[ファイトクラブ]「ヒーロー」の作劇術 ~彼らはなぜ「ヒーロー」と認められたのか~

[週刊ファイト2月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼「ヒーロー」の作劇術 ~彼らはなぜ「ヒーロー」と認められたのか~
 by 立嶋 博
・絶対「ヒーロー」の誕生と成長には「原型」「定型」がある
・「海外遠征」は強くなるためではなく「公認」されるために行われる 
・ 分かりやすさの追求 ~あの名作も定型に沿って作られた~
・日本プロレス界の「ヒーロー」たちもまた、同じ物語を共有する
・「俺たち」と「三銃士」「四天王」はプロデュース不全だった?


 ドラマには「ヒーロー」や「ヒロイン」が登場する。
 それらはあらゆるドラマに不可欠の要素のように見えるだろう。主人公がいないドラマなどあり得ない、と。
そう、ヒーローを「物語の主人公」という意味で用いる場合はその通りである。複雑な群像劇(日本のシナリオ講座においては、第一講で「絶対に書くな!」と言い渡されるジャンルである。ストーリーが散漫、または冗長になりやすいとされ、素人には扱いにくいからである)であっても、やはり中心として描かれる人物はいる。

 そうではなく、ここでいう「ヒーロー」とは、物語を牽引する圧倒的な存在のことを指す。アクションものやファンタジーものにおける主人公がその典型である。
プロレスビジネスで言えば、オフィスやテリトリーの中核として君臨する絶対王者、または強大な絶対王者に挑み続ける勇敢な挑戦者のことである。

 以降、論旨を明確にするため、こうした特別な存在のことをカギカッコ付きで「ヒーロー」と書くことにする。

 絶対「ヒーロー」の誕生と成長には「原型」「定型」がある

 「ヒーロー」はわけもなく登場し、わけもなくカッコよく活躍してはならない。「ヒーロー」は、その役柄を構成するための要件を満たす必要がある。

 アメリカの女性著述家キム・ハドソンは、著書『新しい主人公の作り方 アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術』(日本版はシカ・マッケンジー訳・フィルムアート社刊)において、「ヒーロー」物語の序盤の作劇法について次のように述べている。

 「ヒーローの物語の要点は、住み慣れた場所を離れて生命の危険を冒し、行動半径を広げることです。村を救うため、身の危険をかえりみずに旅立ちます」

 「ヒーロー」は初めは平穏な世界に住む、どうということのない人間として描かれる。彼は衣食に困っているわけでもなく、特段の幸運に包まれているわけでもなく、秘めたる才能もまだ大して発揮してはいない。ただ、なんとなく観客の前に掲出されるだけである。ただし所属する世界(先ほど「村」という言葉で象徴的に言及された事象)は、守るべき価値がある存在であり、彼はそれを含めた周囲から愛情を受けている。
プロレスに当てはめれば、才能を秘めたグリーンボーイが次期「ヒーロー」の候補者であり、彼が足場を置くテリトリーが「村」ということになる。

 物語はやがて、彼を冒険へと誘う。「村」にそれまでには全くなかった危機が降りかかり、彼自身を含めた世界の平和と秩序が乱されるのである。

 その到来は、

①危険を察知する
②許しがたい不正が発覚する
③冒険への誘惑や衝動に駆られる
④外の世界に何かを取りに行く必要に迫られる

 といったことで示される(前掲書から抜粋引用)。

 物語はさらに「誘いの拒絶」→「ガイドとの出会い」→「第一関門」→「試練、仲間、敵」との邂逅へと進み、主人公は「ヒーロー」へと、特殊な成長を遂げていく(同書)。


▲「ヒーロー」譚の金字塔 J.R.R.トールキン「指輪物語」

 この過程を通じて、観客は主人公の能力や人格に思い入れを抱き、その感性に共感し、自分や自分の知る人との共通点を見出す。そのため、主人公には弱点や人間らしさが必要である。
 初めから完璧な、取り付く島もないようなスーパーマンに対しては、他人は感情移入できないのである(どうしようもなく強いスーパーヒーローについては、三分間しか動けないとか、若すぎて経験が不足しているとか、危機を経て一時的に能力が低下させられているとか、敵がそれ以上に強大で悪辣だとか、自分の命を盾にしても守るべき弱者を身内に抱えているとかの、本質的でない部分に弱点を設定する)。

 そしてすっかり成長を遂げ、弱点を克服して普通人から遠く隔たった絶対的存在となった時点で主人公は「ヒーロー」としての公認を受け、物語はあるベクトルへと収斂されていくのである。

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