[ファイトクラブ]『ニューヨークの帝王』が日米を席巻!正統派の雄、ボブ・バックランド

[週刊ファイト2月15日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼『ニューヨークの帝王』が日米を席巻!正統派の雄、ボブ・バックランド
 by 安威川敏樹
・バックランドの初来日は意外にも全日本プロレス
・『飛龍十番勝負』で藤波の高い壁となったバックランド
・バックランドと藤波の意外な共通点
・バックランドの信念は『子供たちの模範となるプロレスラー』


 今年の4月、藤波辰爾ドラディションにボブ・バックランドが参加することとなった。4月20日が東京、21日が大阪である。

 バックランドと言えば、1980年前後の新日本プロレスを支えた外国人レスラーだった。当時の新日外国人はタイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセンといった悪役(ハンセンも当初は悪役というカテゴリーだった)が主流だったが、バックランドは彼らとは違いアマレス仕込みの正統派外国人としてアントニオ猪木のライバルとなった。

 本場アメリカでも、ニューヨークを本拠地としていたWWFヘビー級王座(現:WWE王座)のチャンピオンとして君臨しており、『ニューヨークの帝王』の異名をとった。王者だったので頻繁にアメリカを離れるわけにはいかず、来日するときは短期での特別参加という場合が多く、それが却ってバックランドのブランド価値を高めたとも言える。
 1980年の第1回MSGタッグ・リーグ戦では猪木と組んで優勝を果たした。当時は日本人エースと外国人がタッグを組んでリーグ戦に挑むのは珍しく、それだけバックランドの実力とブランド力を買っていたということだろう。

▼藤波辰爾ドラディションにボブ・バックランド来日!

藤波辰爾ドラディションにボブ・バックランド来日!4・20東京 4・21大阪

バックランドの初来日は意外にも全日本プロレス

 ボブ・バックランドは大学時代、NCAAのレスリング選手権で優勝したという本格派。プロレス入り後はテキサス州アマリロへ行き、ザ・ファンクスの元で修業を積むことになる。このとき、修業仲間だったのがスタン・ハンセンとジャンボ鶴田だった。
 3人は非常に仲が良く、車に乗ってよく一緒にサーキットしていたという。グリーン・ボーイ時代はギャラも安い。3人はいつも腹を減らしていたので、鶴田は日本からインスタント・ラーメンを送ってもらい、バックランドやハンセンにご馳走していたらしい。

 ハンセンの自著『魂のラリアット(双葉社)』によると、バックランドの辞書には『ジョーク』という言葉が存在しないような、クソ真面目な人間だったそうだ。
 バックランドが初めてローカル・タイトルを戴冠したとき、先輩レスラーから「王者は私生活で街に出るときでもチャンピオン・ベルトを巻かなければならない」と言われ、そのジョークを真に受けてチャンピオン・ベルトを巻いたままレストランに入り、赤っ恥をかいたんだとか。

 アマリロ時代のバックランドは、いわゆる賞金マッチにも出場していた。ケンカ自慢の素人をリングに上げて、プロレスラーが対決するのである。プロレスラーの負けは許されないため、アマレスの実力がなければ務まる役目ではない。
 カール・ゴッチもよく出場していた形式の試合で、バックランドがシューターだった証拠だ。

 新日本プロレスのイメージが強いバックランドだが、アマリロ経由ということもあって初来日は全日本プロレス。ボブ・ループと組んでジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の全日最強コンビと対戦している。残念ながらバックランドは盟友の鶴田にピン・フォールを奪われ、0-2で完敗した。
 アマリロで修業を積んで全日本に初来日、その後はWWWFに移って新日本の大スターになるという経路は、ハンセンと全く同じだ。

▼鶴田にダブルアーム・スープレックスを決めるバックランド。しかしその後、鶴田に同じ技を食らってフォール負け

YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=4-MnUCpAHqo

『飛龍十番勝負』で藤波の高い壁となったバックランド


▲1980年3月24日のMSG定期戦。ハンセンとバックランドの死闘は語り草になっている

 日本での主戦場が新日本プロレスになってからのボブ・バックランドは、WWF王者としてまさしくVIP待遇。アントニオ猪木と好勝負を繰り広げ、またスタン・ハンセンとの盟友対決でも人気を博した。

 その頃、ジュニア・ヘビー級だった藤浪辰巳(現:藤波辰爾)は、猪木の後継者を目指してヘビー級に転向。1982年1月1日から“炎の飛龍”として『飛龍十番勝負』が始まった。その第1戦の相手となったのがバックランドである。
 テクニシャン同士の好勝負となるが、藤波がジャパニーズ・レッグロールを仕掛けたところ、バックランドがそのまま押さえ込む形でフォール勝ち。不完全燃焼なラストで、藤波は黒星スタートとなった。

 ちなみに、この『飛龍十番勝負』の勝敗を藤波側から見ると、①ボブ・バックランド(フォール負け)②ハルク・ホーガン(フォール負け)③アブドーラ・ザ・ブッチャー(フォール負け)④エル・カネック(両リン引分)⑤ディック・マードック(反則勝ち)⑥ボブ・バックランド(フォール負け)⑦ジェシー・ベンチュラ(反則勝ち)、となっている。
 つまり、バックランドは2度も闘い、2度ともフォール勝ちしているわけだ。さすがWWFヘビー級王者、ヘビー級に転向したばかりの藤波とは格が違う、ということを示したわけである。

『飛龍十番勝負』の戦績を見ると、藤波は2勝4敗1分となっている。しかも、4敗は全てフォール負け、逆にフォール勝ちは1度もない。かつては藤波に恐れをなして敵前逃亡した“はず”のエル・カネックとすら引き分けている(カネックの敵前逃亡理由には諸説あり)。

「あれ?『飛龍十番勝負』のはずなのに、7戦しかしてないんじゃないの?」と思ったアナタ、その疑問は正しい。そう、『飛龍十番勝負』は『十番勝負』と銘打ちながら7戦しか行っていないのだ。
 最初のバックランド戦が行われた1年後の1983年1月1日、ジェシー・ベンチュラ戦で『飛龍十番勝負』は突如として終わりを告げている。なぜ終わったのだろうか?

「グフフッ、『飛龍十番勝負』かい、おもしれえな。ただし、7番目で終わりだ。このベンチュラが終わらせてやるぜ!」

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