[ファイトクラブ]名勝負数え唄をブチ壊した『雪の札幌事件』!栄光から迷走の時代へ

[週刊ファイト2月8日号]収録 [ファイトクラブ]公開中

▼名勝負数え唄をブチ壊した『雪の札幌事件』!栄光から迷走の時代へ
 by 安威川敏樹
・プロレスの歴史を変えた日本人抗争
・『名勝負数え唄』が大人気
・藤波の怒り「こんな会社、辞めてやる!」
・栄光から一気に地獄の底へ


 2018年に入り、日本列島は何十年ぶりかという大寒波に見舞われている。各地で大雪被害が続いており、地球温暖化がウソのようだ。

 雪と言えば思い出すのが、1984年2月3日に起きた『雪の札幌事件』だ。2月の札幌に雪が降るなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、その光景が異様だったのである。
 正式(なのかどうかは知らないが)には『雪の札幌・藤原テロ事件』とも呼ばれ、物騒な殺人事件でも起きたようなタイトルだが、実際にはプロレス内での出来事で死亡者など出ていない。

 今となっては遠い昔のことのようだが、プロレス史には絶対に外せない事件だ。当時『雪の札幌事件』が勃発した背景には、どんなことがあったのだろうか。

プロレスの歴史を変えた日本人抗争

 1980年代前半と言えば、プロレスが大ブームを巻き起こした時代だ。新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体がひしめき合っていたが、中でも圧倒的な人気を誇っていたのが新日本プロレスである。

 1981年8月には国際プロレスが崩壊、2団体時代となったが、『プロレス・ブームではなく新日本プロレス・ブーム』と言われるほど、新日本プロレスの人気がダントツだった。
 全日本プロレスも巻き返しを図ろうと、同年の暮れには新日本プロレスの人気№1外国人レスラーだったスタン・ハンセンを引き抜く。両団体の外国人引き抜き抗争は極限に達していた。

 そこで新日本では日本人同士の抗争を企てる。外国人レスラーのギャラは吊り上がるばかりで、全日本とは引き抜き防止協定が結ばれた。
 ギャラばかり高い外国人に頼るよりも、手持ちの日本人レスラーを活用しようとしたのだ。

 それまでの日本のプロレスは日本人vs外国人が基本だった。新日本がその原則を破り、アントニオ猪木が国際プロレスのエースだったストロング小林やラッシャー木村と闘ったことはあったが、これはあくまでも他団体から引き抜いての対決だったのだ。
 他には上田馬之助のような悪役レスラーと闘うか、新日本プロレス内ではリーグ戦で公式試合をする程度だったのである。
 しかし、それではインパクトが足りないと、団体内での仲間割れを思い付いた。そこで白羽の矢が立ったのが長州力である。

 当時の新日本ではアントニオ猪木が絶対的エースで、その後継者として人気抜群だったのが藤波辰巳(現:藤波辰爾)だった。
 それに対して長州は藤波より2歳年上で、しかもアマレス五輪代表という肩書を持ったエリートながら、プロレスラーとしてはくすぶり続けていた。当時のプロレス・ファンは、長州力が後のような大スターになるなんて夢にも思っていなかったに違いない。

▼後に大スターとなる長州力

『名勝負数え唄』が大人気

 1982年10月8日、6人タッグの試合中に長州と藤波が仲間割れ、長州が「俺はお前(藤波)の噛ませ犬じゃない!」と発言(実際には後のインタビューで『噛ませ犬』という言葉を使ったようだが)して、長州は『革命戦士』の称号を得ることになる。
 長州のこの行動は、判官贔屓も相まってファンから大きな支持を得た。そして大ブレイクを果たしたのである。

 長州は、兄貴分のマサ斎藤やキラー・カーン、弟分の谷津嘉章、元:国際プロレスのアニマル浜口らと『維新軍』を結成、猪木や藤波らの『正規軍』と闘うこととなった。プロレス史で内部分裂による日本人同士の軍団抗争が行われたのは、これが最初である。
 今では当たり前の軍団抗争も、長州が原点だった。

▼6人タッグの試合中に、外国人チームに捕まった藤波を長州が攻撃、完全に仲間割れした瞬間

YouTubeキャプチャー画像より https://www.youtube.com/watch?v=X3SgGYUbyuU

 長州の『噛ませ犬発言』で、藤波との人気関係は逆転した。そして1983年4月3日、長州は遂に藤波からピン・フォールを奪い、WWFインターナショナル・ヘビー級王者となったのである。

 その後も長州vs藤波は何度も試合が組まれ、ファンはますますヒートアップした。同年代の次期エース2人が意地を張り合ってファイトするのだ。試合が面白くならないわけがない。
 当時はテレビ朝日のアナウンサーだった古舘伊知郎氏が、長州vs藤波を『名勝負数え唄』と呼んだ。

 新日本にとっても嬉しい誤算だっただろう。もちろん、長州と藤波の実力があればこそだが、猪木や初代タイガーマスク、そしてハルク・ホーガンら外国人が絡まない試合で、ここまで大人気を博すとは想像していなかったに違いない。

 しかも日本人抗争で全国どこへ行っても超満員、テレビ視聴率は20%超えが当たり前という状況。無駄に高い外国人レスラーのギャラを抑えても、人気はウナギ登りだったのだから濡れ手で粟のボロ儲け、新日本プロレスにはもう怖いものが無いように思えた。
 しかし、新日黄金時代の舞台裏では、確実に迷走への序曲が始まっていたのである。

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