[週刊ファイト1月25月号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼井上譲二の『週刊ファイト』メモリアル 第30回
神戸市民の1人として、改めて川田選手、小橋選手、そして馬場さんに「ありがとう」と言いたい
周知の通り、真面目に試合に取り組んでいる団体のプロレスも純然たるスポーツではない。しかし、ファンに勇気と感動を与える点においては野球、サッカー、ボクシングなどと何ら変わらない。そのことを強く再認識させてくれたのが阪神淡路大震災の直後に大阪で繰り広げられた2人の名レスラーによる激闘である。
1995年1月17日の午前5時46分、実家(神戸市須磨区)の2階で眠っていると、私の体はかつて経験したことがない超ド級の衝撃に見舞われた。
目が覚めた瞬間、床が1階に抜け落ちたと思った。大地震である。
家じゅうの家具が倒れて食器、本などが散乱していたが、幸い、床は抜け落ちておらず、1階で寝ていた両親も無事だった。
だが、親せきの安否を確認すべく隣の長田区へ行くとゴム工場が密集する大橋町周辺は焼け野原。まるで戦争跡のようだった。
電気と電話はすぐ復旧。食べ物は自宅近くの学校でおにぎりやパンが配給された。
そんな状況の中、私が1番困ったのは大阪方面行きのJR、私鉄の不通が続いたため会社に行けなくなったことだった。
もともと少人でまかなっている編集作業が大幅に遅れる懸念がある。加えて、総力を挙げて取り組む予定の全日プロ1・19大阪府立にも影響が出る。
編集長という立場上の支障もあり私は焦りまくったが、こればかりはどうしようもない。
結局、大阪にたどり着いたのは震災から4日後。それも友人の車で国道ではなく六甲山を経由し、かなり遠回りしての道のりだった。
テレビの報道番組や新聞を見ると悲惨な情報ばかり。地震と火災による死者の数は日を追うことに増え続け、各地区に設けられた避難所は大混乱していた。
また、被災者には神戸が復興するまで何年かかるのか? という将来の不安もあった。
そんな厳しい状況の中、私が出社すると明るい情報が飛び込んできた。