ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉛原点 その3:将軍KYワカマツが北海道で団体旗揚げ![ファイトクラブ]デビュー戦

KYワカマツを囲んで宇和野貴史(右)と足立斗猛矢(左)、後列に筆者

[週刊ファイト3月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼ケン・片谷『メシとワセダと時々プロレス』㉛
 原点 その3:将軍KYワカマツが北海道で団体旗揚げ!


 悪夢のTPGから7年。北海道の田舎町でプロレスと疎遠の生活を送っていた頃、三度(みたび)神様がオイラにイタズラを? そして、念願のリングでの試合! ついにプロデビューなるか!?

プロレス界を良くも悪くも大いに賑わせた『TPG騒動』から数ヶ月後、オイラは何とか希望の学科に合格し、とりあえず大学生になりました。

“とりあえず”というからには、何か引っ掛かるものがあったわけで…。
入った大学が志望校とかけ離れており、言わばイヤイヤ入学したわけです。
毎日毎日、「こんな大学やめてやるぅー!」「来年また受験する!」なんてことばかり言っておりました。それでも、新入生オリエンテーションの時は、何となく体育会各部が新入生勧誘のために行う部の紹介が気になり、その教室を覗いてみました。すると、レスリング部のところで気になるワードが耳に残りました。
紹介者が、我が部(レスリング部)の特徴を力の限りアピールしています。その何番目かに、「OBがプロレス関係者である!」と叫んでいたのです。
オイラはその人物が気になって気になって仕方がありません。しかも、プロレスラーではなく関係者とは?
終了後の質問タイムの時に、オイラはレスリング部のブースを訪ねました。そして、部長と思しき方に「あのぉ~、先ほどおっしゃっていたOBというのはどなたなんでしょうか?」と恐る恐る尋ねました。
すると「一度練習に見学に来たら教えてあげるよ。」という答え。

約束の日に道場へ行くと、『あっ、本当に来たんだ?』という表情で、「あぁ、あれね。神先輩!」とサラリと答えました。
すかさずオイラが「えっ!?UWFでリングアナウンサーをされていた神さんですか?」と食い付くと、「知ってるの!?」と、驚いた表情を見せました!
恐らくその方は、『神(じん)』とだけ言っても分からないと思ったのでしょう。
立て続けにオイラが、「新生UWFの旗揚げ戦も見に行きますよ! 今度は社長になられるんですよね?」と興奮しながら言うと、かなりビックリされていました(笑)。

オイラが一度目の大学に入学した1988年4月は、前田さんが新日本プロレスを退団し、第二次UWFの旗揚げが発表された頃。5月12日に控えた後楽園ホールの旗揚げ第一戦のチケットがわずか15分で完売し、伝説となっていました。
オイラは、たまたまC大学のプロレス研究会に友達がいたので、“コネ”で旗揚げ戦のチケットを入手していたのです!

『神』という人物は、古いプロレスファンなら耳に残っている名前でしょう。
第一次UWF(旧UWF)ではリングアナウンサーを務め、第二次UWF(新生UWF)では社長となった『神真二(当時)』氏のことです。
なんと、レスリング部の部室には、“学ラン”姿の神さんの写真が貼ってありました! どうやらOBというのは本当のようです。

「さぁ、答えが解ったら着替えて着替えて!」

もうお分かりでしょう。このままオイラはズルズルとレスリング部に入部してしまったのです(笑)!

神“先輩”とは、その後OB会などで何度かお会いしましたが、当時は社会現象にもなっていたUWF絶頂期! 神さんも人生のピーク(色んな意味で)でしたから、それ相応の態度でした。申し訳ありませんが、正直言ってあまり良い印象はありませんね。

さて、話を戻しましょう(笑)!

イヤイヤながら通っていた大学も、何とか無事に4年間で卒業し、念願の教員採用試験にも合格しました。1992年4月、大学卒業と同時にオイラは北海道で教員となったのです。
最初の赴任地は、北海道の人でも知らないほどの田舎町。当然、プロレスの興行など来ません。テレビ中継も一週間遅れ。スポーツ紙の試合結果も一日遅れ。週プロ、週ゴンは二日遅れ。東スポは販売されておらず…。
その頃にはもうとっくにUWFは分裂していましたので、楽しみと言えば年に数回札幌にやって来る新日本と全日本を観に行くことくらいでした。
たまの帰省で、後楽園ホールにプロレス観戦に行っても、時代の流れの早さに全くついていけなかったことを覚えています。

このままプロレスラーとは無縁の生活が続くのか?
いや、プロレスラーを志していたことすら忘れかけていた頃、三度(みたび)プロレスの神様がイタズラをなさったのです!

それは、1994年の初夏でした。
何気なく日刊スポーツの北海道面を見ていると、強面のスキンヘッドのおじさんの写真が載っていました。それが誰なのか? もちろんオイラはすぐに分かりました。

元国際プロレス。国際プロレス崩壊後はカナダに渡り、マネージャーとして頭角を現す。日本では、ストロングマシンズのマネージャーとしてあまりにも有名。SWSでは、道場『激』の道場主として選手としても活躍。SWS退団後は、地元北海道に戻り『どさんこプロレス』を旗揚げ。
もうお分かりでしょう? その男の名は、将軍KYワカマツさんです!

