[週刊ファイト5月3日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二氏が語った馬場元子さんの素顔
・ジャイアント馬場夫人、馬場元子さんお亡くなりになった
・井上譲二氏、馬場元子さんと親しくなる経緯
・マスコミの重要性を分かり『ファイト』も味方につけたかった
・プロモーターとして戦略を代弁
・馬場さんに対する理解を深めて欲しかった
・曙とのこと
・馬場元子さんと三沢光晴さん
ジャイアント馬場夫人として知られた元子さんが4月14日、肝硬変のため亡くなった(享年78)。元子さんと言えば「全日プロの女帝」というイメージがあまりにも強かったが、一部の記者は真逆の元子さんも見てきた。本紙の常連ライターである井上譲二氏もそんな1人。その井上氏が初めて明かした故人の素顔は…。(聞き手・週刊ファイト特約記者)
若き日の馬場元子さんと再会を喜ぶリック・フレアーの2番目の夫人べスさん(当時)
―― 元子さんとターザン山本さんを結びつけたのは井上さんとか?
井上 いや、2人を結びつけるほどイチ記者時代の私は元子さんと親しくなかった。と言うか、相手は馬場夫人なので気軽に話し掛けられないじゃないですか。ただ、山本さんが週プロ編集長に就任する1、2年前の(全日プロ)正月興行の時にこう提案したのです。「山本さん、試合が終わったら馬場さんのいるホテルに一緒に押し掛けませんか」って。そしたら彼はダメ元で元子さんに聞きに行った。
―― で、元子さんは何と?
井上 「どうぞ来てください」と。私もビックリしましたよ。普通、何らかの理由を付けて断るじゃないですか。まして当時、私も山本さんも馬場夫妻に警戒されてましたから。
―― 山本さんはイチ記者時代に出入り禁止の時期があったでしょ?
井上 ありましたね(笑)。あれは山本さんが『ケーフェイ』という暴露本をプロデュースしたことが全日プロにバレたからですよ。よく業界から追放されなかったと思います。しかし、記者と団体の関係というのは状況によって変わっていきますからね。で、山本さんと馬場夫妻が蜜月関係になったのは、やはり山本さんが週プロ編集長になってからですよ。
ターザン山本