ブルーノ・サンマルチノの短編ドキュメンタリーWWEネットワーク公開[ファイトクラブ]『グレイテスト・ロイヤルランブル』

[週刊ファイト5月3日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ブルーノ・サンマルチノの短編ドキュメンタリーWWEネットワーク公開
 by タダシ☆タナカ
・スタン・ハンセンの首折り事件~MSG記録186回登場!
・女子選手ご法度サウジアラビア開催『グレイテスト・ロイヤルランブル』



 日本時間で本日のWWEハイライトといえば、サウジアラビア開催の『グレイテスト・ロイヤルランブル』の宣伝に終始したRAWよりも、それが終わってからWWEネットワークで放送されたブルーノ・サンマルチノの短編ドキュメンタリーであろう。まず、その訃報からの編集作業のスピードには驚くほかない。自前のテレビ番組制作班を抱えるWWEならではの機動力であり、短いながらも心に残るトリビュートを流してくれている。

 あまりイタリア出自のこととかよりも、構成は1971年1月、イワン・コロフに負ける試合からで、日本と違って試合展開hi-spotのケーフェイも問題なく皆が証言しているのが素晴らしい。コロフも、ブルーノに指名されたんだと語っていた。スタン・ハンセンのボディ・スラムによる首折り事件だが、控室に戻ってからビンス・シニアに「ブルーノをケガさせた!」と言われて「What?(なんだと)」と思わず口にしたように、巷で言われているような「まだグリーンで若気の至りで、きっちりとボディ・スラムを正しく落とせなかったハンセンのミス」という風評と違い、映像からはブルーノの体重からこれまでに積み重なった首への負担が、その一発でたまたま出てしまったことも確認できる。

 HBOの大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリーでは出番がなかった本誌通信員のビル・アプターは、こちらには出てきているし、当時のニューヨークを知っている特派員らが集結している本誌からすれば、またそういう説明になるのかという箇所もあるが、追悼ドキュメンタリーとしてはよくまとめられていた。

 ヒップポッポのブルーノ・マーズが、サンマルチノからブルーノの芸名にしたことも紹介されているし、1980年8月のシェア・スタジアムでは4万人を動員したとも伝えられている。2015年、恩讐を乗り越えて、トリプルHが強引にくどき落してWWE殿堂り。ホームであるMSGには188回出場したと語られており、ついこの間は186回だったはずだが、「400戦無敗」よりははるかにマシかも(笑)。

▼実録アンドレ・ザ・ジャイアント~追悼・人間発電所~頑固Bバックランンド

[ファイトクラブ]実録アンドレ・ザ・ジャイアント~追悼・人間発電所~頑固Bバックランンド

 WWE発表の記録はともかくとして、ブルーノは力道山のような存在であり、人間発電所がいなければローカル団体WWWFの躍進なんかなかったし、保守的に見積もっても100回以上MSGでメインを務めたことは間違いないのだ。ドキュメンタリーはチャンピオンから降りたことで3ヶ月ほどオフになった時が最高に幸せだったとも証言されている。両親と同居して、妻や子供を大切にしていたファミリーマン・ブルーノの実像が印象的な小品となっていた。


 なお、現地時間月曜の朝10時からは、地元ピッツバークのセイント・セバスチャン教会で葬儀が行われ、地元のテレビ局などが中継している。ビンス、リンダ夫人、ステファニー(トリプルHはサウジアラビア商談中)が揃ったほか、オーストラリア遠征中に一緒になったことで知り合い、その後50年間も行動を共にしたドン・デヌーチも参列。ほかには地元の名士が多数駆けつけたほか、当然ながらラリー・ズビスコ、シェーン・ダグラスも参列したそうだ。

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