[週刊ファイト4月26日号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼追悼・ブルーノ・サンマルチノ ロールスロイスを乗り換え続けたプロレス貴族
by 井上譲二
・サンマルチノさんこそ本物のスーパースターだった
・半世紀以上に渡ってロールスロイスを乗り換え続けた
・馬場元子さんが語った真相
イワン・コロフをデッドリー・ドライブで投げるブルーノ・サンマルチノさん
既報通り、全盛期のジャイアント馬場さんと米ニューヨークのMSGや東京・蔵前国技館、大阪球場などで死闘を繰り広げた“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノさんが4月18日(日本時間19日)に死去(享年82)。高齢とはいえ、米マットに衝撃が走った。
ひとつ言えることは、60年代の彼の大ブレークなしに今日のWWFはなかったこと。サンマルチノさんこそ本物のスーパースターだった。
ブルーノ・サンマルチノさんがG・馬場さんに新車同然のキャディラックをプレゼントしたことはWWF関係者の間でも有名な話だった。
盟友への贈り物としてはあまりにも高価過ぎるため、関係者の大半は、プロモーター馬場正平への“点数稼ぎ”と見たようだが、すでに巨万の富を築いていたサンマルチノさんには、そんな思惑があるはずがない。
1981年9月、私が『週刊ファイト』の「B・サンマルチノ引退特別号」の取材で彼の自宅を訪れた際、人間発電所はこう語っている。
「ババからオファーがある時、私はギャラを提示しない。ビジネスとして考えるよりも彼のために何かしてあげたいという気持ちの方が強いからだ」
そこが馬場さんとファンク兄弟、ハーリー・レイスとの関係の違いだが、だからと言ってサンマルチノさんと馬場さんにプライベートでの付き合いがあったわけではない。
サンマルチノさんの日本滞在中に2人は一緒に食事をし、しばらく離れている時は国際電話で話しあっていた-私は最近までそう思い込んでいた。
だが、1年くらい前に馬場元子さんから聞かされた話はかなり違っていた。2人が一緒に食事をしたことはほとんどなく、控室で談笑する程度だったというのだ。
その理由を元子さんはこう説明した。