリーは、全日プロ入り(1974年)後の自身の人生を第2の父、母ともいえる馬場夫妻に捧げてきた。マット界では極めて珍しい関係であった。
ジャイアント馬場さん、馬場元子さん
90年代後半の地方大会で三沢光晴さんがジャイアント馬場さんに対しムクれたことがあった。メイン開始前に馬場さんが和田京平レフェリーを連れて会場を去ってしまったからだ。
ビッグマッチではなかったものの、職人肌の三沢さんにとってレフェリーが代わることは看過できない問題。試合内容に影響が出ると考えていた。
和田京平氏をプロレスリング・ノアに誘わなかった三沢光晴さん
しかし、三沢さんはプロレスリング・ノアを設立する時、和田氏をこの新団体に誘わなかった。誘っても「悪いけど、元子さんを見捨てることはできない」と言って断るのを分かっていたのがその理由である。
馬場さんの生前、和田氏に休日はほとんどなかった。付き人の若手選手はシリーズが終わると解放されたが、和田氏はシリーズ中はもちろん、オフに入っても馬場さんの身の回りの世話を焼いていた。
「毎日、ウマイ物が食えて小遣いもらえて、ハワイにも連れて行ってもらえる京平さんが羨ましい」と言った巡業スタッフがいたが、これだけ拘束されると普通の人間なら嫌気が差して全日プロを辞めるに違いない。
和田氏の役割りはマネージャーや秘書のそれとは大きく異なっていた。
和田氏に世話を焼いてもらっていたジャイアント馬場さん