何故、ワカマツさんが日刊スポーツに?
見出しには『市民レスラー募集!』の文字が。
なんと、ワカマツさん率いる どさんこプロレス『道場 元気』が、地元北海道で新人選手を募集するというのです!
しかも、そのスタイルは斬新です。普段、仕事を持っていたり学校に通っている人でもOK! プロアマ問わず、オープントーナメントを開催するというのです!
これは、オイラにとって好都合でした。公務員だったオイラは、当然副収入は禁じられていたため、“プロ”として扱われると、かえって困るのです。

すぐにオイラは、新人テストに応募しました!
すると、一週間ほどして折り返しの連絡がありました。声の主には聞き覚えがあります。野太い声に北海道弁。そう、畠中浩旭さんです! この時期、ワカマツさん同様北海道に帰っていた畠中さんは、二人で行動を共にしていたのです。
電話の内容は、入門テストの日程と集合場所の告知でした。ただひとつ気掛かりだったのは、集合場所が某ファミリーレストランの駐車場だったこと。しかし、プロレスに携われるチャンスが再び訪れた喜びが勝りそんな心配はどこかに吹き飛んでしまいました。

テスト当日は、北海道といえども真夏の暑い日でした。約束の時間に某駐車場に向かうと、二つの大きなシルエットが見えました。ワカマツさんと畠中さんです。一気に緊張が走ります。
受験者は最初は30名ほどいたでしょうか? “最初は”というのは、時間を追うごとに脱落者が次々と帰って行ったからです。それほど過酷なテストでした。

ところで、某ファミリーレストランの駐車場に集合した受験者たちが、そのまま徒歩で移動を開始し、その後どこへ行ったと思いますか? なんとそこは、豊平川の河川敷でした。豊平川は、札幌で最も大きくて有名な川です。どこかの体育館やグランドを想像していたオイラは愕然としました!
「えっ!? ここでテストするの?」

準備体操が終わると、全員がひとつの輪になって足の運動(ワカマツさんはスクワットのことをこう呼びます)からスタートです。

「よーし! 足の運動 1000回行ぐぞっ!」ワカマツさんが北海道弁で叫びました!
この時点で『え~?1000回も?』と不安の表情を浮かべる者もいましたが、オイラは毎日500回以上のスクワットを欠かしたことがなかったので自信がありました。
初めにワカマツさんが50回数えます。その後、ひとりひとりが50回ずつ数えました。
300回を越えた辺りから、脱落者が出始めました。途中で休んだり、倒れてしまった者も失格とみなし、ワカマツさんが強制的に帰宅を命じました。
700回か800回くらいの時に、オイラに順番が回ってきました。みんな一番苦しい頃です。オイラはまだ余裕があったので、わざと少しペースを上げて数えてやりました。すると、次々と悲鳴を挙げて脱落していきました。「しめしめ!」作戦はしてやったりです! ライバルは、少しでも少ない方が良いのです。

足の運動1000回を終え、少しのインターバルがありました。
次はいったい何をやらされるんだろうと思っていると、遠くでワカマツさんの声がしました。
「おーい! みんなこっちさ来い!」
声の方を見ると、ワカマツさんがスポーツウェアのまま、川に入っているではありませんか!
「気持ちがいいぞぉー! みんなもこっちさ来て入れ!」
まるで、温泉の湯船にでも誘うかのようです。
一旦躊躇したものの、ワカマツさんに逆らうわけにはいきません。みんな靴のまま川に入っていきました!

「おぉ、青い空、青い水。宇宙のパワーよ、ありがとう!」
ワカマツさんが訳の分からないことを言っています(笑)。冷静に考えると、よく警察に通報されなかったなと思います。でも、確かに火照った体に冷たい川の水は気持ち良かったことは事実でした。

川から上がると次は走り込みです。時折ワカマツさんが声を掛けるとその場でプッシュアップを数十回行います。そしてまた号令と共に走り出す。これの繰り返しです。
後から聞いた話ですが、合計13㎞も川沿いを走ったそうです!
この時点で、下半身が言うことを聞かなくなっています。隣にいた畠中さんがポツリと言いました。
「こんなにキツいテストをやるところは他にねぇべ!」
ここまで、畠中さんも我々と同じメニューをこなしてきています。しかし、さすがはプロレスラー。息ひとつ切れていません。

「よーし! 次が最後のテストだ!」
すでに8人ほどに減っていた受験者が、一斉にワカマツさんの方を見ました!
「“しろし”とスパーリングをやってもらう!」
ワカマツさんは、畠中さんのことを本名の“ひろし”と呼びます。しかし、「はひふへほ」が言えないので、“しろし”となるのです(笑)!
笑ってなんていられません。現役のプロレスラー、しかも120㎏はあろうかというスーパーヘビー級とスパーリングを行うなんて無謀すぎます! それに、もうすでに体はボロボロなのです。

でも、ここまで来たらやるしかありません。レスリングで培ったタックルを何度も何度も試みますが、全て片手で振り払われてしまいます。
何度芝生に叩きつけられたか。何度上に乗られたか…。
「よーし、そこまで!」
全員のスパーリングが終わりました。誰ひとり立っている者がいません。みんな芝生の上に大の字にのびてしまっています。

「合否は後日連絡するから。」それだけ言い残すと、ワカマツさんと畠中さんは我々を置いて去っていきました。
取り残された者の中から、誰からともなく口を開きました。
「これからどうしますか?」

「俺は続けたいです。」「僕はどうしようかなぁ…。」
確か、オイラは何も答えなかったと思います。正直、これからどうなるかなんて、この時点では全く分からなかったからです。

約束通り、再び畠中さんから電話が来ました。結果は合格です!
さらに、「今度、アマチュア部門で試合してもらうから。」
「えっ!? いきなり試合?」耳を疑いました。
決まっているのは3試合。北海道の鹿追町、足寄町、倶知安町の3ヶ所です。

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