[週刊ファイト1月4-11月号]収録 [ファイトクラブ]公開中
▼義理堅いG・カブキが全日プロ離脱した本当のワケは…
by 井上譲二
ノア12・22後楽園での6人タッグマッチ出場を最後に「長過ぎる現役生活」にピリオドを打ったザ・グレート・カブキ。プロレス入りしたのは東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)だから実に53年に渡るプロレス生活。そんなカブキをひと言で評論するなら、雑草のように逞しいレスラーである。
昔(1973年)、吉村道明が48歳という年齢で引退したとき、「よく50近くまでプロレスを続けられたな」と言われたが、カブキは吉村より20歳年長での現役引退。体の丈夫さもさることながら精神力も人一倍。強いレスラーだったと思う。
体は大きい方ではなかった。公称184センチだが、実際の身長は180センチ足らず。体型にしても若い頃のグレート小鹿や藤波辰爾のように筋肉質ではなくポッチャリタイプ。普通、それだけでなかなかのし上がれない。
しかし、カブキは本名の「米良明久」をリングネームにしていた若手時代からダイナミックな動きを心掛、それが日プロの前座戦線を盛り上げた。
例えば、対戦相手の左腕を自分の脇に抱え込みリングの対角線を走りながら放つジャンピング・アームブリーカーは、それ1発で会場が湧き上がった。当時(60年代中盤)、プロレスのセンスでは若手№1といっても過言でない。
ただ、体格のハンディによって「エース候補」に浮上したのはキャリア9年目の日プロ末期。つまり、G・馬場、A・猪木、坂口征二が離脱した後で、彼は73年3・8佐野でジョニー・バレンタインを破り初のシングル王座となるUNヘビー級のベルトを奪取したものの、これは勲章に値しない。
ランク的に本当のトップクラスの選手になったのは、やはり米マットでザ・グレート・カブキに変身してからだろう。全日マットにおける扱いも渡米前とは大きく違っていた。